第六百二十七話:複雑な兄心
『時に契約者よ、呪文の習得は進んでいるか?』
[ああ、うん。割とできるようにはなって来たんだけど、ハク兄に止められちゃったから、最近はやってないかな]
『……契約者の兄よ、どういうつもりだ?』
「どういうつもりって……危ないからやめさせたんですよ」
目のない顔がじろりとこちらに向いてきて、かなりぞわっとしたけど、私は負けじと言い返す。
一夜にルディが授けたという呪文。それは、魔法とは少し異なる魔術を扱うためのものであり、発動には、精神力を使用するものらしい。
検証の結果、精神力とは、魔力と似たものだということはわかったけれど、いずれにしても、あちらの世界では魔力の補充が難しい以上、使いすぎて気絶する可能性が高いわけで、だからこそ、頻繁に使わせるわけにはいかないのだ。
一夜が魔力を持つことができたのは喜ばしいことではあるけど、だからと言って、積極的に使う必要はないと思う。
『呪文は身を守るために必要なものだ。それをやめさせるなど、汝は妹の命が惜しくないのか?』
「ルディの世界がどういうものかは知りませんけど、あちらの世界で魔術が役に立つようなことはほとんどないですよ。安全な世界ですからね」
『完璧に安全な場所など存在しない。いざという時に対抗する術を持っていなければ、助かるはずの命も果てることになる。それでも止めるか?』
「だとしても、安全を買うために危険になってたんじゃ本末転倒です。あちらの世界で魔術を使うには、色々とハードルが高いんですよ」
精神力が魔力と同じ性質を持っているなら、あちらの世界では使った魔力を回復する手段が乏しすぎる。
魔力がなくなると、気絶してしまうから、例えば身を守るために魔術を使い、それを回避したとして、その後に気絶してしまったんじゃ何の意味もない。
一応、魔力とは違って、あちらの世界でも寝れば数時間で回復する代物のようだけど、だとしても気絶のリスクが付きまとう以上は、乱発するのもよくないだろう。
『つまり、精神力を容易に回復する手段があればいいのだな?』
「極論を言えばそうなりますけど、そうだとしても一夜には普通の人間でいてほしいんですけどね」
『なるほど、いつまでも無垢でいてほしいということか。その気持ちは理解できないでもないが、一度こちら側に関わった以上、いつまでもそのままでいることは難しいと判断する』
「……まあ、そうなんでしょうけどね」
私は、一夜に強くなってほしいわけじゃない。
一夜には、あちらの世界でヴァーチャライバーとしての生活があるし、あまりにファンタジーに染まりすぎて、現実と乖離するようなことにはなって欲しくない。
もちろん、強くなることで身を守ることができ、危険が減るというならそれはいいことだけど、それをきっかけに、周りから奇異の目で見られる可能性もある。
そうなってしまったら、一夜はこちら側に来ざるを得なくなる。
仮に、一夜がそれを望んでいたとしても、私はあまり推奨したくはないのだ。
ルディの言う通り、一夜はすでにこちら側に関わりすぎているし、それが露見するにしろそうでないにしろ、いずれは染まっていくのは間違いないのかもしれない。
けど、積極的に染め上げるには、まだ早い気がする。
これは、私の我儘なんだろうか。
特に、あちらの世界ならともかく、こちらの世界ではクイーンの存在もある。
クイーンが、私の気を引きたいがために、一夜に手を出す可能性もあるわけで、その時に、何も知らない無垢な女性のままでは確かに危険かもしれない。
こちらの世界にいる間は私が守るとは言っても、前例があるし、守り切れない可能性は十分にあるしね。
そう言う意味では、強くなってほしいとも思う。
一体、何が正解なんだろうか。
『複雑な兄心という奴か。そう言うことなら、せめて我を常にそばに置け。さすれば、契約者のことはどんなことがあろうとも守って見せよう』
「……ちゃんと守ってくれるんですか?」
『加減はできぬかもしれぬが、守ることはできる。たとえ、彼のクイーンが相手であろうとも、命の保証はしよう』
「……はぁ。それじゃあ、一夜のこと、よろしくお願いしますね」
得体のしれない神様の手を借りるのは業腹だけど、現状は、ルディの方が私より強い。
少なくとも、私がクイーンに対抗するよりは、守ってくれる確率は高いだろう。
二人の信頼関係を見れば、少なくとも守ってくれるだろうって感じはするしね。
[二人とも心配性だなぁ。私は大丈夫だって]
[なんでそんなに楽観的なのか、私にはわからないよ]
当の本人は、凄い能天気なこと言っているし、心配している私が馬鹿みたいだ。
まあ、ルディが一夜を守ってくれるというなら、私も少しは安心できると思う。
少なくとも、こちらの世界での懸念事項が少しは減ったわけだしね。
その間に、私の強化案を考えつければいうことなしかな。
『それはそうと、気になることがあるのだが』
「なんですか?」
『汝の体から発せられる気配に覚えがある。もしやと思うが、我と同郷の神を匿っているか?』
「ああ、そう言えば言ってませんでしたね」
恐らく、ルディが言っているのはリクのことだろう。
リクが私の体に住まい始めたのは、ルディが去った後だし、知らないのも無理はない。
私がリクのことを紹介しようと口を開こうとすると、その瞬間、口の周りに違和感を感じた。
この感覚には覚えがある。そう、リクが私の体をいじくりまわす時の感覚だ。
「ちょ、まっ……」
『やあやあ納骨堂、久しぶりだね』
制止する間もなく、私の口周りがぼこっと盛り上がり、凶悪な牙を携えた竜の口へと変化する。
恐らく、竜珠の力を応用して、一部だけ変化させたんだろう。
口が変化させられて影響か、口の主導権を奪われ、私の口は勝手に言葉を紡ぐようになる。
普通に【念話】で話せばいいだろうに、なんでこういうことするかな……。
『汝は病原体の王か。気ままに世界をさすらい、病気を振りまく汝が、なぜ一か所に留まっている?』
『ちょっとした契約でね。この体が居心地がいいから、しばらくバカンスってわけさ』
『そうか。汝がどこへいようとかまわんが、いくら神とは言えど、未熟なその身では窮屈ではないのか?』
『全然。むしろ、今までで一番いいまである。君の近くも捨てがたいけどね』
『遠慮願いたい』
どうやら、ルティはリクのことを知っているらしい。
まあ、同じ世界の神様っぽいし、リクの性質上、ルディの近くにいても不思議はないか。
それよりも、いい加減主導権を返してほしい。
私は手で口を叩く。
勝手に喋らされるのって、相当違和感があるんだと実感したね。
『宿主がうるさいからこれにて失礼するよ。こっちはこっちで何とかするから、そっちも何とかしてね』
『ふむ、汝の思惑はよくわからないが、もとより契約者は我の保護下にある。言われずとも守るさ』
最後に、なにやら意味深なことを言って、口が元に戻る。
一体どういうことなのかはわからないけど、何か通じ合う部分でもあったんだろうか。
ルディも納得している様子だし、異世界の神様はよくわからない。
私は、口元をさすりながら、心の中でリクに文句を言うのだった。