第五百八十二話:謎の嫌悪感
私はひとまず、水の刃で攻撃を仕掛ける。
これが件の魔物だとするなら、水は弱点のはず。仮に当たらなかったとしても、牽制くらいにはなるだろう。
一応、景色がブレているところに向かって攻撃を放ったが、手ごたえはない。
どうやら、外れてしまったようだ。
「アリア、上から援護して!」
「わかった!」
とっさに、アリアを上空へと逃がす。
恐らくだけど、この魔物は空を飛ぶことはないはず。遠距離攻撃は持っているかもしれないけど、少なくとも、地上よりは上空の方が安全のはずだ。
アリアの魔法も、それなりの威力がある。うまく私の攻撃に合わせて攻撃できれば、隙も作れるかもしれない。
「探知魔法も使えないって言うのは、久しぶり過ぎてちょっと怖いな……」
今まで、私はほとんどの戦闘を探知魔法に頼ってきた。
いや、対峙している間は目視に頼ることも多かったけど、相手の位置を確認する際には、無意識に探知魔法を見るくらいには依存していたと思う。
今も、映らないとわかっているのに、ついつい探知魔法を見てしまう。
今この時においては、それは大きな隙になりうるし、目視で確認した方がいい。
相手の攻撃が、一撃で即死させてくるような強力な攻撃であるならなおさらだ。
「おっと」
空気の揺らぎから、敵の攻撃を察知する。
感覚の話になるけど、恐らく相手は二足歩行ができ、少なくとも身長五メートルはある。
攻撃は鋭い爪のようなもので、多分一本一本が私の胴体くらいあるんじゃないかな?
威力は相当高く、硬そうな木が容易にへし折れている。
いくら私の防御力が高いとは言っても、流石にあれは死ぬかもしれない。竜形態なら、もしかしたら弾けるかもしれないが、今変身する余裕はない。
スピードもかなり速く、さっきまでそこにいたと思ったら、気が付いたら別の場所にいるってこともよくあった。
私の水の刃より速いって、どれだけ俊敏なんだろうか。少なくとも、Sランク級の魔物であることは確定である。
「撤退は難しそうかな……」
あわよくば、隙を見つけて逃げたいと思っていたけど、全然逃がしてくれる様子がない。
闇魔法による拘束も試してみたけど、そもそも当たらないからね。
こうなってくると、どうにかして討伐するしかない。かなり分が悪いけど、やるしかないか。
「こいつ、凄い鳥肌が立つ……!」
「私も何となく感じるね。見えないのが厄介って言うのはあるけど、もっと別の、嫌悪感を感じる」
アリアに言われた時は何のことだかわからなかったけど、こいつと対峙したことで、なんとなくその気持ちがわかるようになった。
こいつは、何というか、ここに存在してはいけない何かな気がする。
見ているだけで鳥肌が立ち、嫌悪感に吐き気がする。
いったいこの感覚は何だ? こいつは一体何者なんだ。
「ハク、もうこのあたり一帯吹き飛ばした方が早い!」
「環境破壊、と思ったけど、そんなこと言ってる場合でもないか」
できれば景観を守りたいとか思っていたけど、このままだと私がやられてしまいそうだ。
私は、周囲に結界を張り、一時的なシェルターを作る。そして、水の範囲魔法でこのあたり一帯を吹き飛ばす準備をした。
私が止まったのを皮切りに、敵の攻撃が激しくなる。
今までは何とか避けてきた攻撃だったけど、結界で受けているとはいえ、かなり重い。
下手な防御魔法とかじゃ貫かれていてもおかしくないな。
「悪いけど、吹き飛んでね」
準備が整い、魔法を発動する。
周辺がさざ波のように揺らめくと、それは次第に波となり、巨大な渦潮となる。
水魔法の範囲魔法。いくら相手が俊敏だったとしても、面攻撃してしまえば関係ない。
しばらく、荒れ狂う水を眺めながら、収まるのを待つ。
そう言えば、アリアは大丈夫だっただろうか。一応、アリアの提案だから、防御くらいはしていると思うけど。
「収まったかな」
やがて水が収まると、辺りの景色は一変していた。
木々はなぎ倒され、地面は抉れ、あちこちに水たまりができている。
一応、範囲は少し絞ったとはいえ、確実に巻き込むためにはある程度の範囲は必要だった。
これを再生するのは大変そうだけど、今回は仕方ない。
それよりも、まだ気を抜いてはいけない。いくら水が弱点とはいえ、一撃で倒せる保障などないのだから。
私は、周囲に視線を向け、奴の姿を探す。
しかし、思ったよりも早く、その姿を見つけることができた。
「これは……」
目の前にいたのは、巨大なクマだった。
私のことなど丸のみにできそうなほど大きく、両手に備えた爪は黒曜石のように輝いている。
先程まで、全く姿が見えなかったのに、なぜ見えるようになったのかはわからないが、憎悪の籠った眼でこちらを睨んでいる様子は、まだ闘志を捨てていない証拠だった。
「なに、こいつ……」
「この気配、何かおかしい……」
そのあまりに巨大な姿にも驚いたが、それよりも驚いたのは、その気配だ。
というのも、こいつからは精霊の気配を感じたのである。
こんなでかい精霊がいるわけはないので、精霊ではないとは思うけど、真っ黒な毛皮に纏う神秘的な輝きは、精霊が纏うものと少し似ている気がした。
一体どういうことだ? 私が知らないだけで、こんな精霊もいるのか?
確かに、精霊は万物から生まれる可能性があり、その気になればクマの精霊とかがいてもおかしくはないけど、いくらなんでもデカすぎるし、気配も禍々しすぎる。
得体のしれないものを垣間見て、私も背筋が寒くなってきた。
「あなたは、一体……」
つい、話しかけてしまったけど、クマはその言葉に返すことはなく、森の奥へと去って行ってしまった。
隠密が剥がれて不利と悟ったのか? 追おうとも思ったけど、これが罠の可能性もあるし、ここは見逃した方がいいか。
こちらも、万全とは言い難いしね。
「……思ったよりも大物だね」
ただの魔物であれば、伝説級の魔物だろうが何だろうが、相手にできる自信はある。
ヒノモト帝国でそう言った魔物は見慣れているし、多少足が早かろうが攻撃が鋭かろうが、大抵のことは何とか出来る。
しかし、あれは別格だ。探知魔法に映らないのもそうだけど、有り余る攻撃力、そしてスピード、どれをとっても今までの魔物とは違う気がする。
まさか、クイーン関連か? クイーンが何かしら改造を施した魔物というなら、確かにあんな無茶苦茶をできる理由にもなりそうだけど。
でも、クイーンが関連しているにしては、あまりに人と関わりがないような気がする。
クイーンは、人々が苦悩する姿を見たいと言っていた。であるなら、その計画の中心には、人がいなくてはならないはずである。
しかし、あの魔物は、随分前にエルフと接触して以降は、特に人との接触はない。
今回の件だって、私達がわざわざこの場所を開拓しようだなんて思わなければ、ずっと静かに暮らしていただろう。
そう考えると、クイーンが関わっている可能性は低いかもしれない。
一体、なんなんだろうか。
私は、去っていった方角を見つめながら、しばし思案していた。