第二百四十六話:竜の谷へ
翌日。私達はヘクスフォードを後にし、竜の谷へ向けて出発した。
この先にはもう村や町はなく、広がるのは巨大な森林と険しい山のみ。そこには過酷な環境に適応した強力な魔物が蔓延っており、とてもではないが降りて野宿するなんてことは無理そうだった。
よって、ここからは夜通し飛び続けることになる。北国ということもあって夜は結構気温が下がってくるが、ここでもエルの氷の粒の膜は優秀なようで、エルの背中は一定の温度が保たれていた。
しかし、元々氷の膜ということでその温度は若干低く、流石に夜の間は毛布にくるまらなければ寒さに震えてしまう。
こんな過酷な環境の先にある竜の谷とは一体どんな場所なのだろうか。竜の他にも竜人も住んでいると聞いたが、これだけ寒いとその対策をするだけでも大変そうだ。
〈竜の谷は常に晴れていますので、そこまで寒くはないと思いますよ〉
心配する私の気持ちを察したのか、エルがそう答えてくれた。
というのも、竜が天候を操れるというのは本当の事らしく、一部の竜達が竜の谷の天候を操っているらしい。
もちろん、竜の強靭な体ならばある程度過酷な環境でも暮らしていけるのだが、保護している竜人達はそうはいかないらしく、彼らのために天候を一定に保つ必要があるのだとか。
確かに竜人は普通の人よりは頑強とは言っても限度はあるだろう。居住区も必要だろうし、意外と竜と竜人が共存するのは大変なのかもしれない。
人にもなれず、竜にもなれず。竜人は結構不遇な種族なのかもしれない。
「竜の谷って、竜と竜人しかいないの?」
〈精霊や妖精もいますよ。正確には竜の谷の近くにある広大な湖が多くの魔力を内包しているので、それにつられてやってくるというのが真実ですが、元々竜と精霊は協力関係にあるので十分共存が可能です〉
精霊の女王たるリュミナリア様もいらっしゃいますしね、とエルは言う。
精霊は魔力の多い場所を好む。特に水辺は魔力が留まりやすい関係上精霊が集まりやすい。そして、竜の谷の近くでは竜が放つ強力な魔力が滞留している。
必然、水に染み込む魔力も高濃度になり、魔力を糧に生きる精霊はその場所を好むようになり、それを提供してくれる竜に協力するようになる。
竜は精霊から報告を貰い、魔力が溜まってしまっている場所に赴いて対処をすることで魔物の量を操作する。
精霊と竜は相互に協力関係にあるのだ。
「竜が人を守っているって言うのは結構びっくりだけど、そう言われるとなんだか納得できそうね」
〈中には人を襲う頭の悪い竜もいますけどね〉
「なんて?」
「人を襲う竜もいるけどねって」
竜のイメージは魔王と共に戦ったっていう出来事からだけど、それ以降も人を襲う竜がいたからこそやはりあの伝説は本当だったんだと信じる人が多いのではないだろうか。
もちろん、わざわざ人を襲うような竜は稀であり、若い竜がむしゃくしゃして、というように直情的に行われるのがよくあるパターンらしい。
多くは竜の姿では極力人里には近づかないし、近寄ったとしても攻撃することはない。少数のマナーのなってない竜によってマイナスのイメージを植え付けられていると思うとちょっと複雑な気分だ。
〈そういう道を踏み外した竜に説教するのも私達の仕事ですね〉
「へぇ」
〈調子に乗って殺される竜は知りませんけど〉
人を襲う竜のパターンとして、「あれ、俺強いんじゃね?」と思い込み、その力を見せつけたいという自己顕示欲によって人を襲うこともあるらしい。
妙な知識を身に着けた竜は王というものに憧れるようで、生半可な力を身に着けた竜は自分こそが王にふさわしいと思うようになる。しかし、実際に竜の王に挑んでも勝ち目はない。だからこそ、まずは人の上に君臨し支配してやろうという考えになるのだそうだ。
