第二百三十二話:海越え
村を出てしばらく行ったところでエルに竜化してもらい、空路に切り替える。
森だの山だのをすべてすっ飛ばして直線で進んでいるから進行速度はかなり早い。今の時点でも多分馬車で進むのに比べて五日分くらいは先行しているんじゃないだろうか。特に、竜の谷がある隣の大陸に行くには間にある海を越えるために船を使う必要があり、その船を使うためには港町に寄る必要がある。
ただ、その間には大きな山が陣取っていて、交通の便はあまりよくない。ここを直進できるだけでもかなりの短縮が見込めた。
「多分、後二日くらい進めば海に出るけど、海をそのまま突っ切るの?」
〈そのつもりですよ。来る時もそうやってきましたし〉
一応、大きく北に迂回すれば陸路でも隣の大陸に渡ることはできるが、当然ながらかなり時間がかかる。船の場合はいくらか時間は短縮できるが、それでも船の上で何日も過ごすことになるため、急ぎでないなら陸路を進んだ方が安全ではある。
ただ、今回は船よりもずっと速く、且つ襲ってくる魔物もいないという安全安心の乗り物がある。そう考えると海を突っ切ることに何の問題もないように思えるが……。
「海を越えるのにどれくらいかかった?」
〈そうですね、三日くらいでしょうか〉
隣の大陸とを隔てる海はかなり広い。竜の足でも三日かかるというのだからかなりのものだろう。
一応、この海洋のただ中にはいくつかの島が散見しているとはいえ、基本的には補給なしに飛び続けることになる。つまり、三日間は竜の背中の上で過ごさなくてはならないのだ。
別にそれが嫌というわけではない。食事や睡眠と言った行動に多少の制限がかかるとはいえ、私達は特に何もしなくてもいいのだから。
問題はエルの方で、少なくとも三日間は飛び続けなくてはならない。つまり、眠ることができないのだ。
来る時にも同じことをしたのだから大丈夫だとは思うが、それでも少し心配ではある。
「寝なくても大丈夫?」
〈三日くらいなら全然平気ですよ! ご心配いただきありがとうございます〉
竜状態であれば疲労感や空腹感はあまり感じなくなるらしい。どうやらそれは睡眠欲にも適用されるようで、後で休む必要はあるものの三日くらいであれば全然問題ないのだという。
竜全般が同じような性質を持っているらしいから、私もその気になれば数日眠らなくても過ごすことが出来るのだろうか。確かに、竜状態になると若干興奮状態になるから眠りにくくはなりそうな気がする。
「ハクは元々は精霊だからむしろ睡眠欲があることは劣化だと思うんだけどね」
私の肩の上でくつろいでいるアリアがそう独り言ちる。
精霊は基本的に睡眠を必要としない。意識的に眠ることはできるが、それは魔力の節約のためだったり趣味からくるもので、基本的には常に起きてそこらを飛び回っている。だから、むしろ睡眠欲があるというのはおかしいことなのだとか。
『劣化というより、ハクお嬢様を送り出す際にそのように調節したというのが正しいですね』
アリアの言葉にエルが【念話】で補足を入れてくる。
そもそも、私の身体は最初は普通の精霊と同じように睡眠を必要としなかったらしい。それを私を逃がす際に人間の生活に溶け込めるようにと体を人間寄りにした影響で人間と同じような性質を得ることになったのだとか。
つまり、私が人間として違和感なく生活できているのは両親のおかげということになる。何から何まで、お世話になりっぱなしなんだなぁ。
「じゃあ、結局今のハクって何なんだ?」
『……人間、ですかね』
記憶の封印やらなんやらと一緒に人間寄りの身体となった。しかし、ギガントゴーレムの事件で竜の力が解放され、竜としての力が目覚めた。そしてそれに伴い、精霊としての力も同時に解放されたと言える。
一応、食欲や睡眠欲があるのだから未だ人間寄りと言えるだろうが、能力は完全に竜か精霊の物。どちらかと断ずるのは少し難しかった。
それでも人間と言ってくれたのは私が人間としての生活を望んでいるからだろう。エルの気づかいに少し頬が緩んだ。
「まあ、ハクがどんな種族であれ、私の妹には変わりないからね」
「……それもそうだな。ハクが竜でも精霊でも僕の親友だってことに変わりはないぞ」
「二人とも……」
立場的には凄く微妙なものだと思う。竜が悪者扱いされている反面、精霊は魔法を使うのに必須とされ重宝される存在である。その二つの性質を併せ持つ人間となるともはやどれをとればいいのかわからないだろう。
それでも、こうして一緒にいてくれる人はとても貴重だ。普通なら、恐れるなり気持ち悪がるなり離れていくのが普通だろうに正体を知ってもなお距離を置かずにいてくれるのだから。
「もちろん、私もずっとそばにいるからね」
〈私もです! これからもお世話させてくださいね〉
「ありがとう、みんな」
私はとても恵まれている。私の事を理解してくれる人がこんなにもいるのだから。
少し込み上げてくるものを押し殺しながら精一杯の気持ちを込めて微笑みを返す。うまく笑えた自信はないが、みんな笑って返してくれたから気持ちは伝わっただろう。
両親に会ったら私の自慢の友達だと紹介してやろう。まだ見ぬ両親のことを思いながらそんな計画を立てていた。
そうして飛び続けること二日。高い山も何のそので飛び越えると、ようやく海が見えてきた。
この世界で記憶を取り戻してから初めて見る海である。特段海が好きというわけではなかったが、なぜかだか少し心が躍った。
一応、私は海を渡ってこの大陸に来たわけだから本当なら見たことがあるはずなのだが、記憶にないからノーカンである。
今は目的があるから寄ろうとは思わないが、いつか海に遊びに行くのもいいかもしれない。
〈このまま突っ切ります。落ちないように注意してくださいね〉
現在時刻は昼過ぎ。一度街に降りて一泊してから朝に出発するということも考えたが、エルには特に補給は必要なく、食料にも余裕があるのでスルーすることにした。
まあ、港町が気にならないわけではなかったが、帰りに時間が余ったら寄る程度でいいだろう。
私は心の中でそうメモしつつ、エルの背中を撫でて肯定の意思を返す。
より一層翼を大きく広げたエルは嬉しそうにグルルと喉を鳴らした。
「なんか、風がしょっぱい気がするぞ」
「海には塩分が含まれているからそのせいじゃないかな」
サリアは海は初めてなのか、眼下に広がる海を見てはしゃいでいる。
塩と言えば、王都では岩塩が主流のようで海水から作られた塩はあまり見たことがない。王都は海から遠いからあまり流通がないんだろう。
まあ、私は特にこだわりはないからどちらの塩でも構わないんだけど、持って帰ったら喜ばれるだろうか。
塩は長距離を運ぶには不利だけど、私の【ストレージ】なら入れたものの時間が止まるから関係ないし。
どちらにしろ王様とかアリシア達にお土産は買っていくつもりだし、候補の一つに考えておこう。
「海は羽根がべたつくからあんまり好きじゃないかなぁ」
「そう? 気持ちがいいと思うけど」
アリアはあまり海が好きではないようで、私の服の中に潜り込んで胸元から顔だけ出している。
水には魔力が染み込みやすく、魔力を糧としている妖精達は水辺が好きな印象があるのだが、海は例外のようだ。
逆にお姉ちゃんは海の風が好きなようで、海を眺めながら髪を撫でている。
三者三様の反応を楽しみながら私達の海越えは始まった。
感想ありがとうございます。