幕間:町の一員として
私は、崇拝される資格などなかった。
昔は、エルフ達の信仰対象として、手厚く崇拝されていたことがあった。
エルフが精霊をありがたがる理由はよくわからないけど、実際精霊が見える人も多くいたし、エルフにとって、精霊は良き相談相手として優秀だったということもあって、そういうものかと受け入れていた。
エルフは魔力も多くて、居心地もよかったし、私は雨の精霊ということもあって、雨を降らせることに特化していた。
雨は森を育て、その恵みはエルフを助ける。そんな関係性があったことも、私が崇拝される理由だったのかもしれない。
しかし、ある日、どこからともなくやってきた化け物によって、私の日常は崩壊した。
その魔物は、戦闘力が高いエルフも難なく食い殺す程に凶悪で、エルフ達は必然的に私に相談を持ち掛けてきた。
しかし、私にその化け物をどうこうする術はない。
私は、魔法が使えなかった。精霊であれば、大抵は使えるであろう魔法を。
一応、雨の精霊として、多少の水を出すことくらいはできたけど、ただそれだけ。正面切って、その化け物を倒すというのは不可能だった。
幸い、その化け物は水に弱いらしく、私が雨を降らせている間は、近寄ってくることはなかった。
エルフ達も、真の解決とは言えないけど、それを喜んでくれたし、ひとまずはどうにかなったと思っていたのだけど。
私の雨は、ただの雨ではない。魔力を含んだ、特別な雨だ。
それが悪影響を及ぼしたのか、次第にエルフ達の中に、体調を崩す者が現れた。
魔力は吸収しすぎれば害となる。私達精霊にとっては、そんなことあるのかと思うところだけど、実際体調を崩しているのだから信じるしかない。
その規模は次第に無視できないほどとなり、化け物に関しても現状維持しかできないことから、エルフ達はある決断を下した。
それが、町を捨てて、去ること。
当然だろう。信仰対象である私ですらどうにもできないのだから、逃げるしかない。
ただ、その時に、エルフ達は、私にこう告げた。
『いずれ戻ってきた時のために、この町を守り続けてほしい』
それはすなわち、私は一緒に行けないということだ。
それが真実の言葉でないことはわかっていた。エルフ達が、何もできない私のことを不審に思い、口論をしていたのも知っていた。
だから、私はそれを受け入れた。
私が一緒について行っても、エルフ達のためにならない。私の実力不足で蒔いた種なのだから、せめて尻拭いくらいは自分でしなければならないと。
エルフ達がいなくなった町は、酷く寂しかった。
今まで、活気に溢れていた町は、一瞬のうちに静寂の支配する廃墟と化した。
きっと彼らは帰ってこない。けれど、私は責務を全うしなければならない。
私は、町に結界を張った。誰かが入ってこれないように、魔物に荒らされないように。
あの化け物が近寄らないように、雨も定期的に降らせた。
ありえない理想を描きながら、私は静かに耐え続けた。
そんなある日、転機が訪れた。
私の張った結界は、人避けと不可視の結界。この結界の側に近寄っても、ただ自然が広がっているように見えるだけだし、無意識のうちに別の方向に行くはずだった。
しかし、そいつはあろうことか、結界を打ち破り、中に入ってきたのである。
こんなことは、今まで一度もなかった。身を固くし、そいつがどう出るのかを見定める。
だが、そいつが町を見て回る度に、何もない建物が目に入る度に、悲しくて仕方がなかった。
私は知らずのうちに泣いていた。警戒しなくてはならないのに、涙が止まらなかった。
やがて、そいつは私の前に姿を現した。
敵かもしれない奴の前で、泣き顔を晒しているのはどうかと思ったが、仕方なかったのだ。
だが、今にして思えば、それでよかったのかもしれない。
あの時泣いていたからこそ、精神が不安定だったからこそ、自分の感情を吐露するのに、そう抵抗はなかったから。
『まさか、本当にここまでやってくるとは思わなかったけど……』
やってきたのは、ハクとアリアという精霊だった。
私と違って、魔法の才に溢れていそうなことはちょっと気に障ったけど、ハクは私の言葉を聞いて、約束をしてくれた。
私をこの町に縫い留めている元凶であるあの化け物を倒し、この町に再び活気を取り戻すと。
エルフですら手を焼いていたあの化け物を、いくら魔法が得意な精霊と言えど倒せるのか。そんな疑問が浮かんだけど、私はその言葉を信じることにした。
できるかどうかはわからない。けど、すでに何十年と経って、初めての来訪者である。
ハクからは自信を感じたし、もしかしたらと思ったのだ。
そうしたら、本当にあの化け物を倒し、町にはエルフではないけど人間達を連れてきて、賑やかにしてくれた。
想像以上の結果に、私は呆然とするしかなかった。
『この町って、こんなに明るかったのね』
今まで、幾度となく見てきた町。
エルフが住んでいた頃には感じていたはずの明るさを、すっかり忘れてしまっていた。
常に雨が降っていたのもいけなかったのかもしれない。雨が降れば、自然と日の光は届かなくなるから。
まだ少なくはあるけど、皆が生きようと努力している姿は、私の心を大いに喜ばせた。
でも、心配なことが一つある。それは、私が再び信仰されるようになった時、同じような結果にならないかということ。
あの化け物は倒されたとはいえ、あの時も唐突に現れたのだ。第二第三の刺客が現れてもおかしくはない。
その時、何もできない私を、人々は責めるのではないだろうか。
役に立てないというのは、とても怖い。信仰されるからには、それなりの責務を負う必要がある。
たとえ、私自身に信仰される気がなくてもね。
「えっと、精霊様、少しよろしいですかい?」
賑やかな街並みを見ながら不安を抱えていると、不意に一人の男性がやってきた。
確か、テルミーと言ったか。この町の人達のまとめ役のような人だと聞いている。
私は、声掛けに応じて姿を現す。
本来なら、精霊が軽々しく姿を現すことはよくないことらしいのだけど、この数ヶ月の間に、私はすっかり姿を現すことに慣れてしまっていた。
「ああ、出てきてくださった。先生からの言葉なんですが、一応確認しとこうかと思いまして」
『ハクから? 何を言われたの?』
「それが、精霊様のことは、信仰対象としてではなく、町の一員として扱ってほしいと」
『ッ!?』
まさしく、今抱えている不安についてだった。
私は、信仰こそされていたけど、その資格はなかった。もし信仰するなら、他にもっと適任の精霊がいたはずだ。
私が選ばれたのは、ただの運。偶然その場に居合わせたのと、雨を降らせる能力が目を引いたからだ。
しかし、常々思っていた。信仰対象として敬われるよりも、町の一員として、共に喜びを分かち合いたいと。
ハクは、それすらも見通していたというのだろうか。あまりに的を射ている発言に、私はしばらく言葉を発することができなかった。
「いや、先生の言葉なら間違いではないんでしょうが、精霊様としてはどうなのかなと、一応確認しときやしょうと思いまして。信仰ではなく、町の一員として共に歩む、ってことで大丈夫ですかい?」
『……ええ、問題ないわ。堅苦しいのは苦手なの』
「それを聞いて安心しやした。精霊様を俺達と同等に扱っていいものかどうか、悩んでいたもので」
『……その精霊様というのもやめて。名前で呼んでほしいわ』
「おっと、こいつは失礼。では、これからよろしくお願いしますよ、エウリラさん」
テルミーという男は、そう言ってニカッと笑う。
今日は、今までの人生において、最も嬉しい日かもしれない。
私は、しばらく見せていなかった笑顔を見せる。
今日は、一段と晴れそうだった。