幕間:父からの指令
オルフェス王国王子アルトの視点です。
ハクが竜人の子かもしれない。それはハクの身体に竜の翼の特徴が表れてから考えていたことだった。
調査の結果では親はごく普通の人間だとあった。そして、身内であるサフィにはその特徴が現れなかったことから、ハクだけが魔族返りのような特殊な理由によって遠い昔の竜人の血が呼び起こされたと思っていた。
竜人は昔、魔王側につき、人類と争った経緯を持つ。
今でこそ、オルフェスのように多種族国家となった国では竜人も獣人の一種ととらえ、きちんと人権が保障されているが、一部の国では未だに迫害が続いている。
ハクが竜の翼をきちんと制御し、どういう理屈か自由に出し入れできるようになったおかげで特に問題になることはなかったが、もし露呈すればハクの地位は危うくなるかもしれない。
もし、学園で何かの拍子にばれるようなことがあれば、自分の権力をフルに使ってもみ消してやろうと思っていた。
しかし、ここに来て自分の考えが間違っていたのだと気づかされることになる。
「アルト、少しいいか」
学園の授業が終わり、定期的に行われている王宮への報告、つまり父との謁見の際、ふと呼び止められた。
報告と言ってもそんな大したことではない。学園ではうまくやってるかとか友達はできたかだとか、身の上話が大半だ。
まあ、最近ではハクとサリアが入学してきたこともあって彼女らの動向もさりげなく報告するように言われているが、以前にサリアが糾弾される事態が起こったこと以外は特に何か起こったわけでもなく、仲睦まじい様子で問題ないと報告しているに過ぎなかった。
自分の報告に何か不備でもあったのかと首を傾げたが、父の口から飛び出してきたのはそれとはまったくの別件だった。
「お前は聞いているか? エルという少女について」
「いえ、存じませんが……」
そういうあだ名で呼ばれている生徒についてなら多少心当たりがあるが、彼女らは特に問題を起こしているわけでもない普通の少女達だ。父がわざわざ話題に出すような人物とは思えない。
何のことかわからず続きを促すと、父は少し言葉に迷っているようにちょくちょく間を開けながら話してくる。
「昨日、学園に運び込まれた少女だ。その様子だと、まだ噂は広まっていないようだな」
「はぁ……」
エルが学園の門の前で倒れていたというのはごく一部の人にしか知られていない。
最近はハクにちょっかいをかけることも少なくなり、真面目に授業を受けているだけだったため真新しい噂を聞き逃していたのかもしれない。
「そのエルという少女がどうかしたんですか?」
「ああ。彼女の正体は、竜だ」
「……は?」
竜、確かに父はそう言った。
確かに、竜は人の姿に変化する能力を持っており、時折町を訪れることがある、と学園では教わっている。
その容姿は様々で、幼い少女の姿の時もあれば老練な男性という説もある。竜としての特徴はほとんどなく、端から見れば人間と変わりがないという。
そんな存在が学園に来ている? 何の冗談だ?
「それは、本当なのですか?」
「もちろんだ。昨日、ハクと一緒に呼び出して確認したから間違いない。あの威圧感、少なくとも人間のものではなかった」
父は人の良し悪しを見る目を持っている。それは勘がいいとかそういうことではなく、スキルとして人の本質を見抜くことが出来るというものだ。
だから、幼い容姿のハクが英雄だと言われても信じたし、その腕を信じたからこそその力を見てみたいと思って模擬戦をさせたりした。
そんな父が言うのだから間違いないのだろう。
竜、人類の脅威と目される存在がなぜこんな場所まで来たのか……。
「よく、ご無事でしたね。下手すれば城ごと町をめちゃくちゃにされていたでしょうに」
「元々敵対するつもりなら初めからそうしているだろう。あの竜は争う気はなく、ただハクを迎えに来たのだと言っていた」
「ハクを? なぜ?」
竜がハクを迎えに来た。それを聞いた時、やはりハクは竜人の子なのだなと確信した。
竜人とは竜と人が交配して生まれる種族で、人間にはない高い魔力を持っていることが特徴だ。
恐らく、ハクは例の事件で失われていた力を呼び起こし、竜人としての力を取り戻した。そして、それを何かしらの理由で知った竜が同胞として連れ戻しに来た、と考えれば辻褄は一応合う。
ただ、そうだとしてもハクを連れていかれることに納得なんかできない。
ハクは確かに竜人の子かもしれないが、竜人と竜が一緒に暮らすことはほとんどない。
多くの場合は人としての部分が強く出てくるため、よほど竜に寄った容姿で生まれるなどしない限りは竜の生息域では生活することすらままならない。
ハクはどう考えても人間寄りだ。とてもじゃないが、竜の住む場所で共に暮らすことなどできないだろう。
