第百八十八話:少女の正体
「それで、あなたは誰なんですか?」
よほど私と会えたことが嬉しかったのかとにかくスキンシップが酷かった。
抱きしめたり胸に顔を埋めたりキスしようとしてきたり……おかげで精神的にだいぶ疲れた。
エランダさんがお茶を入れてくれたのでみんなで人心地つくとようやく落ち着いてきたらしい。
ベッドの上で女の子らしい座り方をしながら私を見る目は未だにキラキラ輝いているけど、話ができる状態になってくれたのならよかった。
「え、私のことをお忘れですか? 酷いです! 生まれた頃からずっとお世話してまいりましたのに……」
よよよ、と涙を拭う真似をしてみせる少女。
生まれた頃からって……私の家にこんな子はいなかったはずだ。
私の家は使用人が雇えるほど裕福ではなかったし、この子の歳から考えると私が生まれた頃だとせいぜい7、8歳くらいだろう。
貴族家とかならともかく、そんな子供が使用人の真似事をしているのはおかしい。
「あ、でも、あの頃はまだ魂が定着していませんでしたし、今は記憶の封印があるんでしたね。失礼しました」
「魂……? 封印……?」
「では改めまして。私はエル・ハーゲンレイ。ハクお嬢様専属の補佐役を務めていた者です」
色々と気になる単語は出てきたが、とりあえず名前が聞き出せた。
私の補佐役……? そう聞いてもやはりぴんと来ない。
私の記憶の中にそんな人物は存在しない。補佐された記憶もない。
でも、その名を聞いた時、ふと安心感を覚えた自分がいる。
このエルという少女が嘘を吐いているとも思えない。どうせ吐くならもっと辻褄が合う嘘を吐くはずだ。
一体どういうことだ?
「私、あなたのことは知らないんだけど……」
「ええ、存じております。記憶の封印がかかっているのですから無理もありません。ハクお嬢様に忘れられてしまうのは少し寂しいですが、これも必要な処置だったと心得ております」
「記憶の封印って……どういうこと?」
私は何か大事な記憶をなくしている?
いや、でも私は記憶力はいい方だ。今までの記憶はほぼ覚えているし、そうそう忘れるとも思えない。
封印ということは、誰かが私の記憶を封じたってことだ。
かけたとしたら、それは幼少期。私が物心つく前だと思われる。
あれかな。何かとてつもなく怖い目に遭って、トラウマを抱えないために記憶を封じた、とか?
だとしても、記憶を封じるなんてもはや呪いの類だ。
私の記憶を封じたという人は悪人なのではないだろうか?
「順番にご説明いたします。と言っても、私も詳しく知っているわけではないのですが」
エルさんが言うには、まず、私はとても危険な状態にあったらしい。
敵対勢力に攻め込まれ、あと一歩で私や私の両親が手にかかるという土壇場。その時両親は私を守るためにエルさんに私のことを託したのだという。
敵に見つからないように暗示をかけ、記憶を消し、私が逃げのびた先で溶け込めるようにと色々手を打ったらしい。
エルにもなぜ記憶の封印やらが必要だったのかはわからないらしい。ただ、恐らくだけど知っていると不都合があったのだと思う。
逃げた先で下手に色んな事を喋って敵に見つかることを危惧したのか、まっさらな状態で新たに人生を始めて欲しいと思ったのかはわからないが、必要な措置だったのだろう。
「私はこの大陸に逃げのびた後、ハクお嬢様をとある森に封印しました。敵の事を考えると、すぐに見つかるわけにはいかなかったので」
その後、追跡されることを恐れ、また敵を食い止めるために即座に舞い戻ったらしい。
そして、どうにか生き延び、今になってから私を探しに来たというわけだ。
なんというか、その……。
「冗談、だよね?」
とてもじゃないが信じられるような内容ではない。
まず、敵対勢力ってなんだよって話だ。
ここ、オルフェス王国は確かに隣国の一つと昔戦争状態になったと聞いたことがあるけれど、それは私がいた村とは反対側だ。
それにあんな辺境にある村、意識して立ち寄ろうと思わない限り来れるような場所ではない。
それに両親がそんな命がけで私を守ろうとするって言うのもおかしい。
あの両親は確かに最初こそ優しかったけど、私に魔法の才能がないとみるや捨てるような畜生だ。
百歩譲って助けようとしてくれたのだとしても、記憶を封印するなんてことが出来ようはずもない。ただの農民なんだから。
攻め込まれたというのならあんな小さな村がまだ残っているというのも不自然だし、どうにも話が噛み合わない。
「冗談ではございません。ですが、記憶を封印されている今では信じがたいのも事実でしょう。封印を解ければいいのですが、かなり強力な封印なため私はおろかハーフニル様でも解けるかどうか……」
もし記憶が封印されているというのなら、迎えがきて必要なくなった今解けば一番手っ取り早い。
だが、それはできないのだという。かけた本人ですら解けないというのだから相当強力なのだろう。
「ですが、解く方法はあります」
封印と言っても完全ではなく、私に関連する場所や物を見ることによって少しずつ解かれていくらしい。
仮に戦いによって死んでしまったとしても解けるようにそういう封印を施したというのだ。
でも、だとしたら一つ疑問がある。
「それなら、エルさんを見た時に封印が緩みそうなものだけど……」
もしエルさんの話を鵜呑みにするとしたらエルさんは幼い頃から私の傍にいたはずだ。
私に所縁のある場所や物に反応するなら当然エルさんにも反応するはず。
なのに、エルさんの名前に多少の安心感を覚えた以外は特に思い出すことはなかった。
「ああ、それはこの姿だからでありましょう。この姿をハクお嬢様にお見せするのは初めてですから」
「この姿、って?」
「うーん、ここでお見せするには狭すぎますね。なので、一部だけお見せいたしましょう」
エルさんはそう言ってベッドからおもむろに立ち上がり、私達に少し離れるように言う。
仕切りで小さく仕切られただけの場所なのでそこまで離れることはできないが、一歩引いた程度でエルさんは頷いた。
そして、何か踏ん張るように両手を握り締める。すると、彼女は小さく呻き、その場に蹲った。
「だ、大丈夫か……?」
エランダ先生が心配して近づこうとした時、それは起こった。
蹲った彼女の背中がググっと盛り上がる。
それはやがて薄く、大きく変化していき、やがて一つの形を作り出す。
メタリックな質感を持つ紺碧の翼。翼膜はわずかな光に反射して白く輝き、夜空に浮かぶ月のような静かな美しさを表している。
それは形や色は違えど、私と同じ竜の翼だった。
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