第百八十六話:保健室へ
ちょっとしたハプニングもあったが、あの後特に何か絡まれるということもなく、無事に翌日を迎えることが出来た。
多分、マックスさんが色々言い含めてくれたと思うし、しばらくはちょっかい掛けてくることはないと思うけど、私が原因でサリアに何かあったら困るから少し心配だ。
同じ学年とはいえクラスが違うし、そうそう出くわすこともないと思うけど、ちょっとだけ用心しておこうかな。
「ハクさん、どうしたんですの?」
「なにかありましたか?」
シルヴィアさんとアーシェさんが心配そうに声をかけてくれる。
この二人も割と私の表情を読むことに慣れてきたようだ。
昨日のことについては特に広まってはいない。
端から見れば生徒達が集まって魔法の練習をしていたようにしか見えないから、特に騒がれることもなかった。
まあ、Aクラスでは何かしら噂になっているかもしれないけど、こちらにはそういったことは流れてきていないし、そこまで大事にはなっていないと思う。
「なんでもありませんよ」
「ああ、もしかしてサリアさんのことを考えていたんですの?」
現在いるのは魔法棟の一教室。
魔法の授業を専門に行う校舎で、地下には魔法練習用のいくつかの訓練室がある。
いつものメンバーではあるが、サリアの姿はない。
というのも、これから受けるのは火属性魔法の授業だからだ。
サリアはこの授業を取っていないので別行動というわけだ。
あんなことがあった後だから少し心配だけど、サリアもサリアで魔法の実力だけならAクラス並だ。多少絡まれたくらいなら自力で対処できるだろう。
というわけで、今は授業に集中することにする。
と言っても、やることと言えば一年の時の復習なんだけどね。
二年生から魔法の実習があるとは言っても、それは後期から。最初は復習に費やしてしっかりと知識が身についているかどうかを測られる。
ちょっと退屈ではあるけど、大事なことだから仕方ない。一年の時に書いたノートが役立ってくれることだろう。
「よし、今日はここまで。わからないことがある奴はさっさと聞きに来いよ。でないと実習の時に恥をかくことになるからな」
つつがなく授業も終わり、先生は去っていった。
さて、この後は座学だけだし、サリアと合流して教室に戻るとしよう。
ノートを鞄にしまい、席を立つ。シルヴィアさん達もすでに準備は終わっているようで、私の下に集まってきた。
「あ、ハクさん、ちょっといいかしら」
戻る途中、ふと声をかけられて振り返る。
そこには眼鏡をかけた温和そうな女性が立っていた。
「クラン先生、どうしたんですか?」
「ちょっとハクさんに用事があって。いいかしら?」
「はい、なんでしょう?」
はて、何かしただろうか?
……ああ、もしかして錬金術の授業の助手についての話だろうか。
あれからお手伝いの内容とかは聞いているけど、具体的にどのような形でやるのかは決めていなかった。
条件としては私が授業を受けるタイミングでのみ助手をするということ。そうじゃないと、別の学年の授業も手伝わなくてはいけなくなり、私が他の授業に出られなくなってしまう。
完全に助手として授業を行うのか、一応生徒としてみんなと授業を受けつつ、たまに助手的なことをするのか、その辺りがはっきりしていなかった。
「少し確認したいことがあるの。放課後、保健室に来てくれるかしら?」
「はい、わかりました」
どうやら今すぐにというわけではないらしい。
まあ、細かい調整とかを話そうとしたら次の授業に間に合わなくなっちゃうからね。
クラン先生はそれだけ言うと去っていった。
集合場所が職員室じゃなくて保健室なのが少し気になるけど、まあ、別にいいか。行けばわかる。
「お待たせしました。行きましょう」
待たせていたシルヴィアさん達に頭を下げ、改めて足を進める。
途中、別教室で授業を受けていたサリアとも合流し、少し話しながら教室へと戻るのだった。
これと言って特筆することもなく授業が終わり、放課後となる。
二年生になった、と言っても急に新しいことを学ぶわけではない。
魔法の授業も復習がメインだし、座学に関しても同じこと。面白くなりそうなのは後期からだろう。
楽と言えば楽だが、新しいことが学べないのは少し退屈だ。
「それじゃあ、私は保健室に行きます。シルヴィアさんとアーシェさんはどうしますか?」
「私達は研究室に行きますわ。新しく入った子の説明会がありますの」
「また明日お会いしましょう」
そう言って二人は教室を出ていく。
まあ、授業の相談だし付いてきても面白くはないだろうから別に構わない。
どうせサリアは付いてくるしね。
隣で私の腕に抱き着いているサリアを見る。
たまに自然と甘えてくるけど、サリアは全然気にした様子がない。
もしかして素でやってるのかな。だとしたら結構な小悪魔だ。
「それじゃ、いこっか」
「おおー」
サリアを伴って教室を後にする。
保健室は校舎ごとにいくつかあるけれど、特に指定がなかったってことは多分クラン先生が担当している一年生の教室がある校舎。つまり私達が今いる校舎の保健室だと思う。
一応、編入したての頃に一人で探検したり案内してもらったりしているから場所は把握しているけど、行くのは初めてだ。
「あ、来た来た。こっちよ」
保健室の前まで行くと、クラン先生が待っていた。
どうやらここで間違いなかったらしい。
少し安堵しつつ、クラン先生の下へと向かう。
授業終わりなのか、手にはいくつかのノートが抱えられている。
クラン先生はよく授業の説明をする際にプリントを使用するから多分それだろう。
でも、職員室はすぐ近くなのだから置いてからくればいいのに。そんなに急いでいたのだろうか?
「クラン先生、どんな御用ですか?」
「ええ、まずは中に入って」
そう言って保健室の扉を開く。
保健室の中で話すのだろうか?
確かに保健室はそこまで人はいないだろうが、保健医はいるし、下手をすれば休んでいる生徒もいるかもしれないのに。
授業のことについてだとしたら別に隠すような内容でもないし、聞かれても別に構わないけど、それだったら空き教室なり職員室でいいような気がするけどな。
疑問を覚えつつも中に入る。
等間隔に並べられたベッド。いくつかのポーションが並べられた棚。そして椅子に座る白衣を着た妙齢の女性。
突然の来訪にも拘らず気にした風もなく机に向かい、何やら書きものをしているようだ。
「エランダ。連れてきたわよ」
「ああ、クラン。ありがとう」
クラン先生が話しかけると、その女性はようやく書く手を止めた。
椅子に座ったまま振り返るとその表情が露わになる。
腰まで届くほどの長い黒髪、まるで宝石のような透き通る紫色の瞳は見つめているだけでくらくらと頭を揺さぶられるような気がする。
美人ではあるが、それで揺さぶられているというわけではなく、見定められているような、それでいて優しさのあるよくわからない視線に足元が崩されそうになるのだ。
「よく来てくれたな。私はエランダ。この校舎の保健医だ」
うっすらと微笑んだエランダさんはじっと私を見つめたままそう言った。
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