第百三十九話:入学試験
第五章開始です。
連日の茹るような暑さはとうに過ぎ、秋の涼しげな風が王都を包み込む。つい先日まで夏だと思っていたけれど、季節の移り変わりは早いものだ。
ゴーフェンでの公務を終え、無事に帰還した王子は、早速外壁工事の指揮を執っていた。
無事に協力を取り付け、転移陣によって大量に運ばれてくる人材や材料を配分し、すっかり滞っていた外壁工事もこれで軌道に乗ることだろう。
作業員を住まわせる臨時の宿舎も建設され、王都に集う冒険者も急激に増えた需要に大いに飛びつくことになった。
この分ならあと一か月もすれば外側の外壁くらいは修理できるかもしれない。ゴーフェンからは転移陣を通して定期的に材料が送られてくる予定だし、内側の外壁の修繕も思ったよりは早く済むだろう。
さて、私も私で別の意味で忙しくなってきている。というのも、随分先のことだと思っていた学園への入学が間近に迫っていたのだ。
学園の長期休暇が終わったらということだったけど、ゴーフェンで過ごしている間にだいぶ消費されていたようだ。おかげで入学の準備を急いでせねばならず、割と忙しかった。
まあ、関係各所にはすでに連絡済みだし、必要なものに関しても国が用意してくれるということだったので私がしたことと言えば学園でのルールの確認や多少の文字の勉強くらいだが。
そんなこんなで数日が経ち、いよいよ学園に向かう日がやってきた。
サリアと共に学園の門をくぐる。以前来た時は遠巻きに授業の様子を眺める程度だったが、これからは自らが学ぶ立場となる。この年になって再び学園に通うことになるのは予想外だったが、何と言ってもここは魔法学園。私の知らないことも多いことだろう。
「ようこそ、オルフェス魔法学園へ。あなた達がハクさんとサリアさんね?」
恐る恐る校舎へと近づくと、一人の女性が出迎えてくれた。
眼鏡をかけ、眦の下がった温和な表情は妙な安心感がある。
「話は聞いているわ。私はクラン。この学園の教師をしているわ。今日は入学テストということになっているけれど、間違いない?」
「はい」
入学は確定しているとはいえ、入学時に受けるテストは免除とはならない。
この学園では成績ごとにクラス分けがされており、成績が高い者から順にAクラス、Bクラスと続く。そのクラス分けの目安となるのが入学テストというわけだ。
まあ、王の意向で私はどんな成績であろうともサリアと同じクラスになることは決定しているけどね。サリアのストッパー役として送り込まれているのに違うクラスにいてはとっさの時に止めにくい。明確に敵対されない限りは大丈夫だとは思うけど、何が起こるかはわからないからね。用心に越したことはない。
これでサリアがとても優秀で私がついていけなかったらちょっと大変だけど、サリアはこれまで屋敷にほぼ軟禁状態だったわけだし、勉強も最低限のことしかしていないからそこまで差が離れるということはないだろう。多分。
「それじゃあこちらへどうぞ」
クラン先生に案内され、校舎内を歩いていく。
案内されたのはとある教室。普段は使われていないのか、部屋の後ろの方には備品らしき荷物が積まれている。数人の教師がおり、テストは彼らの立会いの下行われるらしい。
促されるままに席に着くといくつかの答案用紙が机の上に置かれた。
「ごめんなさいね。普段は大講義室でするのだけど、今は授業で使っているから。許して頂戴ね」
クラン先生がにっこりと微笑みながら頭を下げる。
まあ、わざわざ二人だけのために大講義室とやらを使うのは無駄が多いだろう。ただテストするだけなら空き教室らしきここでも十分だ。
こんな教室でもサリアにとっては物珍しいようで、あちこち視線をさ迷わせている。緊張しているというわけではなさそうだけど、テスト中はちゃんと集中しなきゃダメだよ?
