幕間:入れ替わりの薬(後編)
魔法薬研究会の仲間ミスティアの視点です。
いやいやいやいや、待って欲しい。ほんとに待って欲しい。
背中から翼が飛び出して、しかも尻尾まで生えて? 待って、私は今どんな状況に陥っているの?
「落ち着けー?」
「これが落ち着いていられますか!」
飛び出てきた翼はかなり大きい。片翼で体を包み込めるほどには大きい。
動かそうと思えば自在に動かせるし、尻尾も同様だ。
この質感に見た目、もしかして竜なの?
ハクは竜だった? いやいや、何で竜が人の姿をしてるのよ!
しかも、この姿になってからやたらと体の魔力が沸き立っている。
全身が火照っており、何だか変な気分になってくる。
待って、ほんとに待って! 変な扉開いちゃうから待って!
「ど、どど、どうやって戻すの!?」
「戻れーって感じ?」
そんな曖昧な!?
いや、確かに出す時もそんな感じだったけども!
お、落ちつけ私、戻れー、戻れー……。
そうやって念じると思いの外簡単に翼は引っ込んでいった。
よ、よかった……!
「はぁはぁ……な、何だったの今の?」
「さあ? 僕もよくは知らない」
サリアの話では、ゴーフェンで魔力溜まりに入った影響でこうなってしまったらしい。
魔力溜まりに自ら入っていくって言うのがそもそも考えられないけど、こんなトンデモ現象を見た後ではそうなんだくらいの感想しか出ない。
もしかして、魔力がやたらと多いのはそのせいなの? 魔力溜まりに入っておかしくなっちゃった?
まだ体の感覚がおかしい。立ち上がってみるけど足元がおぼつかない。
ハクはいつもこんなことをしているのか……。
これはもはや呪いとでもいうべきものだ。
普通、人間の背中に竜の翼が生えるか? 答えは否だ。
あのままの状態が続いていたらどんな突拍子もない行動をしていたかわからない。
全身から魔力が溢れ出てどうしようもなくなっていく感覚。あれは人間が体験していいものではない。
並の精神力ではあの誘惑には耐えられないだろう。いつ暴走してもおかしくなかった。
ああ、入れ替わりなんて馬鹿な真似するんじゃなかった。ちょっと泣きそうになる。
「大丈夫か?」
「え、ええ……なんとかね」
正直大丈夫ではないけど、何とか平静を装う。
このまま戻れなかったらどうしよう。いや、私が作った魔法薬なんだから絶対に戻れると確信しているけど、この魔力が変に作用して戻れないとかになったら発狂する気がする。
ほんと、勘弁してほしい。私はただ、ハクの私生活を覗き見たかっただけなのに……。
「寝るか?」
「うん……」
あんまり深く考えると不安になりそうだったのでさっさと寝ることにする。
やる前は一日と言わず一週間くらいとか考えていたけど、一日だけにして本当によかった。
もう私生活がどうとか言ってる場合じゃない。明日はさらっと授業を受けてさっさと戻ろう。
不安で何度も夜中に目を覚ましてしまったけど、気合で寝た。
大丈夫、大丈夫だから……。
翌日、サリアを伴ってCクラスの教室へと入っていく。
ちなみに私のクラスはBクラスだ。
ハクが授業についていけるか心配だったが、あんな魔法書を読んでるくらいの頭があるなら大丈夫だろう。
「おはようございます、ハクさん、サリアさん」
「ごきげんよう」
「おはよー」
「お、おはようございます」
教室に入ると二人の女生徒が話しかけてくる。
サリアの話だと、シルヴィアさんとアーシェさんという双子で、このクラスでの友達らしい。
他にもぞろぞろと挨拶をされるが、みんなシルヴィアさん達の友達のようだ。
ハクの無表情ではクラスで浮きそうなものだが、サリアの社交スキルによってそこまで孤立しているわけでもないらしい。
「あら、なんだかお疲れのようですわね」
「夜更かしでもしましたか? ダメですわよ、消灯時間は守らないと」
「は、はは、そうですね……」
