第三百九話:傲慢な交渉
エンゲルベルトさんが放った一言に私とエル以外はぽかんと口を開けて呆けていた。
対抗試合の本質は生徒達の交流。互いに魔法の腕を競い合い、お互いに成長することを目的としたものだ。
生徒からしたら今まで学んできたことを試す最高の舞台であり、そこで勝っても負けてもそこから学ぶことができたなら大成功と言っていい。
もちろん、勝負である以上は勝ちたいだろうし、負ければ悔しいだろう。だから、教師の思惑はともかく、生徒は全力で勝ちに行く。
そんな舞台で敵から負けて欲しいと言われたらどう思うか。怒るか、呆れるか、相手の頭を心配するか、どれにしてもはいわかりましたと認められるわけがない。
そもそも、こうやって相手に負けて欲しいと頼むのは本来の目的である生徒の成長を阻害する行為であり、当然違反行為である。
にも拘らず、平然とそんなことを言ってきた教師に対して、構えはできていても反応はできなかったわけだ。
サリアはそこまで興味はなさそうだったが、テトさんとアッドさんは次第に表情が険しくなっていく。特にアッドさんは見る見るうちに怒りの感情を発露させていった。
「負けてくれだと? そんな要求飲めると思ってるのか?」
「もちろん礼はしよう。君達には扱いきれないほどの大金をくれてやる。だから負けてくれ」
「断る! 誰がそんな手に乗るか!」
「金が要らないのか? 妙な奴だ。どうせ負けるのだからここは話に乗っておいた方が美味しい思いをできることがわからんのか?」
エンゲルベルトさんは心底不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
どうやら彼の中ではローゼリア側が勝つのは決定事項であり、それでも念のために交渉しにやってきたということらしい。
そんなことをしたら、仮に実力で勝ったとしても相手を唆して買った卑怯な奴というレッテルを張られるだけだと思うのだが、そのことには気づいていないのだろうか。
そもそも、私達がこういう交渉をされたと学園に報告すれば大問題になると思うのだが、よく交渉しようなんて気になったものだ。
「はっ、俺達は負けるつもりはねぇ。卑怯な手を使って勝とうとする連中なんかに負けるか。なあみんな!」
「そうですね。私も酷い目に遭わされたし、仕返しはしたいかな」
「勝負するからには全力でぶつかり合わなきゃ意味ないぞ」
「そもそもエルフ風情がもはや勝ったように語っているのが腹立たしい。卑怯な手を使わなければ何もできないような連中が偉そうに語るんじゃない」
「私も同感ですね。このことは学園側に報告しましょうか。流石に少しは対処してくれるでしょう」
私達からぼろくそに言われてエンゲルベルトさんは少し怯んだ。
金を積めば私達がおとなしく言うことを聞くとでも思ってたんだろうか? だとしたら頭がお花畑すぎる。
それとも、今までの選抜メンバー達はそうやって買収されてきたんだろうか。それなら多少増長するのもわかるけど、だとしたら凄い残念だな。
「卑怯卑怯と、何のことかね? 私達は正々堂々と勝負をしたんだ。言いがかりは止めてもらいたい」
「魔道具の買い占め、魔法無効ローブの使用、呪いによる無力化、魔法を使えなくする魔道具、毒矢へのすり替え、思いつくだけでもこれだけありますが、これが卑怯な手ではないと言いますか」
「何のことかさっぱりわからんな。それ以上言うならこちらから訴えさせてもらうぞ」
「はあ、少なくとも負けてくれというのは違反行為だと思うんですが、それは棚に上げるんですね。本当におめでたい頭をしていらっしゃる」
仮にさっき上げたものがすべて勘違いだったとしても、すでにこの場で一つ違反をしてしまっている。どうせ口封じするか、最悪私達が言いふらしたとしても言い逃れできると思ってるんだろうけどね。
卑怯な手を使っているのに逆に訴えるって言うのはたまにある手段だ。下手したらこちらが悪者だからね、下手に手を出せなくなる。
まあ、最低でもお姉ちゃんという目撃者がいるから少しは反撃できそうだけど。
「わからん奴だな。私は君達のためを思っていっているんだぞ? どうせ負けるなら報酬があった方が得じゃないか。そんなこともわからないのかね?」