「まずは紹介するわね。こちらは私と同じ教師のクラウス。主に火魔法について教えているわ」
「クラウスだ。よろしくな」
クラン先生が教師の紹介を始める。
クラウスと呼ばれた男性はかなりの高身長で結構筋肉質な体をしている。どちらかというと魔術師というよりは剣士と言われた方がしっくりくるけど、腰には短い杖を差しているしやはり魔術師なのだろう。
「続いてこちらはアンジェリカ。主に水魔法と風魔法を担当しているわ」
「よろしくね編入生達。ちなみに、私の前で不正しようとしても一発でばれるからそのつもりでね」
続いて紹介されたのは背の低い女性。教師をしているということは大人なのだろうが、私と同じくらいだろうか。多分小人族とかなんじゃないかと思う。
深緑色の髪をポニーテールでまとめている。背中には身長ほどある杖を背負っており、釣り目がちな目は勝気な印象を持たせる。
「最後、こちらがルシウス。主に闇魔法を担当しているわ」
「……」
最後に紹介されたのは黒いフードを被った男性。室内だというのにすっぽりとかぶっているからどんな表情をしているかはわからない。
喋りもせず、微動だにしない。なんだろう、無口なのかな?
「さっきも言ったけど、私はクラン。担当は土魔法よ」
クラン先生が微笑む。中々個性豊かな面々のようだ。
「それじゃあ、準備がいいようなら試験を始めるわね。時間は一時間。席は離れてるけど、カンニングはもちろん駄目よ? 何か質問があったら手を上げて呼んでちょうだいね」
「あの、すいません……」
「どうしたの? ハクさん」
「文字が読めない場合はどうすればいいでしょうか……」
ちらりと問題を見てみたが、ほとんど読めなかった。
一応、この日のために多少は勉強していたけど、短期間の詰込みだけでそこまで覚えられるはずもなく、ほとんど穴あき状態だ。
いや、これでも読めている方だろう。私は記憶力がいいから大抵のことは暗記できるけど、この短期間ですべてを覚えるには時間が足りなかったというだけ。
まあ、ニュアンスで大体の意味は分かるけど、そもそも書きの方も不安なのにテストとかできるのだろうか。
「あら、ハクさんは文字を読めないのね。うーん、それなら私がついて問題を読み聞かせてあげる。文字は書ける?」
「一応、少しだけなら……」
「わかったわ。まあ、あなたの事情は聞いているから、気にしなくていいわよ」
なんだか非常に申し訳ない。怒るでもなく、笑顔で隣に寄り添ってくれるクラン先生には頭が上がらない。事情って言うのはサリアのことだろうか、点数が酷いのにAクラスとかに入れられたらそれはそれで申し訳ないんだけど……。
ちらりと他の教師の反応を見てみる。
クラウス先生は、特に変わりないな。アンジェリカ先生はちょっと不満そう。ルシウス先生はよくわからない。
ざっと調べてみたけど、学園では文字の読み書きは必須レベルらしい。一応、読み書きが不安な平民の生徒もいるけれど、それでも日常的に使用する分には困らないレベルらしい。私の様にほぼできないのは本来なら入学することすらできない。
そう考えるとアンジェリカ先生が不満げなのはわかる。むしろ、他の先生が優しすぎるだろう。約一名読めないのがいるけど。
ちなみにサリアは読み書きに関しては問題ないらしい。アンリエッタ夫人や屋敷のメイド達が密かに教えていたようだ。まあ、一応貴族だし、読み書きくらいできないと格好がつかないのかな? 純粋にサリアのことを心配してだと思うけど。
「それじゃあ、準備はいいわね? では、始め!」
クラン先生の合図と共に問題を見る。
魔法学園というだけあって、問題の主は魔法関連だ。そちらは得意分野だと言いたいところだが、私の知っている魔法と学園が教えている魔法は少し違うらしい。
というのも、この魔法の詠唱句は何かという問題が多く、私にはさっぱりだった。基本属性は何かとか魔法の発動に際して必要なことはとかそういうことなら書けるけど、詠唱句なんて無縁の生活をしてた私からしたらほとんどの問題を空欄で飛ばすことになってしまった。
その他、地理や歴史、文学などはさっぱり。できたのはせいぜい数学くらいだろうか。
前世の知識を持っているとはいっても、それらはほとんど役には立たなかった。これ、もしサリアが成績優秀だと私置いてけぼりにされちゃうんじゃ……。
興味のなかったこととはいえ、流石に少しは勉強しておくべきだったと後悔した。
誤字報告ありがとうございます。