もし、竜がそれを理解していないのであれば、私は竜に交渉を挑まなくてはならない。
それに何より、まだ恋仲にもなれていないのにハクを手放すなんてまっぴらごめんだった。
「その竜が言うにはな、ハクは竜の子だというのだ」
「……竜の子? 竜人ではなく?」
「ああ。それも竜の中でも強力な、エンシェントドラゴンの子らしい」
一口に竜と言っても種類があり、ワイバーン等の下級の竜もいれば飛竜のように各地を飛び回る斥候のような役割を持つ竜、それぞれの属性を持った戦闘主体の竜など様々なものがいる。
その中でも、エンシェントドラゴンはすべての竜の頂点と目される存在で、その強さはそこらの竜とは比べ物にならない。
「ではその竜は……」
「あれも恐らくエンシェントドラゴンの一種だろう。そんな存在がハクに対してはとても敬意を払っていた。つまり、そういうことなのだろう」
父がその言葉に疑問を抱かなかった時点で、ハクはやはりそういう存在なのだろう。
竜人ならばまだ納得できたが、竜となればもうどうしていいかわからなかった。
ごく一般的な理論を持ち出すなら、竜は悪だ、竜は死すべしと敵対するのが普通なのだろう。しかし、ハクを相手にそんなことが出来るかと言われたら絶対にできない。
これまでの経緯を見てきても、ハクは人が好きだ。
困っている人は見過ごせないし、自分のことより他人のことを優先するような優しい心を持っている。なのに、竜だから倒しますって? そんなこと言えるわけない。
ならば何が正解なのか。ここで竜の少女が言っていたことを思い出す。
彼女はハクを迎えに来たと言ったらしい。つまり、仲間であるハクを自分の住む場所に連れて行こうというのだ。
事を荒立てることなく、二匹の竜はいなくなる。それが最も人々を救える選択肢なのだと気づいた。
ハクと別れる。そんなことはしたくない。だけど、ここで話を断れば竜は王都を攻撃するだろう。選択の余地などないようなものだ。
一縷の望みをかけて戦いを挑めば、多大な犠牲は出るだろうが勝てる可能性もある。ただ、ただ要求をのめば誰も死ぬことがないのに、自分が好きな相手を連れていかれたくないからと戦いを挑むなんてこと、上に立つ者としてできるわけがなかった。
ずきりと心が痛む。まだ、会ってからそんなに経っていないというのに。まだ、全然話足りないというのに……。
「では、ハクはもう……」
「いや、それが妙なことになってな」
「はい?」
ハクはもう諦めなければならないのか。重々しく開かれた私の言葉を父は困ったように表情を変えながら返した。
「ハクはこのまま学園に残ることを希望し、それに伴ってエルは学園に入学する手はずとなった」
「……は?」
「それに伴って、数日後にはBクラスの生徒として編入することになる。お前には彼女らをそれとなく監視し、逐次報告してもらいたい」
「え、え?」
竜が学園に入学する? この父は何を言っているのだろう。
ハクが学園に残りたいというのはわかる。今まで人間として暮らしていたのだから離れるのは辛いだろう。だが、それでなぜ竜が学園に入学することになるのか、それがわからない。
父だって竜の危険性はわかっているはず。ハクを手元に置いておきたいのだとしても、ここで渋って敵対するくらいなら手放した方がましのはずだ。
仮に交渉が成立し、竜が敵対しないのだとしても学園に入学させるなんてリスクが高すぎる。
竜はプライドが高く、気まぐれなのだ。ハクに対して敬意を払っていたとしても、いつ生徒達に牙を剥くかわからないのに。
困惑が表情に出ていたのだろう。父はふっと笑ってこう続けた。
「大丈夫だ。彼女らに敵対の意思はない。私が保証する」
自信満々に言い放つその姿は一人の父親ではなく、国の王としての風格が漂っていた。
なるほど、父がそう言うのなら間違いはないのだろう。そういう采配において、今まで父が間違ったことはない。
むしろ、竜を抱え込んだと考えて前向きに考えた方がいいのかもしれない。
「そういうわけだ。頼んだぞ、アルト」
「……かしこまりました」
ハクが竜だった。それはとても衝撃的なことだったし、これからの接し方を考えさせられるほどには心に来る内容だった。
しかしそれでも、ハクはここにいることを望み、今しばらく離れることはなくなった。
竜というおまけが増えてしまったことは考えなければならないけど、それ以上にハクがここにいたいと言ってくれたことが嬉しかった。
その言葉にはきっとサリアやサフィ、他の友達などがいたからこそという思いが込められているのだろう。その中に、私も入っていたらと思う。
妙な雰囲気の中、私は父の前を後にした。
入学してくるという竜の事を気にしつつ、久しぶりにハクを誘ってみようかとそう思った。
感想ありがとうございます。