第五百三十二話:鏡の調達
『そんな深く考えなくていいと思うよ?』
「リク、どういうことですか?」
リクによると、私が考えたような、鏡の数によって強化されるようなことはないらしい。
もちろん、鏡が複数あれば、いろんなところから現れることができるから、不意打ちできるという意味では強化されるかもしれないけど、そもそも、私達が襲われる可能性は限りなく低いという。
というのも、その神様は、狂気を食らう者であり、人の狂気を嗅ぎつけて、近くに現れる。
恐らく、マーレさんの前に現れたのは、遺跡の件で、失意の底に沈んでいたからだろう。
そして、狂気に陥った者の、狂気の部分だけを食らう。つまり、物理的に殺すことは稀なようだ。
一応、狂気に陥りすぎて、再起不能状態に陥ったり、露骨に敵対するようなことがあれば、殺される可能性もなくはないけど、普通に接する分には、特に問題はないらしい。
問題があるとしたら、姿を見ただけで発狂する可能性があるということ。
人からかけ離れ過ぎた外見は、普通の人間にとっては恐怖以外の何者でもない。非日常の姿を目撃すると、発狂する可能性があるわけだ。
場合によっては、狂気に染まった影響で、信者となってしまう可能性自体はあるらしいので、そこは対策が必要とのこと。
でも、それくらいだったら何とかなる気がする。
確かに、タクワの時とか、危ない時もあったけど、神様を見て、発狂したことってあんまりないからね。
『そういえば、僕らの姿を見ても発狂しなかったね。そう考えると、君って精神力が高いよね』
「普通は発狂するものなんですか?」
『僕らの大本の姿を見たら、大抵は発狂されるね。他の神も、大体は見ただけで発狂する。それが、僕らの世界での常識だったよ』
「見ただけで発狂されるって、大変ですね」
でも確かに、現実世界で考えると、無数の青い目を持つ巨大な頭の化け物がいきなり目の前に現れたら、パニックに陥るのは当然のことのような気がする。
こちらの世界では、魔物という、化け物みたいな存在が日常的に存在するし、それに対抗できる、魔法の力も持っている。
リク達の世界が、あちらの世界のような世界かどうかはわからないけど、人間が何の力も持たない世界観なら、恐怖するには十分すぎるのかもしれない。
『まあ、そこら辺の心配はしなくてよさそうだけど、そもそも、会ってどうするの?』
「どうって……説得するんですよ」
私が神様を探している理由は、元の世界に帰ってもらうためだ。
どうやら、召喚された都合上、帰るためには、多くの信者達による帰還の呪文が必要になるらしいので、今すぐに帰れと言うのはできないらしいけど、いずれは方法も見つかるかもしれないし、今のうちに会って、帰る約束を取り付けるのと、この世界で変なことをしないように注意する必要がある。
特に後者は、タクワの例を考えると、勝手に信者を増やされて、この世界の神様の信仰が薄れる可能性もあるから、重要なことだ。
最終的な目標はクイーンではあるけど、そのためにも、周りを抑えることは必要なことである。
『説得ねぇ。ま、止めはしないよ』
「なんだか意味深ですね。何かあるんですか?」
『別にー?』
なんだか不安ではあるけど、ひとまず会う分には問題なさそうだ。
そうと決まれば、鏡の調達である。
私はひとまず、転移魔法で王都へと戻った。
「姿見……まあ、これくらいでいいかな」
中央部のお店にて、適当な鏡を見繕う。
改めて見てみると、鏡って結構装飾が凝ってるよね。
基本的に、貴族に買われるものだから、それを意識してって言うのはあるかもしれないけど、よくもまあこんな細い縁にこんなに彫り込めるものである。
そんなことを感じながら、鏡を【ストレージ】に入れて、砂漠の町へと戻る。
さて、ちゃんと会わせてくれるんだろうか。
「……来たのね。鏡はちゃんと持ってきた?」
「はい、ちゃんとありますよ」
再びマーレさんの家に赴き、扉の前へとやってくる。
マーレさんは、私の言葉を聞くと、扉の鍵を開けてくれた。
引きこもってた割りには素直だなと思ったけど、それほど鏡が欲しかったってことなんだろう。
中には、黒髪の女性が立っていた。
何かに魅入られたように目は見開かれ、口元は薄い微笑を浮かべている。
はっきり言って少し不気味だけど、それを指摘することはない。
招かれるままに中に入ると、さっそく鏡を要求された。
「さあ、早く鏡を頂戴」
「そう急がなくても、ちゃんと用意してありますよ」
私は、【ストレージ】から鏡を取り出す。
全身が映るほど大きな鏡に、マーレさんもご満悦なのか、恍惚とした笑みを浮かべていた。
しかし、それにしても、この部屋かなり荒れてるな。
恐らく寝室なんだろうけど、辺りには物が散乱しているし、中には強引に叩きつけられたであろう残骸が転がっている。
一応食事はとっているのか、扉の端にはトレイに乗せられた空の皿があるけど、窓も締め切られているし、部屋も薄暗い。
こんなところにいたら、病気になってしまいそうだ。
「ああ、これでもっとあの方の姿を見ることができる……」
「これで、会わせていただけるんですよね?」
「ええ。待っていて、すぐに呼ぶから」
そう言って、マーレさんはふらふらとベッドのそばまで近寄ると、何かを拾ってきた。
それは、ナイフである。
その切っ先は、すでに赤黒いもので汚れていて、猟奇的な雰囲気を感じる。
マーレさんは、鏡の前に立つと、そのナイフを容赦なく腕に突き刺した。
「うっ……!」
「ちょ、何やってるんですか!?」
切れ味自体は悪いのか、深々と刺したように見えて、そこまで刺さっていないようだけど、それでも、刺した場所からは血が溢れ、床にぽたぽたと雫が落ちていく。
よく見て見れば、この人かなり傷だらけだ。
腕はもちろん、足にもかなりの数の傷が見える。
まさか、神様に会うために、わざと自傷を?
確かに、彼の神様は狂気を嗅ぎつけてくるという話だから、普通の状態の人の前には現れない。それこそ、自傷するほど狂っていなければ。
止めようとしたが、マーレさんは腕を払って何度も腕を刺す。
下手をしたら、このまま死んでしまいそうなほど傷が多いけど、マーレさんは、手を止めることはなかった。
「ああ、私はここにいます。どうか、また私の前に……」
血に濡れたナイフを持ちながら、鏡の前で祈るように跪く。
その様子を見届けたと言わんばかりに、鏡の中に黒い靄が出現し、ぱちぱちと青い光が点滅し始めた。
いや、それは目である。無数の青い目が、黒い靄の中で瞬きを繰り返している。
それは、どんどんと存在感を増し、やがて、鏡の世界から、現実の世界へと場所を移した。
「ひっ……!」
それはあまりに巨大で、形容しがたいものだった。
頭と思われる部分のほとんどには青い目が無数についており、きょろきょろと視線をさまよわせている。
そのあまりの巨大さと不気味さに、エルは小さく悲鳴を上げていた。
私も、結構衝撃があったけど、耐えられないほどではない。
私は、わずかに震える手を握りしめながら、その化け物の体を見つめるのだった。
感想ありがとうございます。