幕間:ささやかな宴会(後編)
下級貴族の令嬢アリシアの視点です。
前話で言った通り、今日は二話投稿です。
この世界で酒というのは結構身近なものだ。
嗜好品としてだけでなく、料理に使ったり、薬に使ったりとその用途は広い。
年齢による飲酒制限もないし、場所によっては水の代わりに酒を飲む場所もある。
この国でも、体を温めるためという理由で子供でも冬にはよく飲まれていた。かくいう俺も何度か口にしたことがある。
「それ、お酒だよね。なんでエルがそんなものを持ってるの?」
「なんでって……ああ、今のハクお嬢様は覚えていらっしゃらないんでしたね。酒は竜の間でも身近な飲み物なんですよ」
瓶をテーブルに置き、さらに陶器のカップを用意しながらそう呟くエルさん。
竜が酒を飲んでいるというのは聞いたことがなかった。
竜達が酒を飲み交わしている姿を想像してみる。
飲み交わすというか、竜の姿でどうやって飲んでいるんだという問題もあって全然想像できなかった。
あれかな、湖が丸ごと酒にでもなってるのか?
酒は錬金術でも作ることが出来ると聞いたことがあるけれど、そうやって作り出したのだろうか。
それとも、エルさんのように人の姿になって飲んでるのかな。それなら、まだ納得できそうだ。
「ハクお嬢様もいつも飲んでおられましたよ。ただ、竜としては少々弱かったようですが」
懐かしむように目を細めながら思い出話を聞かせるエルさん。
そういえば、ハクの正体が竜ってことは、ハクの親も竜ってことだよね? となると、ハクは何らかの理由で親と離れ離れになって、その後人間として人間の親に育てられたってことになるのか。
なんとなく、エルさんとハクの関係性が見えてきた気がする。
「酔って私に甘えてくる姿はそれはもう可愛らしくて……」
「やめて」
慣れているのか、手際よくカップに酒を注いでいく。
人数分用意されたカップをそれぞれの人の前に差し出すと、エルさんは自分のカップを手に取った。
「ねぇ、これって竜酒じゃないの?」
「おや、よくご存じですね。そうですよ」
竜酒、というのは聞いたことがなかったが、サフィさんによると竜が作ったと言われるかなり度数の高い酒らしい。
かなりの高級品で、製法も謎なことから幻の酒とも言われている一品なのだそうだ。
「それ、飲んだことあるぞ。結構辛いけど、美味しいよな」
「おお、飲んだ方がいらっしゃいましたか。人間には辛すぎると言われますが、私達の魔法で作った由緒あるお酒です。他の方も気に入られると思いますよ」
意外にもサリアはこの酒を飲んだことがあるようだ。
今は亡き例の組織から貢物の一種として贈られたようなのだが、結構気に入っているらしい。
俺が飲んだことがあるのは甘めの果実酒とかだけなので正直合うかどうかわからないが、そう言われると少し気になってくる。
「これ、みんな酔っぱらっちゃったらまずいんじゃないの?」
「いえいえ、大丈夫です。この程度の量であれば私は絶対酔いませんし、ハクお嬢様も酔わないと思いますよ」
以前はいつも三本くらい空けていましたからとからからと笑うエルさん。
それは普通に飲みすぎだと思うんだけど、それでようやく酔うというならハクは相当酒に強いはずだ。
まあ、万が一があれば扉の外に執事が待機しているし、後始末はしてくれるだろう。
でも、父や母に醜態をさらすわけにはいかないから俺はちょっとおとなしめに飲んでいこう。
「では、皆さんカップをお持ちください。ハクお嬢様が見つかったことに対して、そして、皆様にとってはハクお嬢様の正体を把握したということに対して、乾杯したいと思います」
エルさんの言葉に、ああ、やっぱり探していたんだなと思いながらカップを手に取る。
若干不安そうなハクも渋々ながらカップを取り、全員で小さくカップをぶつけ合った。
「乾杯!」
「「「「乾杯」」」」
結構辛いということなので恐る恐る口を付けてみる。
舐めるように酒を掬い取って口に運ぶと、その瞬間ほんのりとした甘みを感じられた。
あれ、意外と大丈夫?
そう思ってさらに口に含んでみると、すぐに喉元にもの凄い熱さを感じた。
「ッ!?」
思わずせき込みそうになるのを口元を押さえて耐える。
これは、ダメだ……!
