第十七話:ハクについて
冒険者リュークの視点です。
去っていくハクを見送り、ふぅと一息吐く。
依頼を終え、報告に戻ってきたらいきなり子供達に助けを乞われて見てみればハクが酔っ払いに絡まれていた。
確かに、冒険者には荒くれ者が多い。初心者は薬草採取や町の雑用などの簡単な仕事ばかりだけど、冒険者に期待されているのは危険な魔物の討伐だ。それらをこなそうとなれば必然的に力の強い男が多くなるし、見た目も性格も厳つい奴が多くなる。
まあ、それでも新人相手に威張り散らすような奴は稀だ。むしろ新人がちゃんと成長できるように面倒を見てくれる奴の方が多く、新人は困ったら誰でもいいからギルドの奴に聞けという言葉もある。
ただ、一部の者。冒険者としてうまくいっていなかったり、その日の依頼に失敗したりした奴が酒を含んで態度が大きくなるとこういった問題を起こすこともある。
今回の件はまさにそれだろう。怒鳴り散らしている男は見たことのない奴だったが、装備からしてEランクかDランクあたりだろうか。年齢的には年上だ。
俺はEランク。本来なら低ランクの者が年上に進言するのはあまりよくないが、今回の場合はどう見ても男の方が悪いだろう。言っていることはめちゃくちゃだし、完全に八つ当たりだ。しかも、手まで上げようというのなら止めない選択肢はない。
喧嘩の仲裁は今までにも何回かやってきたことがあるが、こういった場合は大抵の場合自分の世界に入っている場合が多い。だから、周りに注意を向けてやれば多くは我に返って居心地が悪くなり、去っていく。今回もそのパターンで助かった。
腕にはそこそこ自信があるつもりだが、ランクはまだEだ。まだ駆け出しの部類であり、胸を張るにはまだ早すぎる。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ない。騒がせて悪かったな」
ギルドの職員がやってくる。喧嘩などの問題行為が起こった場合、普通はギルドの職員が仲裁するのが普通だ。ただ、今回は位置も悪く、騒ぎ自体もそこまで大きなものではなかったため気づくのが遅れたようだった。
心配ならば俺ではなくハクに言って欲しいものだが、当の本人はすでにギルドを後にしてしまった。
ハクの表情が思い出される。低位とはいえ、ポーションを割られ、赤ら顔で怒鳴り付けられ、殴りかかられそうになる。普通の子供ならそれだけで委縮し、恐怖で表情をくしゃくしゃにしてしまってもおかしくない状況だ。
しかし、ハクは終始無表情を貫いていた。怒鳴られている時も、殴りかかられる時も、一難去って俺と話している時でさえ無表情だった。
よく言えば落ち着いている。しかし、普通幼い子供が理不尽に怒鳴られて平然としていられるだろうか?
ハクは以前、魔力溜まりに落ち、そこで大怪我をして一年を過ごしていたと言っていた。
初めは盗賊に襲われて逃げてきたと思っていたが、実際聞いてみればそれよりももっと過酷な人生を送っていた。
魔力溜まりは人間にとって、いや、ほぼすべての生物にとって有害だ。その場にいるだけで激しい頭痛と吐き気を覚え、まともに立っていられなくなる。一度入ってしまえば自力での脱出は絶望的で、多くの場合はそのまま餓死してしまう。
そんな場所に一年もいたなんてとてもじゃないけど信じられない。しかし、口調は嘘を言っているような雰囲気でもなかった。……そういえば、その時ですら無表情だったな。緊張しているだけかと思ったが、どうやらあれはハクの素の表情らしい。
思うに、ハクの無表情は魔力溜まりにいた頃に形成されたものなのではないかと思う。厳しい環境に晒され、感情がなくなってしまったのではないだろうか。そうでなきゃ、多感な時期であるハクがあそこまで無表情を貫き通せるはずがない。
いや、正確には感情はあるかもしれない。しかし、それを表に出すことが出来ないくらい壮絶な場所にいたということだ。
長年厳しい労働環境にいた奴隷は表情をなくすという。それと同じことかもしれない。
ハクには才能がある。ポーションを自作したと聞いた時は目を丸くしたが、聡いハクならばそれもあり得るのではないかと思ってしまう。だからこそ、自由に表情を操ることが出来なくなってしまったハクのことを不憫に思う。
あれほどの腕があれば町で小さな薬屋を開くことだって夢ではないだろう。低位のポーションであっても多少深い切り傷や打ち身ぐらいだったら即座に治すことが出来る。
冒険者として活動を始めてからまだ三日ほど。噂では毎度魔物を非常に綺麗な状態で持ち込み、薬草も大量に採取しているという。そのうえでポーションまで作成していると考えれば、ハクの生活はほぼ安泰だろう。
これはわざわざ手を貸さなくても自力でどうにかしてしまいそうだな……。
とはいえ、心配なのは事実。旦那にもあとで伝えておかなくては。
