第百九十話:私の居場所
「お待ちください!」
ふと、私の身体に抱き着く者がいた。
冷めた瞳に映るのは動揺した様子のエルの姿。
怯えているのか、その瞳はゆらゆらと揺れている。
私は構わず手を上げたまま、魔力を練り上げていった。
魔法陣など使わなくとも、膨大な魔力の流れがあれば干渉することは可能だ。
申し訳ないとは思っている。でも、私にはもはや居場所はない。
ならばせめて、私の事を知る者は少ない方がいい。
「申し訳ありません! ごめんなさい! 何でもしますから今少し話を! 話を聞いてください!」
そうか、エルも影響を受けてしまっているのか。
エルは竜だから大丈夫だと思っていたけれど、それほど私の魔力は膨大なのだろうか?
エルに恨みはない。いや、恨みのある人物などいないけど、同じ竜であるエルまで巻き添えにする必要はないだろう。
唯一の理解者と言ってもいい存在だ。ここでなくすには惜しい。
私がちらりと目線を送ると、エルは冷や汗を垂らしながら懸命に言葉を紡いだ。
「先程の言い方は語弊がありました! ハクお嬢様は人間ではございませんが、同時に人間でもあるのです!」
「……どういうこと?」
人間じゃないのに人間でもある。明らかな矛盾だ。
私はエルに続きを促す。
私が聞く気になったことを喜んだのか、エルは僅かに表情を緩ませた。
「ハクお嬢様の身体はリュミナリア様によって作り出されたものです。いわば魂の器、腹を痛めて産んだ子供というわけではないのです」
「えっ……?」
「その時に作りだされた身体は精霊を元に作られたもの。だから、魔力生命体と言うだけで身体構造的には人間と変わりないのです。また、脱出の際に掛けられた暗示は人間の身体に適応するようにかけられたものと聞きました。つまり、ハクお嬢様は人間と言っても差し支えないのです」
よくわからなくなってきた。
基本的に生物は雌雄が交配して生まれるものだが、稀に精霊のように自然発生する者もいる。だから、腹を痛めて産んだ子ではないと言われてもなんとなく理解はできる。
だが、竜である両親がなぜ人間の身体を元にした子供を作ったのかがわからない。
竜は種としてかなり強力な個体だ。子供であっても竜であるというだけでSランク級の討伐対象とされている。
わざわざ脆弱な人間の身体を素体とする必要はないし、ドラゴンの間に人間の姿の子供がいたら不自然だろう。竜の近所付き合いがどういうものかは知らないが、奇異の目で見られることは間違いない。
なんのためにそんなことをしたんだろう。
結局私は竜なのか、人間なのか。
「ご主人様はおっしゃいました。ハクお嬢様の顔が見たいと。しかし、ハクお嬢様が人間としての生活を満喫されているのであればそれを支援し、見守るようにと。ハクお嬢様が望まれるのならば、今の生活も続けられましょう。無為にお友達をなくされる必要はないはずです!」
「……いいの?」
「はい! すべてはハクお嬢様の御心のままに!」
なんだ、そうか。私はここにいてもいいんだね。
竜になったからには私に居場所なんてないと思っていた。でも、そうではなかった。
エルは今の生活を続けてもいいんだと言ってくれた。私のかけがえのない人達と共に過ごしていいと言ってくれた。
すっと心に静寂が戻ってくる。凍てついていた心臓が動き出し、体中に血を供給し始める。
気が付けば私は元の姿に戻っていた。
背中とか靴とか色々と酷いことにはなっているけど、元の白い肌をした人間の姿。
自分の存在が認められたような気がして、思わず涙が零れた。
「は、く……?」
恐る恐ると言った体でサリアが話しかけてくる。
錯乱していたとはいえ、あれだけの魔力の奔流をぶつけられたのだ。本来なら気絶してもおかしくない。実際、先生方は気絶してしまっているようだった。
辛そうではあるけど、それでも私のことを気遣ってくれるその姿に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
サリアをこの手で消そうとしていたという事実が重くのしかかり、罪悪感が胸を締め付けた。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、それはいいけど……大丈夫か?」
ボロボロになった服を纏い、その場に頽れて泣きじゃくる少女。端から見たら私はそんな状態だった。
きっとサリアには私がなぜあんなことをしたのかも、なぜ泣いているのかもわかっていないだろう。
下手をすれば殺されていたかもしれないなんて思いもせず、ただただ私のことを心配してくれるその姿にさらに涙が溢れてきた。
「私は、ここにいてもいいの……?」
「ハク……」
「私は、人間でいていいの……?」
エルに認められたとはいえ、どうしても不安に思ってしまう。
私はまごうことなく竜だった。たとえその特徴を隠せたとしてもその事実は変えられない。
人間としての身体を与えられ、人間としてのふるまいをするように暗示をかけられ、人間として育った。
それをこれからも続けていいものかどうか、今一度示して欲しかった。
縋るように見つめる私を見て、サリアは少し表情を緩ませる。そして、優しく、それでいて力強い声で宣言した。
「当たり前だろ。ハクは人間だ。ちょっと翼や尻尾が生えるだけのただの人間。それ以上でもそれ以下でもない」
「ッ!? サリアぁ!」
がばっと思い切り抱き着く。
思いの外力が強かったのか、サリアはそのまま私を受け止めて床へと倒れ込んだ。
はっとなって頭とかを打ってないか心配になったが、私を優しく抱き留め、頭を撫でてくれている様子を見て大丈夫だと悟った。
私はその後、しばらく泣き続けた。
人間としての私を否定され、自暴自棄になって暴れてしまった私。
今考えたらもの凄い失態だ。
仮に私が竜そのものだったとしても、わざわざ騒ぎを起こす必要なんてない。別れを告げるなり、何も言わずに去るなりすればいい話だった。
私には居場所がないと錯覚し、私を認めてくれる者はいないと愚考した結果がこの始末。
もし、この場にいたのがサリアでなかったらきっと私は潰れてしまっていただろう。
魔力の奔流は辛かっただろうに、必死になって止めてくれたエルと私を人間だと認めてくれたサリアには感謝しかない。
「落ち着いたか?」
「……うん」
ようやく落ち着いた頃にはすでに日が落ちてしまっていた。
気絶していた先生達も目を覚まし、部屋の惨状に目を丸くしていた。
衝動的に放った魔力の奔流は仕切りを吹き飛ばすだけに飽き足らず、部屋の中にあったものをすべて吹き飛ばしてしまっていた。
散乱する薬品瓶の欠片、散らばる書類、転がったベッド。
まだ本気で放つ前の状態でこれだ。もし完成していたら部屋が爆発していたかもしれない。
そう思うとぞっとした。
「何が起こったのかよくわからないが……」
「ひとまず、片付けですかね」
保健室の利用者は割と多い。
特に、魔法実技が盛んな上級生の間では暴発や誤射などで怪我することも珍しくない。
そのために保健室は校舎ごとに設置されているが、その一つがこの惨状では流石に使い物にならないだろう。
この惨状にしてしまったのは私のわけで、しかも中には貴重な薬品などもダメにしてしまったことを考えると被害は結構大きいかもしれない。
恐縮するとともに、何としても今日中に復旧するのだと心に決めた。
感想ありがとうございます。