第二百二十八話:実家に帰省します
第八章開始です。
セシルさんとの死闘から二週間ほど。あれからちょくちょくシンシアさんが遊びに来ること以外は特に目立った動きもなく、『流星』は完全に沈黙したと言っていい。
一応、停戦協定を持ちかけておいて後ろから不意打ち、なんて未来を想像していたが、そういうこともなく、本当にただ監視しているだけのようだった。
まあ、監視に関してはしょうがない。停戦と言ってもそれはあくまで『流星』とだけであって、聖教勇者連盟とではない。堂々と後任が決まるまでの間、とか言ってたし、きっとそれが決まったらまたエルの命を狙う輩が来てしまう。
それは問題ではあるけど、これに関してはセシルさん達じゃどうしようもない。彼らはあくまで構成員であり、上に意見できるような立場ではないのだから。それこそ、召喚された勇者とかでなければ受け入れられないだろう。
だから、もしまた来たらその時はまた返り討ちにする。そして出来れば、そのまま諦めてくれることを祈る。
……もしもの時は聖教勇者連盟に直接止めるように言うのも手かもしれないね。
まあ、それはともかく、今はとても平和だ。
今のところは無事に憂いも晴れたということで、私はようやく兼ねてより計画していた旅を実行に移すことにした。
「忘れ物はございませんか?」
「うん、大丈夫」
私はいつもの制服姿から私服に着替えて町の外にやってきていた。
隣にはエルと、サリアとお姉ちゃんの姿がある。
そう、今から私は竜の谷へと向かうのだ。
元々、エルがここに来たのは私を連れ戻すためであり、それを今まで実行に移さなかったのは私がまだここにいたいと我儘を言ったからだ。
学園で忙しかったのもあるし、竜だとわかったからと言って私は人間としての生活を捨てたくなかった。だからこそ、エルは私のために慣れない人型を取ってまで一緒にいてくれたのだ。
しかし、学園も長期休暇に入り、エルをつけ狙う問題も片付いた。未だに人間としての生活を捨てたくないという気持ちは変わらないけど、私を守るために色々とややこしい封印を施してまで送り出してくれた両親に顔見せもしないままというのは少し気にかかる。
転移魔法という、一度行った場所ならば一瞬で移動できる魔法も修得したこともあり、ならば一度くらい顔を見せに行ってもいいのではないかと思いこうして向かうことにした次第である。
「竜の谷ってどんなところだろうな」
「私も噂で聞いた程度だから詳しくは知らないわね」
今回、サリアとお姉ちゃんも同行することになった。
本当は私とエルの二人だけで行くつもりだったんだけど、心配だからと一緒についてくることになったのだ。
幸い、エルが竜状態になれば二人くらい乗せたところで重荷にもならないし、連れていくこと自体は問題ない。ただ、竜の谷は本来人が立ち入るような場所ではないということが問題だ。
同族である私はともかく、もしかしたら竜に襲われてしまうんじゃないかと思うと気が気でないが、それでも私のことが心配らしい。
エルも事情を話せば大丈夫だろうというのでしぶしぶ了承したが、もしもの時は私が守らなくてはと強く思った。
「さて、それでは準備はよろしいですか?」
ここは町からかなり離れている。ここならば、エルが竜になったとしても騒がれる心配はない。
エルの言葉に頷いて返すと、エルは軽く返事をしてその場にしゃがみこんだ。
その瞬間、エルの身体が爆発的に膨張する。人間の皮を捨て、内に秘められた竜の姿が顕現していく。
その姿はあまりに流麗だった。目の冴えるような紺碧の体はまるで鏡のように日の光を反射して輝いている。私達が三人収まっても余りある翼を広げ、しなやかな尻尾は久しぶりの本来の姿に喜んでいるかのようにゆらゆらと揺れている。紺碧の鱗に覆われた顔は琥珀色の瞳を宿し、ぐるると低い声を上げてみせた。
普段のエルからは想像できない雄々しい姿。見上げるほどに大きな体躯はまさしく竜と呼ぶにふさわしい。
〈さあ、乗ってください〉