「おい、リューク。あの嬢ちゃん知り合いなのか?」
「こっち来いよ。話を聞かせてくれや」
思案していると、近くのテーブル席からお誘いがかかってしまった。
やれやれ、お酒はあんまり得意じゃないんだが……。でもまあ、たまにはいいだろう。
肩をすくめながら席に着くと、早速店員にビールを注文していた。
「まずは嬢ちゃんの救世主に乾杯ってところか?」
「よしてくれ。俺は当然のことをしただけだ」
「謙遜すんなって。あの嬢ちゃんにとってお前はまさに救世主だっただろうよ」
陽気に肩を組んでくる男に苦笑を返す。
救世主、どうだかな。
ハクはとても聡い子だ。自分が因縁を付けられているということは理解していただろう。その上で無視することもなく、成り行きを見守って聞きに徹していたのだ。
すぐに止めたからよく見えなかったが、男が殴り掛かる寸前、ハクは冷静に腕を顔の前で組み、防御の態勢を取っていた。それで防げていたかどうかはわからないが、それで防げる目算があったんだろう。魔法にも長けていたし、身体強化魔法でも使おうとしていたのかもしれない。
仮に俺が割って入らなくてもハクは窮地を乗り越えられたような気がする。それは予想というよりは確信に近かった。
あの子には俺にはない何かを持っている。そしてそれは恐らく、魔力溜まりに落ちた時に学んだものだろう。
年を偽ってまで――本人は11歳と言っているが多分嘘だろう――冒険者になった根性は賞賛されるべきだし、褒められるのは俺ではなくハクの方だ。
「確か、登録の時はお前が面倒見てたよな?」
「そうなのか? てっきりかわいこちゃん見つけたから反射的に庇ったのかと」
「ばーか。お前じゃねぇんだ、リュークはそこらへん真面目だからな」
カラバに来たのは初めてではないし、この連中も知り合いだ。お互いに多少相手のことは理解している。
だからこそ声をかけてきたんだろうが、こいつらも暇だな。
まあ、酒の肴になりそうな話題の登場人物で、しかもそれが知り合いとなれば話しかけてくるのも当然か。
「で、結局のところあの嬢ちゃん何もんよ? 【ストレージ】持ちってのは聞いてるが」
「そこは本人のプライベートもあるだろうから詳しく話せないが……まあ、天涯孤独の身であることは間違いないだろう」
ハクは親に捨てられたと言っていた。それも何でもないことのように淡々と。
街で冒険者を目指すと言っていた以上、もう両親の元に戻るつもりはないのだろう。
あんな小さな少女がそんな決意を持っていると思うと胸が痛くなる。もっと何か、直接的に力になれればいいんだが。
「そりゃまたヘビーだな。孤児かなにかか?」
「まあ、そのようなものだ。お前ら、間違っても手を出そうとか思うなよ?」
「しねぇよ。だが、パーティとして誘いたくはあるな。なにせ【ストレージ】持ちだからな」
【ストレージ】は多くの物を収納することが出来るレアスキルだ。冒険者にとってそれは素材を大量に持ち運ぶことが出来る手段であり、仮にそれが子供であっても重宝する。
しかも、ハクはなぜか毎回大量の薬草を採取し、さらには魔物まで狩ってきている。それが示すところは、森の奥地に踏み入っているということだ。
森の奥地は間違ってもFランクの初心者が踏み込む場所じゃない。多少の経験があればいいだろうが、武器も持たずに行くような場所ではない。にも拘らず生存し、且つ対象の素材を持ち帰ってこれるということは、そこそこ実力があるということだ。
荷物持ちのみならず、戦力としても期待できる。そう考えれば、ハクはとても優良物件なのだ。
「パーティに誘うのはいいが、ちゃんと報酬は弾んでやれよ。宿代にも困ってるかもしれないからな」
「いやぁ、それはねぇんじゃねぇかな。ちらっと聞いたが、初心者としては過去最高金額を稼いでるらしいぜ?」
「……いくらだ?」
「少なくとも小金貨は貰ってる。しかもゴブリンでだ。あの数の割に稼げねぇゴブリンでだぞ?」
……そういえば、確かに最初連れ添った時もオークの状態が良くて小金貨を何枚か貰っていた気がする。
普通、オークはそんなにしない。せいぜい、銀貨5枚程度だ。換金所の人間曰く、状態が良すぎるらしい。
あの時は偶然かとも思ったが、ゴブリンでも小金貨を稼いでいるとなると狙ってやっているのだろう。確かに、あんなに綺麗に首を落としていれば状態がいいのも納得だ。
「いいよな。ハクだっけ? ぜひとも欲しいぜ」
「……ほどほどにしろよ?」
「わあってるよ」
いい年したおっさんが少女を欲しい発言はいかがなものかと思うが、確かにハクとパーティを組めたらどれだけいいことか。
……俺もそのうち誘ってみようかな。
そんなことを考えていると注文していたビールが届いた。俺はそれを一気に煽る。
とにかく、ハクが無事に冒険者出来ているようで安心した。知り合いのわらい声を聞きながら、去っていった少女のことを想った。