むしろ消灯時間よりはるか前に寝たのだが、夜中に何度も起きてしまったせいで寝不足気味だ。
適当に話を合わせつつ、席へと座る。
教室でもサリアは隣の席らしい。ここまでくると意図的にそうしているように感じるが、一緒に編入してきたし案外本当にそうなのかもしれない。
「今日のハクさんはなんだか雰囲気が違いますわね?」
「そ、そうかしら?」
「ええ。喋り方も少しおかしいですし……」
しまった、喋り方を意識するのを忘れていた。
ハクは大体敬語を話す。平民の出にしては珍しい。
身分を隠して入学してきた貴族だと言われても信じられる気がする。
「ハクはちょっと疲れてるんだぞ」
「まあ、やっぱり」
「お大事になさってくださいね」
サリアがフォローしてくれたおかげで特に追及されることはなかった。
ああ、早く戻りたい……。
ほどなくして授業が始まり、シルヴィアさん達は席に戻っていった。
授業はBクラスに比べたら簡単なものだったが、そこまでの差はない。
ただ、ハクはいつも先生の言葉をメモしているらしく、持参しているノートにはびっしりと文字が書かれていた。
マメだな……普通ノートをこんな使い方する奴はいない。せいぜい、先生が重要だと言った内容をメモするくらいだ。
ハクに倣って先生の言葉をメモしようと思ったが、流石にすべてを聞き取ることはできなかった。
サリアに聞くと、授業中だけでなく休み時間にまで書いているらしい。
まさか先生の言ったことを全部覚えているのか?
そういえば確かにいつもより先生の言葉が頭に残っている気がする。記憶力はいいようだ。
滞りなく授業は進み、放課後になる。
私は友達の別れの挨拶もそこそこに速攻で研究室へと向かった。
「あ、ミスティアさん、大丈夫でしたか?」
研究室にはすでにハクが待っていた。
一刻も早く戻りたいと思っていたのはハクも同じことだったらしい。
魔法薬の効果時間もそろそろ尽きる。このまま待っていれば戻るはずだ。
ばちっと視界が暗くなる。
次に視界に映ったのは、きょとんとしたハクの姿だった。
「戻った……?」
「そうみたいだねー」
どうやら無事に戻れたらしい。
よかった。本当によかった! 戻れなかったらどうしようかと思った!
ハクも何度か自分の手を閉じたり開いたりしながら自分の身体を確認してようやく戻ったという実感が沸いたらしい。
あからさまにほっとしたように息を吐いた。
「ハク、その、ごめんねー?」
もう興味本位で入れ替わり薬なんか使わない。
そう心に固く誓った。
ああ、なんか涙出てきた。自分の身体がこんなにも安心するなんて思わなかったよ……。
「な、泣かないでください。私は大丈夫ですから……」
ハクはとても心が広いのか私のことを許してくれた。
あの身体、昨日翼を出した影響か知らないけど体に巡りきらない魔力がつっかえてちょっと苦しかったんだよね。
身体が元に戻ったから、その苦しみは多分ハクが今受けていると思う。
胸のあたりを押さえてぎこちなくさすっているのはそのせいだろう。
「あの、み、見ましたよね?」
「……う、うん、そうだねー」
竜の翼のことだろう。
どう考えても公にできるようなことではないだろうし、意図せずしてハクの秘密を知ってしまったというわけだ。
これを使えばハクのことをゆすれそうだけど、流石にそんなことはしない。
というか、あんな得体のしれない力を持っているハクに逆らいたくない。本能がそう告げている。
「どうかご内密にお願いします……」
「わかったよー」
こうして入れ替わり騒動は幕を閉じた。
ハクの秘密を暴くという点では目的を達成できたけど、その代償に得体のしれない感覚を味わうことになった。
あの感覚は生涯忘れることはないだろう。
ゾクリと体がうずく。体は元に戻っても、何かしらまだ影響が残っているのかもしれない。
私はしばらくの間得体のしれない感覚に苛まれることになった。
感想ありがとうございます。