幕間:呪いの影響
砂漠の町の町長の娘、マーレの夫の視点です。
俺の妻は、町では少しは名の知れた歴史家だった。
外から入ってくるものを収集しては、知識を身に着け、時にはその知識を使って町の人を助けたりする、心優しい女性だった。
俺も、元々は外から来た冒険者だったが、彼女の優しさに触れ、いつしか告白していたことを覚えている。
幸い、この町では冒険者と結ばれることも珍しくなく、親である町の町長も、俺であれば任せられると快く結婚を許してくれた。
彼女との日々は幸せに満ちており、こんな幸せがいつまでも続くものだと、信じていた。
しかし、ある時、そんな幸せな日常は崩れ去った。
「先生、マーレは、大丈夫なんですか?」
「幸い、命に別状はありません。ですが、傷の処置が遅れていたのもあって、完全に傷が癒えるかどうかは微妙なところです」
町にある診療所の一室で、そんな言葉を聞かされ、絶望した。
事の発端は、つい先日見つかったばかりの遺跡である。
町の冒険者が偶然発見したものであり、その古さから、もしかしたら古代文明の痕跡が見つかるかもしれないとして、町の人々は早速調査に躍り出た。
その過程で、マーレもついて行くことになった。
町ではそれなりに歴史知識が豊富である彼女は、自らが興味を示したこともあって、同行することが決まったのだ。
もちろん心配もあったが、俺も一緒について行くつもりだったし、遺跡と言っても、そこまで大したことはないだろうと高をくくっていた。
しかし、結果は酷いものだった。
恐らくは、それなりに地位のある人間の墓だったんだろう。中には盗掘者に対するトラップがいくつも仕掛けられており、多くの冒険者が犠牲となった。
俺も、途中で腕をやられ、まともに戦うことができなくなったのもあり、調査は中止。すぐさま引き返すことになった。
俺は冒険者として、今までにも帰ってこなかった奴を見たことはあるが、それでもその死に様を直接見たわけじゃない。
トラップによって、くし刺しにされたり、奈落に落ちて行ったり、その光景を目の当たりにするのは、心に来るものがあった。
そして当然、普段は冒険者などでないマーレにとっては、その光景は衝撃的すぎた。
心に傷を負ったマーレは、帰った後、部屋に引きこもるようになった。
俺が声をかけても、ほとんど外に出ることはない。
俺も、心と体に傷を負ったし、マーレの気持ちも分かったので、時折声をかけて元気かどうかを確認する以外は、落ち着くまでそっとしておこうと考えていた。
だが、ある日、ハクと名乗る少女がやって来て、マーレと話をしたいと言ってきた。
どうせ話すことはないだろうと思ったけど、子供なら、もしかしたら心を開いてくれるかもしれないと思い、任せることにした。
ハクは、どう言いくるめたかはわからないが、マーレに扉の鍵を開けさせ、直接会うことに成功した。
そこまではよかったが、後から駆け付けた俺が目の当たりにしたのは、全身傷だらけのマーレの姿である。
話によると、ナイフによって自傷をしていたのだという。
まさか、そこまで追い詰められているとは思わず、なんで気づいてやれなかったんだと悔しさを噛みしめながら、診療所に向かい、そして、今に至るというわけだ。
「傷も大事ですが、それよりも問題なのは、心の方です。今、彼女はあらぬ幻覚を見ているようだ」
「幻覚、ですか?」
「ええ。自分は許されざる存在で、許してくれるのはあの方しかいないと。しきりに鏡を要求してきます。恐らくは、例の遺跡の呪いが関係しているものかと……」
「……」
確かに、マーレは俺の姿を見た時も、特に反応を示さなかった。
まるで、その辺に転がっている石ころでも眺めるかのように、無関心だった。
恐らく、マーレは自分のせいで多くの冒険者が犠牲になったと思い込んでいる。
確かに、冒険者が犠牲になったのは事実だが、それは決してマーレのせいではない。むしろ、マーレの知識によって、回避できたトラップも多く存在した。
全体的に見れば、マーレはむしろ、冒険者を救ったと言っていいだろう。
しかし、それでも犠牲者が出たのは事実。
心優しいマーレは、それで自分が許せなくなった。
呪いに関しては、本当かどうかは怪しいところだけど、実際に、他の生き残りは、鏡を割ったりして暴れたこともあった。
鏡が何に関係しているのかはわからないけど、何かしらのキーワードがあるのかもしれない。
「今は安静にしていますが、いつまた暴れ出すとも限りません。どうか、なるべくそばにいてあげてください」
「わかりました……」
怪我は治らず、精神も安定しない。事態は、思ったよりも深刻なようだ。
俺は、病室に向かい、マーレの様子を見に行く。
今は落ち着いているのか、ベッドの上で目を閉じているようだ。
一応、処置はしたが、腕や足の傷跡は痛々しく、包帯越しでも血が滲みそうになっているのがわかる。
主に傷ついていたのは腕や足だけで、首や顔などと言った急所はあまり傷ついていなかったようだけど、それでも、妻がこれほどの怪我をするのは見ていられない。
俺は、ベッドの横に置いてある椅子に腰かけ、マーレの様子を見守る。
俺は、時間が解決してくれるだろうと、過度に接することをしなかった。
それが、お互いにとっていい結果になるだろうと、信じていた。
しかし、結果はこれである。俺は、何ということをしてしまったんだ……。
「マーレ、俺は、お前の隣にいる資格がないんだろうか……」
そもそもの話、遺跡の調査の時に、マーレを連れて行かなければ、こんなことにはならなかった。
いくら歴史に詳しいとは言っても、別に専門家というわけではない。
本格的な調査をしたいなら、それこそ聖教勇者連盟にでも頼めばよかったし、わざわざ危険を冒して、町の人々が調査する必要はなかった。
それでも調査に乗り出したのは、わずかでも、欲があったから。
遺跡の謎を解き明かし、歴史研究家達にいい顔をしたい。そうでなくても、遺跡を観光資源とし、より多くの人を呼び込みたい。
そう言った欲があったが故に、独断で挑んだ結果である。
その結果得られたものは何だ? 心を病み、傷だらけになった人々と、呪いとまで噂されるようになった遺跡だけである。
仮に、マーレだけでも連れて行かなければ、結果は変わっただろうか。
悔やんでも悔やみきれない。俺にとって、マーレはとても大切な人なのだから。
「……いや、今気づけたんだ。まだやり直せるはずだ」
マーレの心がどこにあるのかはわからない。もはや、俺のことなど眼中にないのかもしれない。
しかし、こうして知った以上は、努力するべきだろう。
俺はマーレの夫であり、唯一の幸せを掴んだ者だ。遺跡の呪い如きに、邪魔させてなるものか。
どれだけかかるかわからないけど、きっとマーレの心を取り戻して見せる。
静かに眠るマーレの顔を撫でながら、そう誓うのだった。
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