第六百八十六話:知識の書としての一夜
一夜には、様々なことが記されていた。
日常のちょっとした出来事から、魔法の理論のような複雑な図形が描かれたものまで、本当に様々。
中には、ルディが教えてくれたような呪文も数多く記されており、ちょっとコラムが多いとはいえ、立派な魔導書と言っていいだろう。
一夜がこれらをすべて記憶しているとなると、すでに一夜の頭の中には、こうした呪文がすべて入っているのか。
呪文は、適切に使えば時には魔法よりも強い効果を発揮することがあるけれど、精神力という、正気を削る行為でもある。
多少であれば、少し休めば回復するのは魔力と同じだろうけど、あまりに強力な呪文を使おうとすれば、回復しきらないこともある。
ゲーム的に言うなら、MPの最大値が減っているようなものだ。
ルディは、そう言った呪文も教えていたようだけど、それと同時に、あまり使わないようにも言っていたらしい。
一夜自身も、あまりにやばそうなものには手をつけていなかったようだし、一応何とかはなっていた。
けれど、これだけの呪文があるとなると、使ってみたいと思うこともあるはず。
今は本の状態だから使えないとは思うけど、元に戻った時、そこら辺をしっかり意識する必要がありそうだね。
「これを見る限り、本当に書けさえすればなんでもいいってことなのかな?」
『それはちょっと違うかな』
「というと?」
『確かに雑談でもいいけれど、その中には知識が含まれていないといけない。あまりに内容が薄いものは、自然と消えていくみたい』
例えば、「誰誰が結婚した」、みたいな情報なら、それは見る人によっては意味のある知識だけど、「今日はいい天気」、みたいな情報だと、今日というのがどのタイミングなのかもわからないし、誰が見たとしてもそんなに有益な知識ではない。
一夜の姿は、知識を集めるためにとられた姿であり、あまりにどうでもいいことで埋められてしまっては困るから、そう言った措置が取られているようだ。
書いたことが勝手に消えるとか、普通の本ではありえないけど、これはれっきとした魔導書だから、そう言うこともあるのかもしれない。
つまり、日々の日常を適当に書き連ねているだけでは効率が悪く、埋めるのには相当な時間がかかるということだ。
「そう簡単にはいかないか」
『まあ、一応知識の書って感じだしね。私としても、どうでもいいことよりは、価値のある知識の方が嬉しいかな』
「なんか、精神まで本に寄ってない?」
『そうかなぁ? 確かに、私を読んだ人が、その知識を使って、喜んでくれるのは嬉しいことだと思うけど』
本としての喜びというのだろうか。本に書かれた知識を使い、それで喜んでいる姿は、一夜にとっても心地いいもののようだ。
なんかもう、本としての生活が長すぎて、人間であることも忘れてそうな雰囲気だけど、流石にこのままというわけにもいかない。
人間の姿に戻らなければ、元の世界に帰ることもできないし、早いところ戻してあげないと。
「まあ、ちゃんとした知識じゃないといけないというのなら、相応の情報を持って来ればいいだけだけど」
日常の出来事を書くのでは効率が悪いのなら、私が持っている知識を書き込んでいけばいい。
幸い、書かれていることは、ほとんどが呪文関連、つまり、ルディ達がいた世界のものと思われる。
全く別の世界の知識であり、私が知っていることとは異なるものだ。
内容を被らせるのがダメだとしても、私の魔法理論を書くだけでも、十分にページを埋めることができるだろう。
まあ、それでも全部は埋まらないかもしれないが、他にもこの世界の歴史や神話などを書き連ねて行けば、十分事足りるはずである。
「一夜、さっそく書いてみてもいい?」
『いいよー。ふふ、どんなことを書いてくれるのかな?』
テーブルに一夜を置き、羽ペンを手にする。
私の魔法理論に関しては、すでに論文で発表されているものがある。
それは、魔法の聖地でも通用するものであり、宮廷魔術師であるルシエルさんも認めるものだ。
さらさらと書いていくが、これをすべて書ききるには、かなりの時間がかかる。
今日は、外に出るのは難しいかもしれないね。
『へえ、魔法ってそんな感じで動くんだね』
「書かれただけで全部理解できるの?」
『書いてあることならね。書かれてないことはさっぱりだけど』
一応、本になる前の一夜の知識は本には書かれていないようだけど、それらの知識はちゃんとあるらしい。
それに、常識的にこうだとわかっているものなら、別に書かれなくても理解できるようだ。
ただ、全く知らないことでも、書かれていさえすれば、理解できる。瞬間記憶とかよりもよっぽど便利な能力だよね。
ただもちろん、書かれていないことは理解できないので、書き手が説明を端折ったりすると、わからないこともあるらしい。
そう言う人もたくさんいただろうし、未だにわかってない知識もありそうだね。
『ハク兄が魔法陣を覚えろって言った理由がわかったよ』
「理解できたのならよかったよ」
『でも、これが本当だとすると、ハク兄の記憶力ってやばくない? 作った魔法、全部覚えてるんでしょ?』
「まあ、そうだね」
私が使う、魔法陣を思い浮かべることによって即座に魔法を発動する方式は、記憶力がものを言う。
例えば、火の玉を飛ばすボール系魔法を発動させるとして、基本となる魔法陣を思い浮かべれば、それは問題なく発動するが、それにアレンジを加えようとすると、また違った魔法陣になる。
ボールの速度を上げたり、軌道をコントロールしたり、威力を上げたりなど、それぞれに対応する魔法陣の文字や模様は違ったものになってくるので、魔法陣も全く異なる形になる。
一応、ある程度論理化して、この文言はこう、という風に、他の魔法陣でも流用できる形にしている部分もあるけど、その魔法だけの完全オリジナルというものも存在するので、魔法陣の種類は無限と言ってもいい。
私が考えついたものだけとはいえ、それらすべてを記憶できているのは、確かに凄いことだろうね。
私も、なぜこんなに記憶力がいいのかはわからない。
確かに、元から多少は記憶力はあった方だと思っているが、ここまでではなかったと思う。
精霊か、竜か、何かしらの力が作用した結果なんだろうか。
よくわからないけど、これには助けられているので、あってよかったなと思う。
『私もそれだけ魔法が使えたらなぁ……』
「一夜だって魔法使えるでしょ」
『使えるけど、ちょっとだけだもん。でも、ここで書いてくれたら、元の姿に戻った時に使えるようになるかも?』
「そう言われると書きたくなくなってきたな」
『なんでよ』
まあ、すでにこちら側の人間となってしまった一夜なら、もっと魔法を教えてもいいのかもしれないけど、なんとなく、使いこなしてほしくないという自分がいる。
私は、ちょっと筆を鈍らせつつも、元の姿に戻すために、書き込みを続けた。
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