第五百五十八話:町の思惑
領主は、すぐに調査を開始すると言ってくれた。
本音は、今すぐにでも町の温泉を潰してやりたいと思っているようだけど、流石に、何の調査もなしに、村の言い分だけで動くことはできないらしい。
それにしても、領主は何も知らなかったんだろうか?
確かに、町に引かれていた温泉の川は、街道も通っていない僻地にあったとはいえ、町に温泉がどこからか引き込まれているということは、把握していたようだし、ちょっと調べればわかりそうなものだけど。
もし、領主がしっかりと把握していたら、村の人達もここまでピンチにならなかったと思うし、領主だって困らなかったと思うんだけど。
「確かに、あの町の温泉の源泉については疑問を感じていた。だが、上がってきた報告書では、問題ないとされていたのだ」
領主によると、領主自身も、もしやあの村の源泉から引いているのではと思ったようなのだけど、調査を命じた結果、報告では特に問題はなかったと言われたらしい。
あの村とは全く関係ない場所の源泉を掘り当てたということになっており、領主も、納得できない気持ちを抱えながらも、調査をした結果これならと、信じていたようだった。
しかし、私達は直接確認し、村の源泉から引かれていることを把握している。
その報告は、完全に嘘だとわかるけど、一体どういうことなんだろうか。
「何者かが、この事実を隠蔽しようとした、ってことですわね」
シルヴィアの言葉に、この場に沈黙が訪れる。
調査をした上で、問題ないとされていたってことは、その報告をした人が嘘をついたって言うことに他ならない。
町が賄賂でも渡したのか、それとも、初めからグルだったのか。
いずれにしても、かなり悪質である。
「……お前達、少しの間離席してくれ」
「アナン様、しかし……」
「構わん。この者達は、信用できる」
「……承知しました」
そう言って、領主は護衛の人達をいったん部屋から追い出した。
わざわざ人払いをしたってことは、秘密の話がしたいってことだろう。
私はとっさに、部屋全体に遮音の結界を張った。
これで、盗み聞きされる心配はない。
「ハク殿、あなた方は、村の味方と考えてよろしいな?」
「もちろんです。私達も、あの村の温泉は気に入っています。それを潰そうとしている輩がいると考えると、許してはおけません」
「それを聞いて安心した」
そう言って、領主は一呼吸置く。
そうして、今回の事件の核心に迫った。
「実を言うと、あの村のことを良く思わない連中に心当たりがあるのだ」
「そんな人達がいるんですか?」
「ああ。正確には、私のことが気に入らない連中と置き換えた方がいいかもしれないが……」
昔から、あの村の温泉に親しみを持っていた領主は、何かと村のことを気にかけていた。
村で何か問題があれば、積極的に手を貸したし、先の街道を食い散らかされる事件の時も、真っ先に修繕費用を工面した。
しかし、その連中は、それが気に入らなかったんだろう。
基本的に、大きな金が動くのは、都市や町が優先される。
別に、だからと言って、村が放置されるというわけではないが、人が多く、必要なサービスが多いそれらの方が、多くの資金を使う必要があるということで、村は後回しにされることが多い。
しかし、領主はそれを無視し、村に手厚い優遇をしていた。
それは、昔から温泉に慣れ親しんでいたからであり、言うなれば、領主のお気に入りの場所だったから。
本来なら、あまりに贔屓することは反感を買うし、やめた方がいいと思うけど、領主は他の町への資金繰りを狭めていたというわけではなく、あくまで個人的に支援していた。
貴族が気に入った者に資金を提供するのは普通のことだし、公的なお金を使っていたわけではないのなら、特に咎められるいわれはない。
だが、周りから見れば、村に厚く支援する一方で、町に対する支援を疎かにしていると見えたのだろう。
だからこそ、村を窮地に陥れることによって、領主の目を村から外そうとしたというわけだ。
「以前から、あの町から、村の源泉を使わせてほしいという依頼は届いていたのだ。しかし、距離の問題もあったし、何より、あの村はあの温泉あってこそ。だからこそ、村が衰退しないためにも、その要求は却下し続けていた」
「それが、反感を買った?」
「恐らくは。町の連中は、自分達の町にこそ私に来て欲しいと思っていたんだろう。あんな村ではなく、とな」
村を窮地に陥れることによって、村を消滅させることができれば、領主の目は、必然的に温泉がある町へと向く。
領主の目に留まれば、それだけ様々な意見を直接届けることができるし、領主が気に入っているとあれば、領民が訪れる頻度も高くなるだろう。
領主のことは気に入らないけど、利権などは欲しい。そう言った連中が、今回の事件に関わっていたんだと思う。
全く、とんでもないことを考えるものである。
「となると、調査を命じたところで、結局うやむやにされてしまうのでは?」
「だろうな。だから、私が直接出向いて、確認してこようと思う」
領主が直接確認できれば、もはや言い逃れはできなくなる。
正確に、どこまでの人間が関わっていたかどうかは、信頼できる人を使って調べるしかないだろうけど、少なくとも、無断で温泉を引いていることを確認できれば、町の信用はがた落ちとなる。
連中の思惑は、利権やお金を得たいからというものだろうし、温泉を止められ、信用も失えば、もはや権力者として大きな顔はできなくなる。
温泉がなくなることによって、町は困るかもしれないが、元々、温泉なんてなかった町だし、上を挿げ替えれば、十分立て直すことは可能だろう。
最悪なのは、村がなくなってしまうこと。そのためにも、まずは町への温泉を止めなければならない。
「領主自ら、というのは素晴らしいと思いますが、大丈夫なのですか?」
「もちろん危険はあるだろう。このことが知られれば、連中は間違いなく妨害してくるはず。護衛は連れて行くつもりだが、万が一ということもあるかもしれない」
「それなら……」
「そこで、あなたに協力を頼みたい。王都の英雄である、ハク殿に」
「……私のこと、ご存知でしたか」
こんな辺境にまで私の名前が広がっているのかと思うと少しびっくりだけど、でも貴族なら、知っていてもおかしくはないのかな。
そもそも、他の国ですら広まっているのだし、知っていも何ら不思議はない。
最初に、村の味方かどうか聞いたのは、ここで断れないようにするためか。なかなか抜け目ないね。
まあ、元々断るつもりなんてないけど。むしろ、こちらから言うつもりだったし。
「そう言うことなら喜んで。私達が、全力でお守りいたしましょう」
「ありがたい。頼みます」
そう言って、再び頭を下げる領主。
さて、どうやらもう一度あの村を訪れる必要がありそうだけど、行く末を間近で見れると考えれば悪くない。
むしろ、もう一度温泉に入れると考えれば、十分プラスだろう。
ここでの出来事は外には漏れていないとは思うが、果たしてどうなるか。
私は、村を救うために立ち上がる領主を見て、気合を入れることにした。