まだほんの一口しか飲んでいないというのに全身がどんどん火照っていく。
頭の中がふわふわととろけるような酩酊感。しかも、それでいてもっと飲みたいという欲求が湧き上がってくる。
それはまるで毒のようにじわじわと広がっていく。気が付けば、私は二口目を口に含んでいた。
「あふ……」
俺は元々高校生だった。飲んだことがあるのは子供の時に興味本位で一口だけ口にしたビールだけであり、酒の経験はこの世界に来てからがほとんどだ。
強いか弱いかと言われれば、普通だと思う。少なくとも、果実酒を数杯飲んだ程度ではそこまで酔うことはなかった。
だけど、これは違う。今まで飲んだどの酒よりも強いのに、なぜか飲みやすいと思えてしまう口当たりの良さ。
飲むたびに喉が渇き、まるで喉を潤すために水を飲むかの如く躊躇なく手が動いてしまう。
慎重にちびちびと飲み始めた私でこれなのだから、他の人はどうなっているのだろう。
暑くてぼーっとする視界の中、周囲の人に目を向けてみる。
そこには、惨憺たる光景が広がっていた。
「ぷはっ……ハクはな、凄く可愛いんだ……いつも私の後にくっついてきてね……」
まず目に入ったのはサフィさん。
酒の知識もあったし、それなりの経験もあったのだろう。それなりに強いのだと思っていたが、とろんとした目で酒をあおりながら聞いてもいないハクの自慢話を繰り返す様はいつものほんわかとした雰囲気からは想像もできなかった。
時折微笑を浮かべ、焦点の合わない目で誰に聞かせるでもなく話し続ける様は異様と言っていい。
時たま、エルさんが、あ、それわかります! とか適当に相槌を打っているが、多分サフィさんには聞こえていないだろう。
「あははー! やっぱりこれ美味しいな! ハク、もっとのめのめー!」
続いてサリア。
一度飲んだ経験があると言うのは伊達ではないのか、最初は割とおとなしく飲んでいたようだったが、エルさんに勧められるがまま飲んでいったおかげか今ではすっかり出来上がってしまっている。
笑い上戸のようで、終始うるさいくらいの笑い声を上げながらハクに絡む様は典型的な酔っ払いという感じだった。
「いかがです? これでも少し記憶が蘇ったりしませんか?」
絶対に酔わないと豪語していたエルさんは有言実行しているらしく全く様子が変わらない。
サリアに酒を勧めたり、サフィさんの相手をしてあげたり、ハクを気遣ったりと冷静に立ち回っている。
「……」
そして最後にハク。
最初こそ、あまり気乗りしなさそうな雰囲気でちびちび飲んでいたが、サリアやエルさんが勧めるのもあって飲む量はどんどん増えていった。
しかし、やはり強いのか表情一つ変えることなく飲み進めている。
このままでは俺は早々に潰れそうだし、これはエルさんとハクのお世話になるかなと思っていた、その時だった。
「……えへ」
ハクの表情が崩れた。
いつもは笑ってもわずかに口角が上がるくらいでほとんど変化の見えないハクの表情が完全に崩れ、ふにゃりとした笑みを浮かべている。
これは何事かと一瞬酔いが冷める。見間違いかとも思ったが、目を擦ってみてみてもその表情は変わらなかった。
やがて、ふらふらと立ち上がると、近くにいたサリアに向かって歩き出す。
酔いのせいで笑いが止まらないサリアはそれに気づくことなく、酒をかっ食らっていた。
「さりあ、すきー……」
「んぇ? んむぅ!?」
何をするのかと思えば、いきなり抱き着いたかと思うとその唇に自分の唇を重ねた。
濃厚なキスはしばらく続き、驚きで目を見開くサリアを尻目に押し倒すように深く口付けていく。
やがて唇が離れると、サリアはよくわからない表情になって呆然としていた。
「おねえちゃん……」
「ああ、ハク、可愛いよ……」
ハクの暴走は止まらない。
次いで反対側に座っていたサフィさんの下に近づくと、同様にキスを落とした。
身長差のせいか最初は唇まで届かずに胸に顔を埋める羽目になっていたが、すぐさま持ち直し、膝の上に乗って距離を稼ぐと見事にキスをしてみせた。
その時のサフィさんの幸せそうな表情と言ったら後で本人に語って聞かせたいほどだ。
流れるように今度はエルさんにも口付けをすると、軽くジャンプしてテーブルを飛び越えてきた。つまり、私の目の前に来たのである。
「ありしあぁ……」
「ま、待って、ハク、私達そういう関係じゃないでしょ? お、落ち着いて?」
一連の騒動を見てしまったおかげか割と頭が回るようになっていた私は必死に後退る。しかし、所詮は部屋の中であり、ソファに座っている今の状態では軽く上体をそらす程度の抵抗しかできなかった。
とりあえず待って欲しい。
俺は転生者で、前世は健全な高校生男子だった。そして、目の前にいるハクも年齢は知らないが前世は男だと言っていた。
つまり、男同士でキスをするという特定の層が歓喜しそうなあまりよろしくない状況になってくる。
そりゃあ今でこそ体は女の子だし、ハクの容姿は正直性別が変わっていなかったら告白していたかもしれないほど整ってはいるが、だからと言ってキスしていいという理由にはならない。
ハクの目は完全にイってしまっている。もう、ハクの中では好きな人(恐らく恋愛方面ではなく親愛方面の意味で)にキスという形で感謝を表すということしか頭にない。
俺の必死の抵抗もむなしく、押し返す手を強引に広げられて顔を近づけられた。
「すきー……」
「ちょ、まっ……むぅぅ!?」
前世を含め、俺のファーストキスはこうして奪われた。
初めてのキスの味はとても甘く、柔らかく、そして酒臭かった。
後日、酔いがさめたハクに土下座されるという事態があったが、酒の席だったということもあり、俺も水に流すことにした。
まあ、うん、そんなに悪くなかったしね……。