第二百二十六話:竜の咆哮
人間を始めとする多くの種族は神によって生み出されたと言われている。その中でも竜は最たるもので、その歴史は精霊よりも古い。
神は竜を世界の管理者とするために様々な力を授けた。強靭な肉体、多彩な魔法、空間を超える力。そして何より、すべての生物の頂点たる威圧感。
人は竜を前にすれば恐怖する。それは存在に刷り込まれた原初の恐怖であり、人が息をするのと同じように当たり前のことだ。だからこそ竜が、それも竜の王とされるエンシェントドラゴンの子が本気で威圧感を放ったらどうなるか、それは火を見るよりも明らかだった。
「ガアァァァアアア!!」
「ッ!?」
目一杯吸い込んだ息を吐き出せば、凶悪な雄たけびが響き渡る。それを聞いた瞬間、セシルさんの身体は面白いくらいに硬直した。
私がやったことはごく単純。ただ思いっきり吠えただけだ。しかし、人間に刷り込まれた原初の恐怖はそれを聞いただけでその力の理不尽さを呼び起こし、体を硬直させてしまう。
いくら【竜殺し】と名高い冒険者でもそれは変わらない。本当の理不尽の前にはそんな肩書塵と同じだ。
「なっ……えっ……」
先程まで獰猛な輝きを放っていた瞳は怯えの色に染まり、目の前の正体不明の恐怖に困惑しきっている。
そのせいか、私の身体にかかっていた重さがふっとなくなった。とりあえず、これで自由に動くことが出来る。
「ずっと考えてましたが、ようやくその力の正体がわかりました」
私は一歩セシルさんに向かって踏み出す。すると、セシルさんはそれに合わせるように一歩身を引いた。
両手を切り飛ばし、圧倒的に有利であるはずなのに勝てるビジョンが全く見えなくなってしまった謎の恐怖の正体に気付くことは恐らくないだろう。
「驚異的な加速、私を縫い留めた力、それにその剣速。あなたは重力を操ることが出来るんですね」
重力を操ることに関しては私も以前考察したことがあった。
その時はどの属性に分類されるのかわからず、結局風魔法で重さを軽減するという結論に至ったが、エルに空間魔法について教えてもらった今ではその使い方もなんとなく理解できる。
重力をかける方向を操作すれば圧倒的な加速も容易に実現できるし、相手の重力を重くしてしまえばその力によって動きを封じることもできる。自分にかかる重力を軽くすれば高くジャンプすることも簡単なことだろう。
なるほど、そう考えるとかなり便利な能力かもしれない。単純に相手の動きを封じてしまえるだけで大体の相手は降伏するだろう。重力を乗せた剣なら切断も容易だ。
「でも、ごめんなさい」
いくら強い力を持っていたとしても、こうしてスキルを使うことを封じてしまえば恐るるに足らず。
もはやセシルさんには戦う意志は残されていないだろう。だから、もう強い技にこだわる必要はない。
「私の勝ちでいいですね?」
身体強化魔法によって強化された跳躍で一気に近づき、水の剣を首筋に沿える。たったそれだけでセシルさんはへなへなと崩れ落ち、項垂れるように首を下げた。
返事がないことを肯定と受け取り、私は瞳を元に戻す。審判もいないので明確に勝敗が決まったわけではないが、セシルさんの心にはしっかりと刻まれていることだろう。
「お疲れ様です、ハクお嬢様」
勝負が終わると見るや否や、エルが近づいてくる。その手には斬り飛ばされた私の腕が握られていた。
「これを。ハクお嬢様ならくっつけるのは簡単でしょう?」
「まあ、うん」
治癒魔法は欠損などの傷はすぐには治せないが、切断されたものが残っているのならすぐにくっつかせることもできる。今の私の回復力なら時間もかからないだろう。
私はエルに腕の断面を合わせてもらうと、治癒魔法を行使する。すると、ものの数分で腕は元通りにくっついた。
「これでよかった、んだよね?」
この戦いはセシルさんの憂さ晴らしに近い。確かに私がルナさんにトラウマを植え付けたことが原因とは言え、それはルナさんの自業自得だし、私にそこまでの責任はないはずだった。
それに付き合ったのはセシルさんの気持ちに同意したからであり、勝負に乗った時点で義理は果たしている。だから、勝負に勝ってしまったとしても特段問題はないはずだ。
ただ、とっさにやってしまったけど、これによってセシルさんまでトラウマを抱えてしまったらどうしようと今さらになって後悔する。
倒し方はいくらかあったけど、せっかくだからと試したくなってしまったのはいけなかったかもしれない。
放心状態のセシルさんを見て少し気の毒に思ってしまった。
「ひとまず、放っておくわけにもいかないから運ぼうか」
先程竜の咆哮を使ったからしばらく近くに魔物は寄ってこないと思うけど、流石にこのまま放置していくわけにもいかない。私は二人を風魔法で浮かせると町に戻ることにした。
途中、門番が慌ただしく走り回っているのを何事だろうと思いつつも今は二人のことをどうにかしなければと宿へと急ぎ、部屋へと帰宅する。
部屋内は特に変わりなく、ベッドで横になっているルナさんにエミさんが寄り添っているという構図だった。
「あ、お帰りー……セシルお兄ちゃん、どうしたの?」
「まあ、ちょっと色々ありまして」
困惑するエミさんに適当にはぐらかしつつ事情を説明する。
竜の力については当然秘密だ。せっかく丸く収まりそうなのにここで余計な火種を放り込む気はない。
まあ、セシルさんはワンチャン気づいた可能性はあるけど、この様子なら深くは追及してこないだろう。
私はセシルさんとシンシアさんをエミさんに任せ、宿を後にする。
ふぅ、と息を吐き、ようやく面倒事が片付いたと胸を撫で下ろした。
「それにしてもハクお嬢様、あの程度で済ませてよろしかったのですか?」
「あの程度って……十分すぎると思ったんだけどな」
正直、竜の力を甘く見ていた。
気持ち的には竜の威嚇を使えばビビってくれるかな程度の感覚だったのであれほど怯えられるとは思っていなかった。エルにちらっと聞いただけの知識を披露した結果、またトラウマ持ちを増やしてしまったかもしれないと思うと少し胸が痛い。
いくらエミさんが何でも治せる凄腕のヒーラーとはいえ、流石に精神的な病は治せないようだったから。
とはいえ、これで彼らは心の底から私達と敵対する意思をなくしたことだろう。仮にも【竜殺し】の称号を持つ冒険者があれほどまでに怯えたのだ、その効果は覿面だったに違いない。
これでエルをつけ狙う輩は消え、しばらくは安寧とした日々を過ごせることになるだろう。
確かに悪いとは思っているが、それ以上にエルの安全を確保できたことの方が大事だった。
『竜はやることが過激すぎるわ』
アリアが【念話】でぼやいている。
竜は力を持っているが故に加減をすることを知らない。いや、知らないわけではないだろうが、難しいと言うべきだろうか。
今回私がやったような方法は竜にとっては挨拶みたいなものであり、物足りないって気持ちがあるのだろう。決してエルが好戦的だというわけではないはず。
私も竜の一端として力の制御には力を入れなければならないかもしれない。
より一層精進すると誓い、私は寮へと戻るのだった。
感想、誤字報告ありがとうございます。