第六百三十話:呪文の重要性
『契約者の兄よ、先程の話の続きをいいだろうか?』
「なんですか?」
一息入れていると、ルディが話しかけてくる。
先程の話の続きというと、一夜にはあまりこちら側に来て欲しくないって話かな?
『汝が契約者に無垢なままでいてほしいという願いは理解できる。しかし、一度関わった以上は、無垢なままではいられない。それはわかるな?』
「そうでしょうね。一夜はもう一般人には戻れない」
一度でも、こちらの世界に来てしまった時点で……いや、そもそも転生した私と会った時点で、一夜は一般人というくくりから微妙に外れてしまった。
それが悪いこととは言わないけど、それをきっかけに、どんどんこちら側に染まってきてしまえば、いずれあちらの世界に戻れなくなる日も来るかもしれない。
私があちらの世界で命を落としてしまったからこそ、一夜の生活をめちゃくちゃにしてしまったという自覚はあるけど、だからこそ、一夜には平穏な日常を過ごしてほしい。
でも、こちらの世界に来ていることから考えても、それはもはや不可能だ。
一度好奇心を刺激されれば、人はなかなか止まれない。
一夜も、いずれは平穏な日常から脱却する日が来るだろうね。
『仮に、汝が心を砕き、平穏を守ろうとも、外敵はそれをあざ笑うかのように迫ってくる。特に、我の世界の魔術師は、そう言った怪異に狙われるのが常だった。特に、クイーンのような道化にはよく狙われる』
「このままこの世界にいれば、一夜はクイーンに狙われる可能性が高いと?」
『それはもちろんだが、一度狙われれば、元の世界に戻ろうとも、狙われる可能性はあるだろう』
「そんな……」
クイーンに狙われる可能性があるとは思っていたけど、まさかあちらの世界に戻っても狙われ続けるかもしれないとは思わなかった。
でも確かに、神様にとって、世界を渡るなんてことはそう難しいことではない。
この世界の神様だって、気軽に別の世界に渡っているようだし、クイーンにしたって、こちらに全く気付かれることなく、この世界に侵入したのだから、よりやり慣れていると考えていいだろう。
どういう手段で来ているかは知らないが、いずれはあちらの世界に渡る可能性だって、ないわけじゃない。
やはり、一夜がどんなに願おうとも、こちらの世界に連れてくるべきではなかったのだろうか。
捕捉されなければ、少なくとも一夜が狙われることはないだろうしね。
『もちろん、他の神々に狙われる可能性もある。それらから身を守るためには、敵を知り、それを退ける呪文を覚えることが不可欠だ』
「私が呪文を使うことを止めたことを、怒ってるんですか?」
『怒ってはいない。ただ、理解はできなかった。恐らく、汝は呪文の重要性に気づいていない。特に、クイーンを退けるためには、退散の呪文は不可欠だ』
「退散の呪文……」
確か、以前にタクワから聞いたことがある。
クイーンを始めとした神々は、召喚の呪文に応じて現れる。そして、召喚者の願いを叶え、その対価として退散の呪文を使ってもらい、元の居場所に帰るのだ。
今回の場合は、召喚者がクイーンで、退散の呪文を唱えるべき人物がいなくなってしまったから、帰ることができず、この世界に留まっている状態。
つまり、退散の呪文を唱えてもらえれば、この世界から異世界の神々はいなくなる。
しかし、退散の呪文を唱えるには多くの人々の協力が必要であり、それ故に、神々は信仰を集めようとするのである。
『クイーンは、多くの姿の一つに過ぎない。たとえ、クイーンを消滅させたとしても、また別の姿で現れるだろう。もし、クイーンをこの世界から追い出したいのなら、呪文は必ず必要になる』
「ルディは、その呪文を知っているんですか?」
『いや、我は知らない。外宇宙の神々の退散法を知っているのは、彼の神々と接触した一部の魔術師だけだ』
「じゃあ、どうしようもないじゃないですか」
退散の呪文が必要不可欠なのに、その呪文を知っている人がいないんじゃ何の意味もない。
私を強化することで、クイーンに対抗できる力を得て、どうにか撃破できればと思っていたけど、そうなるとなかなか難しくなってくるか。
『だが、仮に呪文を得る手段を得たとしても、唱える者がいなければ意味がない。呪文を扱えるのは、魔術師のみ。少なくとも、呪文を完全に理解している魔術師が一人いなければ、呪文を唱えることすらできない』
「……つまり、身を守るためにも、その魔術師を、一夜に任せたいってことですか?」
『そういうことだ。呪文の重要性がわかるだろう?』
「……」
呪文がなければ、クイーンを退けることは難しい。そして、私の関係者である以上、一夜が狙われる可能性はかなり高い。
であるなら、対抗策として呪文を覚えることは、必要なことである、と言いたいわけか。
確かに、魔術は魔法とは違ってできる範囲が少し異なるようだし、退散の呪文を扱うためには、呪文を扱う知識が必要。
一夜であれば、ルディからそれを教わることができ、一応適任ではある。
でも、それだったら、私が呪文を学び、それを覚えることでもいいのではないだろうか?
ルディが教えてくれないにしても、呪文くらいならリクも知っていそうだし、クイーンを打倒するという目標を掲げるウルさんやノームさんなんかも協力してくれそうである。
退散の呪文を手に入れる手段は置いておいて、呪文を唱えるだけなら、私にできると思うけど。
『……』
「ルディ、もっともらしいことを言って一夜を取り込もうとしてません?」
確かに、クイーンに狙われるかもしれないというなら、一夜が自衛のための呪文を覚えるのは間違ってないかもしれないけど、だからと言って、退散の呪文まで覚える必要はない。
それは実際に戦うつもりである私が覚えればいいことだし、わざわざ一夜を危険な場所に連れて行くことなどありえない。
ただ単に、呪文を覚えるためのもっともらしい理由が欲しかっただけじゃないだろうか?
『……ところで、契約者が戻ってくるまでの間に、一つ贈り物を用意しておいたのだが』
「誤魔化しましたね」
『ごほん! これだ』
あからさまに話をそらそうとしているルディだが、贈り物があるというのは本当のようで、暗闇の中から、小さな手が伸びてきた。
これは、ペンダントだろうか?
ほの暗い赤色の宝石がはまった菱形のペンダント。
装飾品として見るなら、なかなか綺麗な代物だと思うけど、こんなものどうやって用意したんだろうか。
『これには、我の精神力が込められている。この宝石を通じて、契約者が呪文を発動させれば、その精神力を我が肩代わりすることができるのだ』
「つまり、気絶する心配がなくなると?」
『そう言うことだ。これならば、汝も安心できるだろう?』
確かに、魔力の使い過ぎで気絶するリスクがあるから使えないというなら、そのリスクを取っ払ってしまえば使い放題ということになる。
まさか、そんなものを用意しているとは思わず、少しぽかんとしてしまった。
思わぬ贈り物を前に、私はどうしたものかと腕を組んで唸った。