もちろん、人相手に竜の力を見せつけたところで大抵は竜の方が強いし、蹂躙された人達が苦渋の選択の挙句竜の下に降るというのは当たり前の事である。しかし、それを自分が強いからだと勘違いする竜も中にはいるようで、いたずらに国を脅かしては好き勝手しているらしい。
そこで大人の竜に説教されて反省するならまだましなのだが、中にはそうなる前に討伐隊によって狩られてしまう竜もいるらしい。
人と竜の差が圧倒的だとしても、人の中には竜に勝てる者もいる。だからこそ、侮ってはいけないし、支配していいわけない。それをわからず狩られる竜は竜にとって恥でしかないため、報復などは行われない。そもそも、こちらが人の領域を犯したのが悪いわけだしね。
かつて竜によって滅ぼされた国というのはまた別の理由があるようだが、そういう竜のやんちゃが理由のこともあり、人にとってはたまったものではないが、竜にとってはちょっとおいたした程度、という認識らしい。
なんか、その辺はやっぱり価値観が違うんだなと思った。
雑談を交えながら飛び続けること二日。私達はついに竜の谷へと辿り着いた。
まず感じたのは暖かな気候。つい先程まで雪が降っていたのだが、高い山を越えたあたりからは降り止み、ぽかぽかとした陽気に包まれている。
眼下には広大な緑地が広がり、色とりどりの花々が交じり合ってまだら模様を作り出している。
そんなほんわかした雰囲気が漂う大地ではあるが、やはりそこは竜の谷というべきか、ある一角には深い谷が形成されており、多くの竜が飛び交っているのが見えた。
「ここが、竜の谷……」
一見のどかな平原のようにも見えるが、放たれる魔力は尋常なものではない。ここら一帯が濃密な魔力で包まれていて、まるで魔力溜まりかのようだ。
お姉ちゃん達には防御魔法を複数掛けているから平気だろうけど、生身の人が入ったらすぐに気絶してしまうんじゃないだろうか。下手をしたら、そのまま目を覚まさずにってこともありそうで怖い。
とはいえ、この魔力の主は飛び交っている竜達というわけではない。もちろん、竜達も多少は魔力を放っているようだが、エルほどではないし、あれくらいだったら防御魔法がなくても大丈夫そう。
だけど、この膨大な魔力を放っている存在がいる。そして、その魔力の主が誰なのかは自然と確信が持てた。
竜の王ハーフニル。私の父親であり、竜を束ねるエンシェントドラゴンの一匹だ。
私はこの魔力を知っている。これだけの魔力を当てられていながら平然と受け入れられているのがその証拠だ。
これが私のお父さんの魔力……。嫌悪感は微塵も感じないけど、その膨大さだけでどれだけ強力な存在なのかがわかる。
一体どんな竜なんだろう。ごくりと息を飲んだ。
〈ようやく着きましたね。ようこそ竜の谷へ。そしてお帰りなさいませ、ハクお嬢様〉
エルが上機嫌そうにそう言い、谷の方へと降りていく。
途中、すれ違う竜達はエルの姿を見るなりその場で留まり、一礼していく。中には〈エル様がお帰りになられた!〉と飛び去っていく竜もいて、エルが竜の谷の中でもかなりの地位にいたことがわかった。
そりゃ、竜の王の子である私の世話係だったわけだし、それなりの人物が選ばれるか。もしかしたら、エルも父と同じく、エンシェントドラゴンなのかもしれないね。
〈一度竜人の里に下ります。話を付けてきますので、しばらくはそこでお待ちください〉
谷底には無数の家が立ち並んでいた。造りもしっかりしていて規則性もあり、さながら一つの町のようだった。
里には数多くの竜人達がおり、エルが下りていくと手を振って出迎えてくれた。
竜の住まう谷に竜人の里。物珍しさに目を見開きながらも、私は里に入っていくことになった。
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