第百三十話:空を飛ぶ体験
翌日、私はみんなより一足早く目が覚めた。というのも、唐突に生えてきた翼と尻尾のせいで寝苦しく、碌に寝れなかったためだ。
幸い、魔力溜まりの魔力の影響か体調はすこぶるよく、短い眠りでもそこまで疲れを持ち越さなかったからまだいいが、これで疲れがとれていなかったら翼や尻尾をだいぶ恨んでいたことだろう。
他のカーテンの奥からはまだ寝息が聞こえていたのでまだ早朝なのだと思う。また寝てもいいが、どうせ寝苦しくて寝るまで時間がかかるのでもう起きてしまうことにした。
外に出ると、まだ薄暗い空が見える。すり鉢状の地形のせいかそこまで風はなかったが、朝特有の冷たい空気が肌を刺した。
軽く伸びをし、背中の翼に気を配る。というのも、せっかくだから少し試したいことがあったのだ。
これ、飛べるのかな?
話にしか聞いたことはないが、鳥系の獣人は翼で空を飛ぶことが出来るらしい。それと同じ理屈なら、この翼でも飛べるのではないかと思ったのだ。
幸い、翼の動かし方はわかる。まるで初めから私の一部だったかのように自在に動かすことが出来る。私は試しに大きく羽ばたいてみた。
ばさりと音を立てて広がった翼はその膜で空気を掴み、風圧で辺りの砂を吹き飛ばす。一振りしただけでは体は浮くことはなかったが、これを繰り返せば飛べるだろうか。
空を飛ぶのは一種の憧れだ。前世でも子供の頃は空を自由に飛びたいと願ったことがあった。
この世界であれば風魔法を極めれば飛翔することも可能だろう。多分、原理だけなら少し研究すれば理解できると思うが、魔力消費が相当きつそうだなと思う。
こうして翼が生えたのはある意味僥倖だ。これで飛ぶことが出来たなら魔法でも同じように風の翼を作り出せば飛ぶことが出来るかもしれない。そうすれば単純に体を浮かせるよりは魔力消費を抑えられるだろうし、飛翔魔法も現実的なものになるだろう。
淡い希望を持ちながら、羽ばたきを徐々に早くしていく。片翼で自身の身体を包み込めそうなほど大きな翼は最初こそゆっくりにしか動かせなかったが、やがて空気の掴み方にも慣れ、僅かに体が浮かび上がる。
思い切って地を蹴るとそのまま体は浮かび上がり、大空へとその身を羽ばたかせていった。
「おおー!」
私は今地上を見下ろしている。力強い翼は羽ばたけば羽ばたくほどその高度を上げ、今や鉱山全体を見渡せるほどだ。
上空に行くにつれて強くなっていく風にわずかに身を震わせたが、そんなことが気にならないくらい爽快な気分だった。
以前、跳躍魔法で飛んだ時に森を見下ろしたことがあるが、その時の感覚に似ている。違うのはそれが一瞬のことではなく、可能な限りずっと続いていくことだ。
少し身体を傾けてやればそちらの方に曲がることが出来るし、羽ばたくのを止めて翼を平衡に保てば滑空することもできる。その場でホバリングすることも簡単だし、初めて手にした翼とは思えないほどよく体に馴染んでいた。
やばい、楽しい。先程までは碌に寝れなかったことに不満を抱いていたが、それがどうでもいいと思えるくらいには楽しい。
やっぱり翼はありかもしれない。こんな気分になれるのだったら多少寝苦しいことくらい構わない。私はすっかり翼の虜になっていた。
「ふぅ、楽しかった」
「ハク、ご機嫌だね」
「あ、アリア。おはよう」
しばらく空を堪能して地上に戻ってくると、微笑ましいものを見るような目でアリアが待ち構えていた。
すっかり無表情キャラが定着してしまったこの顔だが、今はそのキャラが崩れるくらいにへっと表情を崩していた。寝起きで状況が呑み込めていないアリアでも私が機嫌がいいことにはすぐに気が付いたようだ。
「その翼、まだ消えないんだね」
「うん、まだ残ってるみたい」
服を突き破るように飛び出している翼はかなり大きく、おかげで服を脱ぐことが出来ないでいた。無理に脱ごうとすれば確実に服は着られなくなってしまうだろう。後に新しい服を買うつもりとはいえ、今そうなるのは困る。
尻尾も同様で、おかげで体を拭く際には少し苦労した。
当初は魔力溜まりを出ればそのうち元に戻るだろうと思っていたが、未だに魔力が消費されていないのだろうか。あの時、胸の内に感じた膨大な魔力の塊はすでになく、全身に馴染んでしまっているように思う。自分の魔力として取り込まれてしまったのだろうか?
