第五百十六話:追いかけられる悪夢
気が付くと、見知らぬ場所にいた。
辺りは真っ暗で、何も見えない。ただ、何か恐ろしいものがいるという焦燥感だけがあり、私は知らずのうちに駆け出していた。
見えない何かから、追われる。
無我夢中で足を動かすが、追いかけてくる何者かはぴったりと後をついてくる。
これは一体何なのか、パニックになりそうな頭で考えを巡らせると、あることを思い出す。
それは、アイリーンさんが語っていた、シュピネルさんが見たという夢。
その夢も、何者かに追いかけられるという夢だったはず。
となると、この先の展開も……。
「……ッ!?」
やがて、腕を掴まれて、その場に押し倒される。
恐怖を感じながら振り返ると、そこには不気味な青白い面をつけ、黄色いマントを着た人物がいた。
その人物は、低い唸り声のような声で、ただ一言呟く。
『カエセ』
まさに、話に聞いた通りの光景。
私は、その人物を前に、ただ震えることしかできなかった。
『……ん? おやおや、これは面白いものがヒットしたかな?』
話の通りなら、このまま目が覚めるはずだった。
しかし、その人物は、先ほどの低い声とは似ても似つかない少年のような高い声で、驚いたような声を上げている。
恐怖は消えないが、先ほどと比べたら、冷静にものを考えることができるようになってきた。
もしかして、私の中に入り込んだ何者かって言うのは、こいつのことだろうか?
「あなたは、誰なんですか……?」
『ああ、自己紹介が必要かな? まあ、僕らに決まった名前はないのだけど、そうだな……リクとでも呼んでくれたらいいよ』
そう言って、にこりと笑った……ような気がした。
なんだか、割と話ができそうな雰囲気である。
恐怖もだいぶ薄れてきた。むしろ、今までなぜあんなに恐怖していたのかが理解できない。
確かに、悪夢であることに違いはないが、追いかけられる夢なんて、ありふれたものだろうに。
特に、私はこれ以上の恐怖を何度も体験している。こんな、気さくそうな少年を前に、怖気づくようなことなどないはずなのに。
まあ、夢だから、理屈じゃないのかもしれないけどね。
『それより、見たところ君は神のようだけど、なんだって僕らなんかに捕まってるの?』
「えっと、どういう意味です?」
『そりゃ、その気になれば神だろうが何だろうが死滅させる自信はあるけど、今回のはただのお遊び、いや、仕返しと言った方がいいかな? どちらにしろ、君のような神が捕まる道理はないと思うんだけど』
そう言って、手を顎下に当てながら、首を傾げている。
気が付けば、掴んでいた手も離されて、自由の身となっていた。
いつまでも押し倒されたままでは嫌なので、とりあえず脱出し、その場に正座する。
リクも、これは話す雰囲気だと感じ取ったのか、その場に胡坐をかいて座り込んだ。
「あなたは、未知の病原体なんですか?」
『そうだよ? その世界で、未だに発見されていない未知の病原体。それに寄生して病気を振りまき、人々に周知させるのが、僕らだからね』
「なんてはた迷惑な……」
未知の病原体をわざわざ表に出させて、病気を拡大させていくとかどれだけ迷惑な存在だろう。
下手をしたら、それで多くの人が亡くなってしまう可能性もあるわけだし、実際、治癒が得意な人がいなければ、聖教勇者連盟でも死者が出ていたかもしれない。
遺跡の呪いとか思ってたけど、全然そんなことなかった。
いや、ある意味で呪いなのか?
明確な意思を持っているっぽいし、お遊びでこれだけの被害を出している時点で、相当やばい存在なのは間違いない。
『でも、今回は僕らは悪くないよ? なんたって、住処を奪われたんだからね』
「住処を奪われた?」
『そう。今回、僕らはまだ意図的に広まるつもりはなかった。僕らが広まるのは、あくまで召喚された場合のみ。それ以外の方法で広まるとしたら、外部から手が入ったってことだよ』
リクが言うには、普段は未知の病原体に寄生して、それを広めているけど、今回はそもそも、病原体に寄生する前だったという。
その場合、リクは住処として何かしらの物品に宿り、少しずつ世界中に広がりながら、病原体を探すらしいのだけど、今回は、それより前に、本体とも呼べる大部分が宿っている物品が持ち去られた。
別に、持ち去られたとしても、死ぬわけではないし、よっぽど厳重に保管されて、死滅させられない限りは怒るつもりもなかったようなのだけど、今回は、ちょっとタイミングが悪かったようだ。
というのも、リクが潜伏していた住処は、死臭が蔓延する、リクにとってはとても住み心地のいい場所だったようだ。
それなのに、いきなり持ち去られて、居心地のいい住処を奪われたものだから、少し頭に来てしまったらしい。
だから、今までに寄生してきた病原体の中から、ある程度の病気を発症するものを選び、それを模倣することによって、パンデミックを起こした、ということらしい。
つまり、リクとしては、さっさと住処に帰してくれさえすれば、特に命を取るつもりはないようだった。
「じゃあ、その住処ってどこなんです? それと、奪われたものというのは?」
『とある墓地だよ。ミイラとかもたくさんあったなぁ。で、奪われたのは短剣だよ』
「なら、その短剣を、墓地に返せば、この病気は収まるんですね?」
『まあ、いつもなら世界中に広がっていく様を見るけど、住処に帰してくれるなら撤退してもいいよ。ああでも、ちょっと悩むなぁ』
そう言って、じろじろとこちらを見定めるように見つめてくるリク。
原因はわかったけれど、悩むってどういうことだ。
まあ、病気が治らなくても、根本さえ潰せば後は治癒担当が何とかしてくれると思うから、大人しくしてくれるだけでもいいけども。
『僕らが住処に選ぶのって、不浄の存在が近くにある場所なんだよね。死体があるとか、血しぶきが散っている場所とか』
「そ、そうなんですね……」
『でも、それとは別に気に入っている場所もあるんだよ』
そう言って、私の側に近寄ると、ちょんちょんと胸を触ってくる。
いや、セクハラか? とっさに後ずさるけど、気にした風でもなく、からからと笑うリク。
まさか、私が気に入ったとか言わないよね?
『僕らの性質は病原体ではあるけど、同時に神でもある。だから、神にゆかりのある場所も、割と居心地がいい場所なんだよね』
「か、神……?」
『あれ、気づいてなかった? まあ、この姿は仮だしね。本体でもないから、気づかなくても無理はないか』
そう言って、うんうんと頷く。
神って、まさかこいつも異世界から来た神とでもいうの?
先日、死を司る神様に出会ったばかりだというのに、どれだけ神様いるんだよ。
というか、病原体の神様って何? もはや何のために存在しているのかわからない。
『まあ、それは置いておいて。君のその玉、かなり神気がつまっていそうじゃない? そこに住めたら、居心地いいだろうなぁって思ってね』
「ひっ……!」
今、すっごくぞわっとした。
つまり、簡単に言えば、私の玉、多分竜珠のことだと思うけど、それに寄生していたいってことだよね?
ただでさえ、病原体の親玉みたいな性質を持っているのに、それを自分の内で住まわせるとか考えたくもない。
今はこうして、面と向かって会話できているけど、これは実際には目に見えないほど小さな存在で、見つけることはほぼ不可能だ。
それが、私の体を狙っているとか怖すぎる。
これは、どうしたものだろうか。
どうにか遠ざけられないかと、考えを巡らせた。
感想ありがとうございます。