第三十五話:闘技大会予選
ふと息苦しさを感じて目を覚ますと、目の前に豊満な肉の塊があった。ぷにぷにと柔らかいそれをそっと押し返すと、小さな呻き声が聞こえてくる。
あれ、どうしたんだっけ……。
寝起きのぼんやりとした思考を回転させると、昨日姉に出会ったことを思い出した。
街中で偶然出会い、そのまま宿に連れ込まれたんだっけ。
連れ込まれたこと自体は別にいい。宿もなかったし、ようやく出会えた姉と一緒にいられることは嬉しく思う。けれど、この状況は何だ。
「んぅ……」
起き上がろうとしてもがっちりと抱きしめられていて動けない。身じろぎをする度に聞こえる甘い声になんだかぞくぞくしてしまうのは前世の記憶故だろうか。
うーん、困った。腕の拘束は抜けられそうもないし、お姉ちゃんが起きるまではこのままかなぁ。
凄くドキドキし身を縮こまらせてて時が来るのを待つ。結局、お姉ちゃんが起きたのはそれから一時間以上してからの事だった。
宿を飛び出し、大通りを駆ける。出された朝食もそこそこに目指すのは町の中央部にある闘技場だ。
王都は中央部と外縁部に分かれており、中央部は主に貴族や重要施設などが集まる場所で、外縁部はそれ以外の平民等が住む場所らしい。
外縁部から中央部に行くためにはそれぞれの地域にある門を通らなくてはならないのだけど、通る際に通行料が発生する。だから、闘技場に行くためにはそれを払わなければならない。
今は闘技大会が開かれる関係で利用客は多く、入り口が限られているためかなり混雑している。なるべく急いできたつもりではあったが、やはりというか、混雑に巻き込まれてしまった。
そわそわと人の波が進むのを見ながらきょろきょろと辺りを見回す。
なぜこんなに焦っているかと言えば、今日が闘技大会の予選の初日だからだ。
大会は予選、本選と分かれており、最初に予選を行ってそれに勝ち上がった数名が本選に出場できる。
一対一で戦うということ以外は結構アバウトで、飛び入り参加も許可されているが、予め参加登録している選手が時間に間に合わなかった場合は不戦敗となる。そうなると飛び入りもできなくなるため、完全に負けとなる。
つまり、大会参加者として登録しているお姉ちゃんは今日の試合に遅れてしまった場合自動的に負けるということだ。
幸い、全力で走ってきたこともあって大した遅れにはなっていないが、この人の波を見ると本当に間に合うのかどうか不安になってくる。お姉ちゃんも私にあんなこと言った手前、不戦敗なんてかっこ悪い姿を見せるのは嫌なのかかなり焦っているようだ。
ゆっくりと進む人混みにたたらを踏みながら待つことしばし、ようやく中央部に入ることが出来た。
「ハク! お姉ちゃん先に行くね!」
そう言うや否やもの凄いスピードで駆けていく。大通りでは私に合わせて走ってくれていたのだろう。仮にも神速と言われるくらいの人なのだから速くて当然か。
予選の開催時刻まであと僅か。観戦客なら多少遅れても序盤の試合を見逃すだけで済むが、選手は遅れたら容赦なく不戦敗だからね。お姉ちゃんの判断は正しい。
正直結構疲れた……。
でも、多少遅れてはいいとは言っても遅れすぎたら肝心のお姉ちゃんの試合を見逃すかもしれない。人混みで待っている時に多少回復したし、早いところ闘技場に向かうとしよう。
中央部は主に貴族が住む場所ということもあって道は綺麗に整備されている。案内に従って進むと、ほどなくして闘技場が見えてきた。
巨大な石造りの建物の周りは多くの人でごった返しており、また待つことになるのかと思うと少し憂鬱になる。
まあ、結構大きなイベントみたいだし混むのはしょうがないか。
列に並び、足の痛みに耐えながら進んで中へと入る。
中央に大きなフィールドがあり、それを取り囲むようにすり鉢状に観客席が広がっている。
こういうの前に見た気がするなぁ。
すでに多くの人で席は埋まっていたため、どうするか迷う。あんまり後ろだと前の人が邪魔になって試合が見えない気もするし……。
こういう時背が低いというのは不便だ。できれば前の席が空いてるといいんだけど、無理だよねぇ……。
「あ、嬢ちゃん! こっちっすよ!」
人の多さを見て最悪座れればどこでもいいかなと思っていると、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。辺りを見回してみると、こちらに手を振っているゼムルスさんの姿があった。
「ゼムルスさん? どうしてここに」
「俺も観戦に来たんすよ。ほら、ちゃんと嬢ちゃんの席も確保してあるっすよ」
ゼムルスさんがいたのは最前列からやや後ろに下がった場所。比較的フィールドが近く、割といい席だった。
「それはありがたいですけど、なんでわざわざ?」
「嬢ちゃんも闘技大会を見に行くって言ってたもんでね。まあ、本当は一緒に見に来る予定の奴が気が変わったから飛び入りしてくるとか言っていなくなったのが原因なんすけどね」
ああ、そう言えば飛び入りもいいんだっけ。ああいうのって大会の進行的に大変そうだけど。まあ、その方が盛り上がるからいいのかな?
予選が開かれている今日と明日の二日間の間は飛び入りオッケーらしいから誰かが勝ち上がったタイミングで飛び入りしてその人を倒して本選に上がろうとか考える人がいそう。
まあ、予選を勝ち上がるってことは結構強いんだろうし、そう簡単にはいかないだろうけどね。
まあ、せっかく席を確保してくれたのだからありがたく使わせてもらうことにしよう。頭を下げて隣に座ると、中央のフィールドがよく見えた。
『ハク、ここあんまり好きじゃない……』
『ん? アリア? ……ああ、人多いもんね』
妖精にとって人は天敵のようなものだから、ここまで人が多いと気分も悪くなってくるだろう。それに、闘技大会ということは実力者が集まる所ということだから、万が一にもアリアの隠蔽を見抜いてくる人もいるかもしれない。そうなったら惨事だ。
ぽふっと頭の上に軽い感触を感じる。多分座っているのだろう。力なく手をだらりと下げたアリアの姿が目に浮かんだ。
『辛いなら離れててもいいよ?』
『うーん……ごめん、そうするわ』
だいぶ悩んでいたようだけど、今回は人混みを避ける方に軍配が上がったようだ。頭にあった感触がなくなり、気配が遠のいていく。
アリアが近くにいないのはちょっと不安だけど、ここまで来て今更帰るというわけにもいかないし、終わったらすぐに迎えに行こうか。
「お、始まるみたいっすよ」
ざわついていた観客の声が小さくなる。フィールドを見てみると、参加者と思われる人々が集まり、開会の宣言が行われている。
こうしてみると、多種多様な人々が揃っている。獣耳を生やしている人や一見子供にしか見えない人と戦えなさそうな人もいれば、筋骨隆々の大男や立派な剣を引っさげた人など本当に様々。
割合的には人間が多いかな?
選手の中を探していると、お姉ちゃんの姿も確認できた。どうやらしっかり間に合ったらしい。一安心だ。
ほどなくして開会式も終わり、一部の選手以外は一時退席する。これから予選一回戦目が始まるようだ。
そういえば、お姉ちゃんって何戦目なんだろう? 慌てていて聞いている暇がなかった。
まあ、全部見ていればそのうちお姉ちゃんの番が来るか。