第三十六話:神速のサフィ
予選は16ブロックに分かれており、それぞれのブロックで勝ち上がった一人が本選に上がれる。二日間に渡って行われ、一日目の今日は第一、第二試合が行われる。
参加者はかなり多いが、その分実力にもばらつきが出るのか、一瞬で終わる試合もあれば泥仕合な試合もあった。
闘技場というフィールドと観客の歓声によって熱気はかなりのもので、見ているだけでも意外と楽しい。
特に、人は見た目によらないというか、開会式で見たケモミミの華奢な女性がとても強そうな大剣使いの男を一瞬で倒したのには驚いた。
あれ何使ってるんだろう。爪? でも、見た目は普通の手なんだよね。攻撃する瞬間だけ長く伸びてる感じ。
身体強化魔法かな? もしそうなら、面白い使い方だ。近接戦に持ち込まれた時に使うのもいいかもしれない。
「あれは魔爪のミーシャっすね。確か、Bランク冒険者だったような」
「へぇ……」
素人目で見てもその動きはとても洗練されていて、ただの一度も攻撃を受けることはなかったし、その動きには余裕すらも見られた。
冒険者のランクはCランクで一人前として扱われるが、Bランク以上となると一気に差が生まれてくる。それはある程度の実績はもちろんの事、ギルドが出す特別な依頼をクリアしないと昇格できないからだ。
そのBランクの冒険者ということは相当な実力者なのだろう。もしかしたら、本選でお姉ちゃんと当たるかも?
「あ、お姉ちゃんだ」
いくつかの試合を見終えると、ついにお姉ちゃんの出番がやってきた。フィールドに入るなり辺りを見回すと、私に向かって手を振ってきてくれた。思わず手を振り返すと、満面の笑みを浮かべていた。
自然とやったけど、よく見つけたな。こんなにお客さんいるのに。
私が見ているからか、かなりやる気になっている様子。お姉ちゃんの戦う姿がどんなものか今から楽しみだ。
「え、あれって嬢ちゃんのお姉さんなんすか?」
「はい、そうですよ」
「へぇ。神速のサフィの妹さんだったとは、そりゃ優秀なはずですわ」
優秀……優秀かなぁ? まあ、功績だけ見ればそうなのかもしれないけど、ぶっちゃけそんな気はしていない。そりゃあ人並みには魔法が使えるようになったとは思っているけど、あれくらいなら練習すれば才能があれば誰でもできるだろうし、オーガ戦の時だって無我夢中で戦ってただけだからなぁ。Cランクという肩書は私には過ぎたものだと思う。
さて、そんなことより試合の方だ。
相手は腰に細い剣を佩いた青年。くすんだ金色の髪が特徴的だ。
せっかくだから目に身体強化魔法をかけておこうかな。比較的前列で見やすいとはいえ、しっかりと見たいからね。
身体強化魔法をかけた目には周囲の動きがとてもゆっくりに見える。風に流されてフィールドを転がる石ころも人の呼吸による胸の上下も。もう少し魔力を籠めればもっと鮮明に見ることもできそうだけど、負担が大きそうだなぁ。
準備も終わり、それと同時に試合開始の鐘が鳴る。さて、どんな戦いになるかな?
そう思いながら、無意識に瞬きをした時だった。先程までフィールドの端同士にいたはずの二人は気が付けばお姉ちゃんが青年に肉薄している光景に変わっていた。
あと少しで剣が振り抜かれるというところでようやく気付いたのか、青年が抜いた剣がお姉ちゃんの剣を阻む。
「え、え……?」
その後は高速化する一方だった。防がれた剣を引っ込め、背後に回って再び剣を振り下ろす。それを青年が間一髪のところで防ぎ、再び別角度から剣が振り抜かれる。
驚くことに、回数を重ねるたびにお姉ちゃんの攻撃速度は上がっていった。身体強化魔法を施した目をもってしても捉えきれなくなるくらいに。
ガキンッ! と大きな音が響くと、フィールドに青年の剣が突き刺さった。どうやらお姉ちゃんが剣を弾き飛ばしたらしい。
衝撃で倒れた青年にお姉ちゃんが剣を突き立てたところで、少し遅れて審判の決着の言葉が響く。それと同時に、観客は大いに沸き立った。
軽く土を払うような仕草をして立ち上がったお姉ちゃんは再びこちらに振り返ると満面の笑みでピースサインをしてきた。
「い、今のは……」
「あれ、お嬢ちゃん知らないんすか? あれが神速のサフィと呼ばれる所以っすよ」
本当に一瞬の出来事だった。身体強化魔法を施した目で辛うじて捉えたのは全速力で青年に向かって駆けていく姿。そう、駆けていた。走っている姿すら歩いているかのようにゆっくりに見えるこの目で走っているように見えたのだ。