「まず、そちらが絶対に勝つという前提がおかしいです。なぜそう言いきれるんですか? 模擬戦を見る限り、実力は拮抗していますし、チーム戦でも同様。むしろ得点だけならこちらが勝っているでしょう。それでなぜ勝ちが確信できるんですかね」
「ふん、まぐれで勝ったくらいでいい気になるんじゃない。魔力の質で言えばこちらが遥かに上、君達を出し抜くことなど容易だ。それに、君に関しては魔法が使えないんだろう? さっきの試合を見ていたぞ。そんなお荷物を抱えて勝つ気でいるとは、何ともおめでたい奴らだな」
「ああ、これでしたらすぐにでも外せますよ。それに仮に魔法が使えなくても私はどうとでも出来ますしね」
最悪【竜化】すれば魔法を使わなくても戦うことが出来る。もちろん、アッドさんに見せるわけにはいかないからこっそりとやることになるだろうけど、身体強化魔法だと言い張ればなんとかなるだろう。
以前の私なら魔法を封じられたら何もできなかっただろうが、竜の力を得た今の私ならそれくらいでは止まらないのだ。
「強がりを。いいのかな? ここで断れば、君達の友人が酷い目に遭うかもしれないぞ?」
「今度は人質ですか? 懲りない人ですね」
「明日の試合は必ず負けろ。棄権でもいいぞ、そっちの方が楽だしな」
「お断りします。あなた達のような人に負けるとも思えませんし」
「強情な奴だな。後悔することになるぞ」
「そちらこそ、試合が終わった時が楽しみですね?」
人質に関しては予想できていたことだ。だからこそ、お姉ちゃんに護衛を頼んだわけだしね。
どうしようもないくずで逆に安心したが、こいつは後回しだな。ここで捕まえてしまうと黒幕が出てこなさそうだし、何より試合がなくなってしまうのは嫌だ。
マーキングだけしておいて、後で捕まえてやるとしよう。
「言うことを聞かなかったことを後悔するがいい」
そう言ってエンゲルベルトさんは去っていった。
堂々と不正を働きに来たのはある意味賞賛に値するが、頭が悪すぎる。
なんか、人間なんて餌をぶら下げてやれば喜んで食いつくだろみたいな根拠のない自信のようなものを感じた。それに、これまでの試合を見てなおまだ勝てると思っているあの自信もよくわからない。
正直、連携はそこそこよかったけどめちゃくちゃ優秀かと言われたらそうでもないと思う。生徒にしてはいいかもしれないけど冒険者として見ればまだまだだ。
負けた第二試合も、妨害をした上であの結果と考えると、正々堂々戦っていれば恐らく勝っていたし、模擬戦に関しても神具まで使われていたのにまぐれで勝ったと言い張る理由もよくわからない。
彼の目は節穴なんだろうか。節穴なんだろうな。周りのことがよく見えていないようだ。
「おいハク、何だあいつは。失礼にもほどがあるぞ!」
「これがローゼリア魔法学園の実態ですよ。ああいうくず教師が対抗試合の品位を下げているんです」
「あの野郎……!」
アッドさんの怒りはもっともだ。
アッドさんは名門に生まれながらも魔力の量があまり多くなく、それ故あまり魔法が使えなかった。だからこそ、宝石魔法という新しい魔法の方法を見つけ努力してきたのだ。
宝石魔法自体は誰にでも使えるとはいえ、それを使いこなせるかと言われたらそうでもない。それぞれの場面に対応した宝石を選ぶ必要があるし、使う組み合わせや数、どこに投げるかなんかも重要になってくる。適当に投げているだけでは意味がないのだ。
だから、アッドさんは凄く努力しているのだと思う。それなのに、卑怯な手を使って勝とうとしてこられたら頭に来るのも当然の事だろう。
努力して培ってきたものが卑怯な手によって潰される。これほど頭に来ることはない。
「次の試合、絶対に勝つぞ!」
「はい、そのつもりです」
さて、一応報告だけはしておこうか。どうせ言い逃れされるだろうけど、言っておくことは大事だ。
まだ周囲にはエルフの監視の目が残っている。どうせ今日の夜も何かしてくるだろうし、一人になるのは少し危険か。
「エル、テトさんの事を守ってあげてくれる?」
「ハクお嬢様の命令とあらば喜んで」
『アリアも、アッドさんのことお願いできるかな』
『わかったよ』
エルとアリアが動いてくれれば大抵のことは何とかなることだろう。
サリアは私が守ればいいし、後はどういう手を使ってくるかだけが心配だ。
今日も夜は定期的に起きなくてはならないだろう。ある意味二日連続の徹夜となるが、まあなんとかなると思いたい。
私はため息を吐きながら立ち上がった。




