第五百七十五話:雨の精霊
「こちらの声が聞こえますか?」
『ひっく……ひっく……誰……?』
石の中にいる精霊は、泣きながらもこちらの方へ視線を向けた。
どうやら声は聞こえるようである。
「初めまして。私はハク、一応、精霊でもあります」
「私はアリア。あなたの名前は?」
『私は……エウリラ』
同じ精霊と会話するということもあって、アリアも姿を現し、話しかける。
精霊、エウリラは、涙に濡れる表情で、若干警戒したように顔をしかめた。
『あなた達は、何者? どうしてここに入れるの?』
「すいません、少し気になったもので、結界を抜けて入らせていただきました。でも、決してあなたを害するためではありませんよ」
私は、少し簡略化しながら、これまでの経緯を離した。
森を開拓する際に、雨が良く降るから、その原因を探るために森の奥地へ来たら、ここの結界を発見し、そうしてエウリラさんに会った。
ここに来たのはただの偶然ではあるけど、こんな場所にいるなら、エウリラさんは何か知っている可能性もある。
この雨について、何か知らないだろうか?
『雨……多分、私のせい。私は雨の精霊だから』
「雨の精霊……となると、あなたが雨を降らせていたんですか?」
『うん。でも、降らせたくて降らせたんじゃないの』
「というと?」
『私の涙に反応して、雨が降っているんだと思う。私には、もう泣くことしかできなかったから……』
そう言って、エウリラさんは過去の出来事を話し始めた。
元々、この町はエルフが住んでいたらしい。
多くのエルフ達と同じように、外との接触を避け、森の中で静かに暮らしていた。
けれどある時、森に凶悪な魔物がやってきた。
その魔物は、町の外に狩りに出るエルフ達や、唯一とも言っていい行商人を襲い、死に至らしめた。
最初こそ、町を守ろうと、多くの人々が立ち上がり、魔物討伐に向けて頑張っていたが、魔物の脅威は思った以上に大きく、多くのエルフ達がやられていった。
これはもう自分達ではどうにもならないと思ったエルフ達は、自分達が信仰する精霊に、助けを求めた。
精霊は、どうにかしなければと思い、雨を降らせることで、その魔物を退ける選択をした。
その魔物は、幸いにも水に弱かったようだったから。
精霊のおかげで、町には平和が訪れた。精霊もそれを見て安堵し、うまくできたと自分を褒めた。
しかし……。
『結局、みんな去っていってしまったの……』
「それは、どうして?」
『私の雨は、ただの雨じゃない。魔力を多く含んだ、特別な雨。それは魔物を退けると同時に、エルフ達にも被害を与えた』
エウリラさんが降らせる雨は、普通の雨と違って、魔力を多く持った相手に悪影響を与えるらしい。
いや、正確には、数日とかであれば、むしろ魔力によって体が強化され、調子が良くなるらしいのだけど、あまりに長く浴びすぎると、体が魔力過多に陥って、体調を崩すようだ。
なんだか、魔力溜まりの魔力と似ている気がする。
あれも、許容量以上の魔力を詰め込まれることによって、吐き気を催したりするからね。
それにより、最初は雨をありがたがっていたエルフ達も、次第に嫌気がさしてきた。
だが、雨を降らせるのをやめれば、再びあの魔物と対峙することになる。
先の戦いで、多くの同胞を失っていたエルフ達は、もう二度とあの魔物と戦う選択を取りたくなかった。
雨が降り続ければ体調を崩し、雨が止めば魔物が戻ってくるかもしれない。
苦渋の決断の末、エルフ達は、この町を捨てて、別の場所に移動することにした。
「でも、あなたはエルフ達の信仰対象でしょう? なんで置いて行かれているの?」
エルフは、元々精霊信仰を持っており、精霊は特別な存在だと考えられている。
一部のエルフ達は、精霊を見通す目を持っており、それを通じて精霊と会話し、友好を深め、パートナーとなる。
特に、エウリラさんは町を魔物から守ってくれた英雄的存在。転居したなら、一緒について行くのが妥当だと思うんだけど。
『私は魔物を退けたけれど、ただそれだけだった。雨を降らせることしかできない私は、どうにか魔物を倒す術がないかと問われても、何も言うことができなかったの……』
精霊は基本的に魔法が得意である。
その属性は何から生まれたかによって変わってくるけど、得意な属性に関しては、マスターしていることが多い。
エウリラさんなら、雨の精霊ということだから、水属性を扱えると思う。
しかし、エウリラさんは、そこまで魔法が得意ではないようで、雨を降らせる以外では、ほとんど役に立たなかった。
エルフ達も、何とかこの町を捨てたくないと考えたようだけど、最後の頼みの綱である精霊がそんな調子だったから、ある時諍いが起きたらしい。
それは、エウリラさんはいらないのではないかというもの。
勝手に信仰しておきながら、いざという時に役に立たないからと切り捨てるのはいかがなものだと思うけど、そんな意見が大きくなった結果、エウリラさんは置いて行かれる羽目になったようだ。
もちろん、実際にはそんなストレートには言われず、魔物を封じるために、どうかこの地に留まって欲しいという風に言われたみたいだけどね。
でも、エルフ達の心情はスケスケで、エウリラさんは、そんなエルフ達の気持ちをわかっていながら、その提案を受け入れた。
なんだか、悲しい話である。
『私にもっと力があれば、みんなが離れていくこともなかったのに……そう思うと、悔しくて、悔しくて……』
「それで泣いていたんですか?」
『うん……。いくら泣いても、もう誰も戻ってこないのにね』
そう言って、またウルウルと涙を滲ませるエウリラさん。
昔、ここにいたエルフ達は、だいぶ身勝手な選択をしたようだ。まさか、町を守ってくれた英雄にして、信仰対象である精霊を見捨てるとは。
エルフに関しては、ローゼリア森国が少し表に出てきたくらいで、他のエルフ達は未だに森の中で暮らしている者が多い。
昔にやった、対抗試合の時は、エルフであるアリスさんは精霊の子供である妖精とも仲良さそうだったけど、他のエルフ達の間では、普通のことなんだろうか。
なんにしても、エウリラさんを置いて行ったエルフ達には少し憤りを覚えるね。
「辛かったですね……」
『辛い……でも、私はみんなの期待に応えなくちゃいけない。だからこの地で、この町を守りながら、魔物を退け続けるの』
エウリラさんは、涙の中に、確かな決意を持っていた。
町の風化具合からして、結構昔のことだろうに、今なおその魔物を退け続ける根性は素晴らしいと思う。
でも、それじゃあエウリラさんが可哀そうだよね。
それに、仮にそんな魔物がいるのだとしたら、この場所に町を作るなんて不可能だ。
開拓を進めるにしても、その魔物はどうにか対処しないといけない。
となれば、話は決まったようなものだよね。
「エウリラさん。もし、その魔物がいなくなったら、あなたは解放されますか?」
『……そりゃ、それが私の役割だもの。役割がなくなれば、縛られる必要もなくなる』
「ならば、私達がその魔物を退治しましょう」
一体どんな魔物なのかはわからないが、利害は一致している。
だったら、倒して安心してもらった方が気分がいい。
私の提案に、エウリラさんは目を見開いて驚いていた。
さて、まずはどんな魔物なのか、情報を知りたいところだね。