幕間:這い寄る闇
ロスカティス王国の王女、ベスの視点です。
先日起こった、キラコー帝国との衝突。
その爪痕は深く、奪われていた町を取り返せはしたものの、それなりに多くの犠牲を払うことになった。
今回の件で、キラコー帝国との関係悪化は必至。戦争が起こるのも、時間の問題である。
だからこそ、今は一人でも多くの味方を見つけなければならない。
私は、ヘクスの不始末を拭うためにも、各国に同盟を結んでくれないかと頼むために、再び旅に出ることになった。
「それにしても、あの戦闘、どうしてあんなことになったんだろうか」
揺れる馬車の中で、先日の出来事を思い返す。
私が来た時には、すでに戦闘は終わっていた。
ハクの姉である、サフィの連絡により、ヘクスがとある町で悪さをしているという話を聞き、駆けつけたが、どうにもその戦闘が、不可解なものである。
というのも、あの町は、元々キラコー帝国に占拠されていた町であり、かなり厳重に守られていた。
本来ならば、攻め入ろうなんて思わないし、仮に攻めるつもりだったとしても、その時はこちらに連絡が来るはずである。
しかし、父上も何も知らなかったようだし、あの時、あの場にグラーニ王国の兵士達がいたのが理解できない。
兵士に関しては、キラコー帝国の兵士もそうだ。
拠点となっていたから、兵士がいること自体は不思議はないが、あの量は、恐らく山岳地帯の拠点からも派遣されていたはず。
誰かが、兵士を動かしたってことになるが、あの時点で、そんなことをするメリットがない。
もちろん、キラコー帝国が動くつもりで、あの町を拠点として準備を整えようとしていたという可能性はあるが、だとしたら、あのタイミングで火災が起こったのも妙な話だし、謎が多すぎる。
ヘクスは、キラコー帝国の兵士とグラーニ王国の兵士、両方を引き連れていたという話もあるし、裏で動いている組織でもあるんだろうか?
「まあ、過ぎたことをいつまでも考えても仕方ないが……」
理由はどうあれ、あの時二つの陣営が衝突し、結果としてこちらが勝利した。
結果だけを見るなら、悪くはない戦果だけど、それがきっかけで大規模な戦争に発展するのは少し困る。
ロスカティス王国は、独立を果たしたものの、まだまだ不安定な状況だ。
戦争によって、強引に独立はできたが、そのせいで人々は疲弊しているし、私達王族に対しての信頼も低い。
人がついてこなければ、国として成り立たない。
今は、グラーニ王国のおかげで、かろうじて国という体裁を保てているけれど、それがなくなったらどうなるか。
私にどうにかできるかはわからないけど、精一杯頑張っていかなければ。
「今日はこの町で休むとしよう」
しばらくして、とある町へと辿り着く。
キラコー帝国の状況はよくわからないけど、少なくとも、山岳地帯の拠点では、慌ただしい動きがあるということを、鏡月団から聞いた。
この情報が本国まで伝わるのはもう少し先になるだろうが、それでも、後数ヶ月もすれば、戦争が始まってもおかしくない。
今は、多少安全になったとはいえ、今や私も、ロスカティス王国の重要人物の一人となったし、これまで以上に道中には危険が伴う。
一緒にいるのは、新たに選りすぐった精鋭の騎士とはいえ、不安は尽きない。
行きはともかく、帰りに襲われないといいのだが……。
「……ん?」
宿を取り、部屋に入ると、テーブルの上に、一通の手紙が置いてあることに気が付いた。
こんな場所に手紙? 宿からのメッセージか何かだろうか。
少し不審に思いつつも、手紙を確認する。
こういう時のために、毒を感知する魔道具は持ってきたが、特にそういった類のものは付着していないようだ。
となると、ただの置忘れという可能性もあるか?
幸い、封はされていない。であるなら、少し覗いてみるくらいはいいだろう。
そう思いながら、手紙を取り出す。
手紙には、なにやら奇妙な文様が描かれていた。
血で描かれているのだろうか、その線は赤黒く、見ているだけで畏怖を感じさせる。
魔法陣、のようにも見えるが、だとしても、なんでこんなところに描かれているのかわからない。
私は、よく調べようと、目を凝らす。
すると、頭の中に声が響いてきた。
『身をゆだねなさい』
「うっ、なんだこれは……」
それは男性のようでもあり、女性のようでもある、中性的な声。
しかし、心にまとわりつくように深く、どろどろとしていて、気持ち悪い。
口調自体は淡々としているのに、どこか恐怖を感じる声。
私は、とっさに頭を押さえて、蹲る。
しかし、声は留まることを知らず、どんどん大きくなっていく。
気が付けば、私は暗闇にいた。
辺りに明かりはなく、しかし自分の体ははっきりと見える、不思議な空間。
目の前には、視認はできないものの、何かがいることがわかる。
こいつが、声の正体だろうか。
振り払いたいが、すでに体の自由もおぼつかない。
このままでは、この声の主に、取り込まれる……!
「やめ、ろ……」
『苦しむことはない。さあ、ゆだねて』
声が心を支配していく。
私は、だんだんと意識が遠のき、目を閉じる。
が、その時だった。
「にゃーん!」
「……はっ!」
突如聞こえた猫の声に、はっと意識が戻る。
気が付くと、暗闇はなく、先ほどまでいた宿屋の一室だった。
目の前には、どこから入り込んできたのか、一匹の猫がいる。
猫は、少し心配そうにこちらを見ていた。
『邪魔が入った。残念』
頭の中に響く声は、そう言ってすっと遠のいていった。
気が付くと、傍らに落ちていたはずの手紙もなくなっており、先ほどの声は何だったのかと考えさせられる。
ただ、よくない者であったのは確かだろう。
あのまま声に身をゆだねていたら、私は体を乗っ取られていたかもしれない。
一体あれは何者なのか。わからないが、あの魔法陣のようなものが原因なのはわかる。
今後は、手紙を開けるのにも注意を払わないといけないな……。
「君が助けてくれたのか?」
「にゃー」
原理はわからないが、猫の鳴き声によって、戻ってこられたのは確かだろう。
私は、目の前の猫に礼を言うと、わかっているのかそうでないのか、高く返事をしてこちらを見ていた。
餌くらい上げた方がいいだろうか。生憎と、干し肉くらいしか持ってないが。
「よくわからないが、助かった。ありがとう」
「にゃーん」
傍から見たら、猫に話しかける異常な人のように思えるが、命の恩人には変わりない。
干し肉を上げると、むしゃむしゃとむさぼっている。お腹がすいていたのかもしれない。
念のため、騎士達にも今回のことは伝えておいた方がいいだろう。
正気を疑われるかもしれないが、ここにきて、物理的以外の脅威が生まれたのは大きい。
何か対策を立てられたらいいのだが、果たして。
その後、眠りについたが、特に夢を見ることもなく、朝を迎えた。
ただ違うのは、昨日助けてくれた猫は今も離れず、私の側にいるということである。
私を守っているつもりなんだろうか? いったいなぜ?
なんだかよくわからないが、この猫がいれば、安心だというのはわかる。
私は、すり寄ってくる猫を撫でながら、同盟の旅を続けることにした。
感想ありがとうございます。