第五百十八話:我が身を檻に
これは、見知らぬ人を見捨てるかどうかの選択である。
仮に、ここで私が拒否したとして、その結果としてどこかで病気が蔓延したとしても、私の責任にされることはないだろう。
確かに、結界を貫通するほどの感染力は持っているけど、あくまで広まるのは、その世界で見つけた病原体。つまり、きちんと清潔に過ごしていれば、病気にかからない可能性の方が高い。
もちろん、そんなことできる人ばかりではないだろうから、どこかで起こることに違いはないけど、あくまで、病気にかかるのは、その人の不注意が原因ということにもなるかもしれない。
私の知らないところで、私の知らない誰かが苦しみ、そして、しばらくすれば終息する。
犠牲は出るかもしれないが、世界が崩壊するほどではないことを、わざわざ私が気にする必要があるか?
一応、王都など、私のよく知る場所で病気が蔓延する可能性もなくはないから、念を入れるなら受け入れた方がいいのかもしれないけど、それこそ、清潔にすることを心がければ、病気にかからない可能性は高い。
私の手の届く場所であれば、防げるはずだ。
だから、本当に、見知らぬ誰かを見捨てるかどうかという選択なのである。
『まあ、すぐに決める必要はないよ。短剣を返してくれるなら、それでもいいし、じっくり考えるといい』
「……」
『でも、僕らは君が最後には頷くと思ってるけどね』
「……どうしてそう思うんですか?」
『君が、真っ先に他人の心配をしたからさ』
リクは、足を崩して楽な体制を取る。
一瞬、角度の関係でちらっとだけ仮面の下が見えたが、見なければよかったと思うほど、悍ましいものだった。
わずかに恐怖を感じながらも、その理由について考える。
他人を心配することが、そんなに変なことだろうか?
『病気にかかった人は、本性が現れる。どうしても、弱ってしまうと、冷静ではいられないからね。生き延びたい、もし死ぬとしたら、その前に好きなことをやりたい、そう言う欲望が多かれ少なかれ出るものだ。でも、君は違った』
「それは……」
『まあ、ここは精神世界みたいなものだから、病気の体ではないし、神だからって言うのもあるかもしれないけどね。でも、そうだとしても、真っ先に他人を心配するってことは、それだけお人好し、いや、あえて優しいと言った方がいいかな? そう言う性格だってこと。一度でも気にしてしまったら、君は冷静ではいられない。絶対に、僕らの提案に頷くはずさ』
「……」
確かに、病気の時は心細くなるし、このまま死んでしまうのではないかという恐怖を感じることもある。
特に、私は竜の血や神様もどきになった影響もあって、病気とはほぼ無縁な存在となっていた。
そんな私が、病気にかかり、意識を朦朧とさせるほどの熱を持っている。
それだけで、恐怖を感じるには十分すぎることである。
この空間では、そう言った熱や体のだるさと言ったものは感じられないけど、夢から覚めたら戻ってしまうことは理解している。
そんな中で、真っ先に他人を心配するのは、確かにおかしいことなのかもしれない。
「……わかりました。いくつか条件がありますが、あなたを私の中に住まわせることを認めます」
『お、いいねぇ。それで、その条件って言うのは?』
「まず大前提として、私や、私に関わる人物に病気を振りまかないことです」
私は、覚悟を決めて受け入れることを許容する。
これには、いくつかの狙いがある。
先程も言っていたが、リクは一応神様であるらしい。そして、恐らくは別世界から召喚された神様だ。
これが示すところは、恐らくだけどクイーンが呼び出したということ。
リク自身は、クイーンの姿を見ていないようだけど、この世界にリクを知っている人物がいるとは思えないし、まず間違いなくクイーンの仕業だろう。
となれば、リクもまた、この世界から追い出す対象である。
しかし、リクは病原体という性質を持っている故に、目に見えないほど小さい。
こうして夢の中で出会わない限り、その存在を感知することは難しいだろう。
しかし、私の中に住まわせることができるのなら、目には見えなくても、確実にそこにいるという確証が持てる。
言うなれば、私の体を檻として、リクを捕まえておこうという話だ。
もちろん、病気になる可能性もあるため、そこはしっかりと条件で縛る。
まあ、この条件に頷いてくれるかはわからないが、言わないよりはましだろう。
単純に、見知らぬ誰かが犠牲になるのが嫌だというのもあるけど、こういう理由があれば、私もまだ納得ができる。
それに、リクの話では、神様にゆかりのある場所であるなら、居心地がいいと言っていた。
それはつまり、私に限らず、神様に関係する場所、例えば、魔力溜まりとか、それこそ神界とか、色々候補はある。
この世界の神様も、事情を話せば協力してくれるだろうし、最悪神様に任せることもできるかもしれない。
性質が病原体である以上は、根絶させることもできるかもしれないしね。
そう言うわけで、最悪何とか出来るだろうという希望的観測も含めて、受け入れることにしたわけだ。
「後は、仮に私が行く先で、未知の病原体を発見したとしても、動かないでいてくれると嬉しいです」
『なるほどね。まあ、そこは同意しかねるけど、君がよっぽど居心地のいい場所を提供してくれるなら、見て見ぬふりをするのも吝かではないよ』
「ありがとうございます。私の竜珠は、どうしてくれても構いません。ですので、どうかこの世界で病気を振りまかないでください」
『オッケー、契約成立だ。それならまずは、短剣を回収してくれる? 僕らの大部分はそこにいるから、お引越ししないとね』
「わかりました」
正直、これが正しい選択かはわからない。
一応、条件は提示したが、確実に守ってくれる保証はないし、最悪、私が原因で、病気が広まっていく可能性もある。
でも、どこかわからない場所で起きるよりは、自分の手の届く場所の方が、対処はしやすい。
もし、何か起こった時は、何としてでも阻止せねば。
「……あ、あと、私の中に住むのなら、今起こっている病気はもう広まることはなくなりますか?」
『うん? ああ、まあ、そうなるのかな? 今蔓延している病気は、あくまで短剣を返してもらうための仕返しみたいなものだからね。未知の病原体というわけでもないし、君の玉に住まわせてくれるなら、これ以上広める気はないよ』
「それならよかった。ずっと治らないとなったらどうしようかと」
『そんな病気はないよ。どんなに致死性の高い病気も、感染する人がいなければ意味がない。人の技術力は素晴らしいし、特効薬だって作れる。いずれにしても、病気はどこかで根絶させられるのさ』
まあ、根絶される前に世界中の人がいなくなるパターンもあるけど、とちょっと怖いことを続ける。
そうならないためにも、確実に治さないといけないね。
『それじゃあ、またあとで。楽しみにしているよ』
そう言って、手を振ってくるリク。
私の意識も、次第に薄れていき、やがて夢は終わりを告げた。