人間の言葉を喋れなくなり、代わりに竜語を使って言葉を伝えてくる。ただの鳴き声に聞こえるが、私にはちゃんと意味のある言葉として伝わってきた。
竜語を習った覚えはないけど、考えてみれば生まれたばかりの頃は竜が周りにいる環境で育ったのだ。その時に覚えていたのだとしても何ら不思議はない。
一応、これでも竜だしね。
「これが竜か……」
「実際に目の前で見るのは初めてかも……」
翼を下ろし、乗りやすいように屈んで見せる。その姿に私以外の面々は僅かに体を震わせていた。
私が頼んだのもあり、エルは今は魔力をだいぶ抑えている。エルが何の加減もなしに魔力を解放してしまうと、殺気にも似た威圧になってしまうからだ。
エルはそこのところ苦手らしいのだが、見る限りうまく制御しているように見える。
魔力を押さえていると若干もやもやとした感覚がするからあまりいいものではないけど、こればっかりは仕方ないよね。そうじゃないと、背中に乗るとか無理だし。
ただまあ、これだとエルの方も辛いだろうし、そもそも竜の谷には竜がたくさんいるという話だ。だから、私の方でも少しフォローしておくことにする。
「二人とも、大丈夫?」
「おう、なんともないぞ」
「ハクの魔法って何でもできるよね」
私がやったことは単純、防御魔法で二人の身体を魔力で覆っただけだ。
竜の威圧は魔力の直接的な干渉によって起こる。だから、その魔力を遮断してやれば多少はましになるはずだ。
実際、同じような状態である魔力溜まりではこの技は通用したし、その効果のほどはこうして二人が怖がっていない時点で実証されている。
もちろん、防御魔法だから物理的な攻撃に対しても多少の防御効果が見込める。これで不意に攻撃を受けることがあっても死ぬことはないだろう。
まあ、竜相手だったら気休め程度だけどね。
常時発動魔法だから私は常に魔力を消費しなくてはならないけど、ギガントゴーレム戦の時と違って魔法の改良はしているし、竜としての力が解放されたこともあって私の魔力は相当増えている。だから、丸一日魔法をかけ続けていたとしても問題はない。
「ならよかった」
「ありがとうな、ハク」
「ありがとう。ごめんね、我儘言っちゃって」
そもそも二人がついてこなければこんな魔法をかける必要もないという話だけど、だからと言ってそれを面倒とは思わない。
二人とも私のことを心配してくれているからこそついてきたと言ったのだし、私としても二人がいてくれた方が心強い。
だから、謝る必要なんてどこにもなかった。
「さ、乗ろう」
「おう」
「じゃあ、失礼しますね、エルさん」
〈はい。多少乱暴に乗っても大丈夫ですよ〉
まずお姉ちゃんが鱗に足をかけ、ひょいと背中に上っていく。その後お姉ちゃんが手を伸ばし、サリアを引っ張り上げた。
私はちゃちゃっとジャンプし、お姉ちゃんの前に着地する。
エルの背中は結構広く、私たち三人が乗ってもまだ余りあるほどの広さだ。
鏡面のような平たい鱗は掴む場所がなくて安定しないけど、それぞれ翼の付け根に掴まることで体を安定させる。
なぜか私はお姉ちゃんの腕の中に納まる形になったが、まあ別にどこでも問題はないからいいか。
「エル、いいよ」
〈わっかりましたー。それでは、行きます!〉
ばさり、とエルが翼を羽ばたかせると、竜の巨体が浮き上がった。
そのままぐんぐん高度を上げ、雲が真横に見えるくらいの高さまで舞い上がる。
風が頬を切る感覚に少し身を震わせたが、すぐにそれも安定し、ゆったりとした風が通り抜けるだけとなった。
どうやら周囲を氷の膜で覆い風を遮っているらしい。結構な高度にいるにも関わらず、思ったよりも風の冷たさを感じることはなかった。
〈それでは、竜の谷に向けてしゅっぱーつ!〉
軽く一声吠えて飛び進む。
果たして竜の谷とはどんなところだろうか。自分の両親とはどんな人なのだろうか。
期待と不安を胸に抱きつつ、私は空の旅を楽しむことにした。
感想、誤字報告ありがとうございます。