第六百六十九話:静かな村
エルの背に乗って飛ぶこと一日。私達は、例の辺境の村までやってきた。
空から見下ろしてみた限りでは、特におかしなところは見受けられないけれど、やはり、ここも眷属化が進んでいるんだろうか。
末端の村なせいか、異端審問官の手も届いていないようだし、表面上は平和な時間が過ぎているように見える。
ぱっと見で眷属化しているかどうかわからないのも厄介だよね。
タクワの時の氷竜のように、明らかに異常な行動をしてくれていたらわかりやすいんだけど。
とりあえず、今は先に泉を探したい。
私は、気配を探るべく、探知魔法に目を移した。
「……え? なにこれ……」
泉の場所を探すつもりだったが、それよりもおかしな気配を見つけて、少しびっくりしてしまった。
というのも、村の中に、明らかに異常な魔力を持つ気配が、たくさんあるのである。
一応、熟練者となれば、それなりに魔力を持っていることもあるだろうから、まだ人の許容量ではあると思うけど、それにしたって、数が多すぎる。
この村は、熟練の魔術師が大量に住んでいるのか?
いや、そう言う人達は、どこへ行っても重宝されるだろうから、村に留まることは稀だと思うし、それはないと思う。
でも、だったら、この異常な反応の数は何なんだろうか。
「もしかして、眷属化のせい?」
ウルさんの話では、眷属化にも段階があり、黒き聖水の場合は、飲み続ければ、いずれ人の体を失って、化け物へとなり下がってしまうらしい。
もし、この反応が、その化け物なのだとしたら、辻褄は合いそうである。
まさか、村が全滅している?
ソフィーさんからは、そんな話は聞いていないけど。
「ハク、何かあった?」
「村がちょっと変なことになってるみたい。もしかしたら、村人はもう全滅してるかも」
「それは穏やかじゃないね」
末端の村みたいだし、確認ができていない可能性もある。
ここは一度、降りて実際に見てみる必要があるかもしれない。
「確認してみるか?」
「うん、ちょっと気になるし」
お兄ちゃんにも言われ、私はひとまず村に降りてみることにした。
隠密魔法で隠れたまま、村の近くに降りる。
探知魔法では、異常な気配がいくつもあるけれど、目視で見る限りは、特に異常は見られない。
エルに人の姿に戻ってもらってから、村の中へと足を踏み入れる。
「……静かだね」
上空から見た時もそうだったけど、村人の姿が見当たらない。
気配は感じるから、いるとは思うけど、みんな家に閉じこもっているんだろうか。
ひとまず、気配を頼りに、近くに家に近づいてみる。
窓からそっと中を覗いてみると、そこには、椅子にもたれかかっている村人の姿があった。
何をするでもなく、ただぼーっと椅子に座っているだけ。
見た目は普通の村人に見えるけど、まだ化け物になったわけではないんだろうか?
「見た目は普通、だけど……」
「いったい何が変だって……ひっ!?」
ユーリが窓を除いた瞬間、村人が不意にこちらに視線を向けた。
位置関係的に、村人がこちらを見るには、体ごとこちらを向く必要があるはずだけど、その村人は、首をぐるりと回転させて、血走った眼をこちらに向けてきた。
明らかに、人間の動きではない。
「あぁぁああああ!」
村人が叫び声をあげる。それと同時に、周りの家の扉が開き、人々が外へ出てきた。
いずれも、見た目は普通の村人である。しかし、その目は血走っており、明らかに常軌を逸した表情だ。
まるで、ゾンビパニックにでも遭っているかのような感覚に、思わず背筋に寒気が走った。
「お、落ち着いてください。私達は敵では……」
「あぁぁああ!」
私の声も聞かずに、飛び掛かるように襲い掛かってくる。
幸い、動きはのろいので、避けるのは簡単だけど、もはや自我を感じさせないその行動に、これはもうだめかと悔しい気分になった。
ひとまず、戦うわけにもいかないし、この場を脱出しなければ。
そう思って、後ろを振り返る。しかし、そこにはすでに村人が回り込んでおり、こちらに向かって両手を差し出してきていた。
「お、おい、どうする?」
「傷つけるわけにもいかないし、空に逃げるしか……」
私は飛べるし、浮遊魔法を使えば、みんなを運ぶことも可能だ。
竜の姿になるのは少し時間がかかるし、今すぐには使えない。
攻撃するわけにもいかないし、時間稼ぎもできないなら、それが一番手っ取り早い。
「あがががが……!」
「え、なに?」
不意に、近くの村人がうめき声を上げ始めた。
何事かと思ってそちらを見ると、その村人の頭が膨れ上がり、やがて破裂した。
辺りにグロテスクな肉片がまき散らされる。
唐突なスプラッタな光景に、私達は息を飲んだ。
「こいつ、何か出てくる……!」
しかし、変化はそれだけでは終わらない。
なくなった頭からは黒い液体が溢れ出し、地面を濡らしていく。
それに呼応するように、体も徐々に膨れ上がっていき、まるで纏っていた皮を破るように、何かが出てきた。
体長は、三メートルはあるだろうか。明らかに村人の身長よりも大きなその存在は、蹄を持つ四本の足に、肩口から伸びる樹木のような太い瘤が特徴的で、顔は動物のそれに近い。
恐らくは山羊、何だろうけど、あまりに異形の存在過ぎて、それを動物とすら認めたくなかった。
「あ、あぁぁ……」
「うがぁ……」
「やばい、こいつらみんな化け物になる!」
一人が化け物へと変貌を遂げると、それに合わせて周りの人々の首がはじける。
同じように、中から黒い化け物が現れていき、村の中は、一瞬にして化け物で埋め尽くされていった。
これが、眷属化による異形化? なんて悍ましい……。
ルディを見て、多少なりとも異形の存在に慣れているはずのお兄ちゃん達でさえ、息を飲んでいる。
ユーリに至っては、顔面蒼白になっているし、かなりまずい状況だ。
「素直に逃げさせては、くれなさそうだね……」
とっさに背中から翼を出したけど、それを見てか、化け物達は蔓のような触手を伸ばし、威嚇してくる。
私だけならまだしも、浮遊魔法でみんなを浮かせながら逃げるというのは難しそうだ。
ここは、倒すしかない。
「みんな、一点突破で脱出するよ」
「お、おう!」
「やるしかないわね」
さて、事前の情報通りなら、この化け物達は、グラスの眷属である子山羊ということになる。
グラス本体と比べたら、まだそんなに強くないとは思うけど、それでもその硬い装甲と、グラスと同じ性質がある体液には要注意だ。
特に、体液の方は、間違って飲んだり、もしかしたら触れたりしただけでも、眷属化してしまう可能性がある。
近接武器が主体のお兄ちゃんやお姉ちゃんは、慎重に攻撃しないと危ないかもしれない。
基本的には魔法で蹴散らしつつ、脱出を目指すというのが無難だろう。
「はっ!」
退路となる後ろに向かって、水の刃を放つ。
初級魔法とはいえ、改良を重ねた水の刃は、そこらの上級魔法よりも強力なはずだけど、化け物相手には、軽く表面を割いた程度で、致命傷にはならないようだ。
本当に硬いな。魔法でこれなら、物理は絶望的かもしれない。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、避けることに注力して」
「あの硬さじゃな、ちょっと分が悪いか」
「エンチャントしてもかすり傷になりそうね」
思ったよりもピンチな状況に、焦りが出てくる。
私は、迂闊に村に近寄ったことを後悔しつつ、退路を切り開くのに集中した。




