第五百八十五話:罠を仕掛けて
日もすっかり落ち、夜の帳が降り始めた頃、奴はようやく現れた。
囮として罠の近くに待機させていたアリアに対し、飛び掛かってくる何か。
アリアには、あらかじめ結界で防御を施していたので、衝撃が伝わるだけで怪我はなかったが、下手をしたら、あれで食われていたかと思うと、少し怖いところだ。
「来たよ!」
「オッケー!」
当初の予定通り、アリアに罠まで誘導してもらう。
と言っても、この辺りにはそれなりの数の罠を設置してある。ちょっと移動してやれば、すぐに引っかかることだろう。
万が一、こちらを狙ってきた場合でも、それも含めて罠は設置した。
死角はない。
「かかった!」
案の定、すぐに不可視の魔物は罠に落ちたようだ。
派手に音を立てて落ちたのを確認し、すぐさま結界で蓋をする。
夜ということも相まって、ほとんど何も見えないが、かなり激しく抵抗しているのか、結界がきしむ音が聞こえる。
この結界、相当頑丈なはずなんだけど、どれだけ馬鹿力なんだ。
このままでは、そのうち破壊されてしまうかもしれない。だけど、罠に落とした時点で、ほぼ目的は達したも同然である。
「エル、お願い」
「お任せください」
私はすぐさま指示を出し、エルに奴を攻撃してもらう。
隠密がどういう原理かはわからないが、精霊の性質を得ているなら、恐らくは精霊特有のものだろう。
基本的に、精霊の隠密は景色に溶け込むように自身の魔力を操作している。だから、仮に何かしらで汚し、目印をつけたとしても、それを含めて調整すれば、景色に溶け込むことができてしまう。
精霊に隠密を解除させたいなら、周辺の魔力を一時的にでもすべてなくすくらいのことをしなければならない。後は、自分で解除してくれるのを願うとかね。
本来はかなり難しいことだけど、この魔物は、水が弱点であるが故に、水の攻撃を受けると、隠密を解除してしまう。
氷魔法は、厳密には水魔法ではないが、氷が溶ければ水になるように、水の性質を持っていないことはない。
その氷で奴の体を覆ってしまえば、仮に隠密をかけ直されたとしても、捕捉できるはずである。
「よし、ちゃんと隠密も剥がれたね」
エルの攻撃は荒々しいものが多いけど、今回の攻撃は、どちらかというと拘束に近い。
元々、氷魔法には相手を拘束する魔法も存在するけど、これはそれをより強化したものである。
まあ、エンシェントドラゴンであるエルが本気で拘束しようとすれば、大抵の魔物は抗うことはできないだろうけどね。
それでもこれだけ暴れられるなら、相当強いんだろうけど、ここまで入ってしまえば、後は最後の仕上げをするだけである。
「あとはこれを……っと、そこまでうまくはいかないか」
チェックメイトすべく近づいたが、それよりも早く、奴は結界を破り、穴の外に出てしまった。
うーん、結界は飛び切り強力にしたつもりなんだけど、結界に干渉する力でも持っているんだろうか。
いずれにしても、有利に事が運べるのはここまでのようだ。
と言っても、隠密はすでに剥がれているし、これ以降隠密が張られる可能性も低い。
隠密がないことで逃げる可能性もあるけど、それには無数に張り巡らされている罠を突破しなくてはならない。
唯一の逃げ道は私達が塞いでいるし、私達を突破しない限り、逃げることはできないぞ。
「ぐるる……」
知能が低い魔物なら、そんなのお構いなしに行動するかもしれないけど、こいつは知能もそれなりにあるようだ。
ところどころに氷を張り付けながら、憎々しげな眼でこちらを見ている。
そちらはこちらが憎いかもしれないが、こちらとて、今まで多くの精霊を食われたという恨みがある。
悪いけど、ここで倒させてもらうぞ。
「ぐるぁ!」
「はっ!」
飛び掛かってくる魔物を前に、私は水の刃で応戦する。
エルの氷によって、多少動きは鈍っていると思いたいが、それでもかなり速い。
目視で追っていては、かなりの頻度で視界から外れることがある。
でも、今は隠密が剥がれている状態。今なら、探知魔法が使える。
視界外からの攻撃は把握できるし、何より、今回はエルとアリアという頼もしい味方がいる。
そう簡単に攻撃が当てられるとは思わないことだ。
「エル、そっちお願い!」
「了解です」
最低限、逃げられないようにだけ注意しながら、攻撃を続ける。
しばらく動き回って疲れてきたのか、何度か攻撃が当たる場面もあった。
あんまり攻撃を当てると、氷が剥がれてしまうのでちょっと危ないが、多少であれば、問題はない。
それに、仮に通らなくても、攻撃を当てることに意味がある。
この調子で、続けて行こう。
「ハク、こいつ、なんだか様子が変だよ」
「確かに、動きがおかしいような」
しばらく攻撃を仕掛けていて思ったけど、こいつ、わざと攻撃を食らっているように見える。
いくら氷で動きが多少鈍っているとはいえ、あれくらいなら十分避けられるだろうに、なぜか避けない場面がいくつかあった。
罠を警戒しているんだろうか? 確かに、あまり大きく動きすぎれば、罠に落ちてピンチに陥る可能性もあるし、リスクを考えるなら不思議なことでもないが。
不意に止まるものだから、エルの氷もだいぶ剥がれてしまった。
あの時逃げたことを考えると、即座に隠密をかけ直せるわけではないと思いたいが、もし隠密がかけ直されたら、相当面倒なことになる。
できれば、氷には当てたくない。
「……いや、わざとか?」
偶然氷に当たっていると思ったけど、もしかしたら、わざと攻撃をずらして、氷を破壊させるように仕向けているのかもしれない。
奴にとって、氷は枷でしかないし、それを取り除くには、多少ダメージを受けてでも、攻撃を食らう方が手っ取り早いと考えたか。
当初の予定では、そもそもこの状態で攻撃を仕掛けることは考えていなかったし、それを狂わされたこともあって、こちらも多少アドリブが入っている。
そこまで理解しているかはわからないけど、氷がすべて剥がれたら、動きが変わる可能性もありそうだね。
なかなかに賢い魔物である。
「でも、そうはさせないよ」
氷が剥がれることによって、隠密をかけ直されたりするリスクはあるけど、ここで攻撃しない手はない。
かなり硬いのか、あまり堪えてはいないようだけど、それでも攻撃は当たっている。
その頑丈な毛皮は確かに脅威ではあるけど、闇雲に攻撃しているわけではないのだ。
恐らく、そろそろ効果が表れるはず。それまで、少し様子を見ながら攻撃していこう。
私は、間違って氷をすべて剥がさないように注意しつつ、奴の様子を見るのだった。
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