恐らく、ほとんどの人は何が起こったのかを理解できていないだろう。だが、お姉ちゃんがやったことは至極単純なことだ。
ただ全速力で走っていき、剣を振るった。ただし、瞬き一つほどの刹那の時間でだ。
神速と呼ばれるくらいなのだから速いのだろうとは思っていた。けれど、まさかここまでとは思わなかった。
これは優勝候補と言われてもおかしくはないね。ちょっと驚いたけど、流石はお姉ちゃんだ。
というか、これは相手も凄いだろう。私は身体強化魔法を使っていたからまだ見えていたけど、あの人はそんなの使っているそぶりはなかったし、生身の状態であれだけの猛攻を防いでいたのだとしたらかなりの反射神経だ。
手を振り返し、ちらりと対戦相手の青年を見る。
フィールドに突き刺さった剣を抜き、鞘に納めている。その表情は硬く、ともすれば泣き出してしまいそうだった。
硬く拳を握り締め、お姉ちゃんを一瞥した後、フィールドを去っていく。
実力者だったのだろうけど、流石に相手が悪かったと言わざるを得ないだろう。上には上がいるとはよく言ったものだ。
衝撃的な出来事に身体強化魔法を解除するのを忘れていたせいで青年の表情はよく見えた。その時、私は口元が僅かに動くのを見逃さなかった。
いつもなら気にも留めなかったのだろうけど、その内容が少し引っかかった。
「(……ころ、される? 殺される? え、どういうこと?)」
あんな負け方をしたのだから、悔しさに思わず口が動いたのかと思ったけど、怯えたような表情といい、もしかして誰かに試合に負けたら殺すとでも脅されている? だとしたら、穏やかじゃないね……。
うーん、これはちょっと調べた方がいいかもしれない。
「おや、嬢ちゃん、どこ行くんで?」
「ちょっと気になることがあるので」
突然席を立った私をゼムルスさんは怪訝な表情を浮かべてきたが、特に追及してくることはなかった。
会場を出て選手達がいる控室に続く通路に足を運ぶ。私が見ていた席とは反対側だったから、多分こっちの方だと思うんだけど……。
しばらく通路を歩いていると、通路の角に消えていく青年の姿を発見した。どうやら予想は当たっていたらしい。
声をかけようと角を抜けようとすると、話し声が聞こえてきて思わず足を止めた。
「おい、何あっさり負けてんだよ。使えねぇな」
「……すまない。だが、あれは無理だ、レベルが違いすぎる」
「まあ、確かに強かったな。だが、わかってんだろうな? お前がこの大会で優勝しなけりゃ、弟の命はないって」
「…………」
どうやら話しているのは男のようだ。ちらりと角から覗いてみると、背の高い灰色のフードをかぶった男が青年と対峙している。
話の内容からして、フードの男が青年の弟さんを誘拐して脅している? 猛者が集う闘技大会で優勝しろだなんて、無茶な要求をするものだ。それとも、それだけの実力があると踏んだからそんなことを言ったのだろうか。
とはいえ、これはどうしたものか。青年が殺されるというならこの場で助ければ何とかなるけど、どこにいるかもわからない弟さんが殺されるとなると下手に手を出すわけにもいかない。
少なくとも今はその弟さんを連れている気配はないから、仲間がいるか、あるいは縛ってどこかに閉じ込めているのだろう。
この建物内に捕らわれていれば探知魔法で探せるかな?
不特定多数の人々がいるこの闘技場で、しかも会ったこともない人の気配を探るのは容易ではないけど、ダメ元でもやってみるしかない。
魔力を込めて探知魔法の範囲を広げ、付近にそれらしい気配がないかを探る。
大勢集まっているのは観客の気配だろう。部屋に何人かいるのは控室の選手だろうか。青年は二十代くらいに見えるから、弟さんは十代くらいだろうか? それらしい気配に絞っていけば……。
そうして集中していると、ふと私がいる通路を歩く気配を感じ取った。ここは選手控室の近くだし、試合を終えた選手か何かだろうと思って気にしていなかったのだが、それはあろうことか私の首根っこを掴んできた。
「くっ!?」
とっさに腕に身体強化魔法をかけて振り払う。振り返ると、そこには灰色のローブを被った人物がいた。
こいつ、まさか仲間!?
「なんだ!?」
「周囲の確認くらいしっかりしておけ。聞き耳を立てられていたぞ」
しまったと思った時にはもう遅かった。
振り払った反動で角から飛び出した私の姿はばっちりと青年と話していたローブ男の目にも入ってしまった。