なら、消費するためには魔法を使わなくてはならない。翼を失うのはちょっと惜しいが、生活に支障が出るのも事実。私が気にしなくても他人は気にするだろう。特にお姉ちゃんは心配するだろうしね。
「うーん、消費してみるか」
もう十分に空は堪能した。できればこれ以降も空の旅を楽しみたいところだが、それならそれで別の方法がある。
先程も妄想した風の翼による飛翔魔法だ。原理は翼で羽ばたくのと同じ。それを魔力で補うことが出来れば理論上は空を飛べるはずだ。
ずっと夢見ていた飛翔魔法。偶然とはいえ、手に入った翼によって構造や動かし方は大体把握することが出来た。後は理論を起こし、形にするだけである。
せっかく魔力を消費するなら有意義なことに使った方がいいだろう。私はアリアに飛翔魔法についての考察を話し、実験がてら使ってみることにした。
「ハク、飛翔魔法を覚えるのはいいんだけど、私はこの通り羽根があるから必要ない。だからその辺りの魔法は全然知らないんだけど……」
「大丈夫、理論は何となくわかるから」
飛翔魔法に必要なのは明確な翼の形とそれを操作する精度だ。分類するなら上級魔法に入るだろう。それほど高度で複雑な魔法陣が要求される。
まずは形。翼という形をとるならちょうどいいサンプルが背中についているからこれを参考にすればいい。まあ、これだけでも結構魔法陣の容量を埋めてしまうが、翼がしっかりしていなければ動かしたところで飛べないのだからここはやりすぎなくらいでちょうどいいだろう。
次に動かし方。翼の羽ばたきのメカニズムや空気の掴み方。それに進路変更やホバリングなどのやり方。この辺りは相当細かな作業になってくるから魔法陣を三周するくらいに描き込んで損はないだろう。ただ、上級魔法として使うにしてもだいぶキツイ。思うがままに描き込んでいてはすぐにいっぱいになってしまう。やっぱり魔法陣一つでは無理があるだろうか。
いっそのこと二重魔法陣を採用し、翼の形成と操作を別々に管理するのもいいかもしれない。その方がわかりやすいし、魔力も込めやすい。ただ、間違っても破綻してはいけないからいつもより太めのパイプが必要になるだろうけど。
飛翔している間はずっと発動していなくてはならないからもちろん常時発動魔法となる。二重魔法陣にしてもこの容量、魔力消費がやばそうだけど、その辺りは追々改良してくとしよう。
流石に脳内で計算するには膨大すぎたので地面に描いていたが、これを覚えるのは大変そうだ。まあ、やってること自体は明確だから覚える箇所さえしっかりしていればそこまででもない。
しばらく地面に描いた魔法陣と見つめ合ってからそっと目を閉じる。そして、作ったばかりの飛翔魔法を思い浮かべた。
ふわっと風が凪いで行く。流れていく風は途中で風向きを変え、私の背中へと集まっていく。淡い翡翠色の光が飛び散り、背中に翼を形作っていく。
やがて風が収まると、銀の鱗を持つ翼とは別に、綿毛のような儚さを持つ薄緑色の翼が出現した。
元々ついていた翼を参考にしただけあって形はとてもよく似ている。違うのは色と、先端がはっきりしていないことだ。
うーん、まだ形が練りきれていなかっただろうか。頑張れば飛べるだろうが、これだと途中で落ちちゃいそうだ。まあ、まだ作ったばかりだし焦ることはないだろう。これから改良していけばいいのだ。
とりあえず、ちゃんとした形を維持できるところから始めよう。私はアリアにアドバイスをもらいながらしばし飛翔魔法の研究に勤しんでいた。
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