幕間:憂鬱な報告
世の中には、決して触れてはならないものが存在する。
一度それに触れてしまったら、もう二度と元の生活には戻れない。そんな魔の力に満ちたもの。
本来であれば、それらは無意識のうちに避けられるものだ。
明るい道と暗い道、どちらを通りたいかと言われれば、明るい道だろう。そうやって、無意識のうちに、触れてはならないものを避けていく。
しかし、時にはそれが機能しないこともある。それが、好奇心に負けた時だ。
私は、好奇心に負けた。住処に見知らぬものがあったからといって、不用意にそれに近づいてしまった。
その結果、私は恐怖に捕らわれてしまった。
現在の地上に置いて、ほとんど敵なしと言われるほどの種族である竜が、恐怖を覚える。
それは異常なことであり、本来ではありえないこと。しかし、その時ばかりは、真実だった。
その後のことは、よく覚えていない。私は、恐怖の権化たる神に使役される形で、悪事に手を染めてしまった。
ハク様やエル様が来てくれなかったら、私はいつまでもあの場所で人攫いに従事していただろう。
本当に、感謝するばかりである。
〈はぁ、憂鬱だ……〉
今回の事件で、私の住処は神に奪われてしまった。
元々は、私が住んでいたのに、後から来た奴に取られるのはちょっと納得いかないが、神を大人しくさせるためだと言われたら、頷かないわけにもいかない。
だから、私は仕方なく、竜の谷へと向かうことにした。
竜の谷は、竜達の本拠点であり、竜の王、ハーフニル様が座す場所である。
それ故に、竜の谷の竜達は皆強く、その辺でふらふらしていた私と違って、生真面目な者が多い。
正直言って、気まずい。
これがただ単に、傷ついて戻って来たとかなら、まだ同情を誘えるかもしれないが、今回、私は住処を追われ、しかも悪事に手を染めていたとあっては、同情など集められようはずがない。
もちろん、相手が神だったとか、そういう事情を知っているなら、多少はあるかもしれないが、いくらハク様が伝えてくれたとしても、全員がそれを信じるわけでもないだろう。
それに、私は別に竜脈の整備をしていたわけでもなく、簡単に言えば遊び惚けていただけだった。真面目な竜の谷の竜からしたら、それだけでも白い目で見られてもおかしくない。
だから、本当なら、竜の谷に戻るより、他の雪山でも探した方がよかった。
だけど、今回は事情が事情だけあって、一度ハーフニル様に報告しなければならない。
故に、竜の谷に居つくにしろそうでないにしろ、一度は赴く必要があるのである。
〈怒られるだろうなぁ……〉
一応、竜脈の整備をしていなかったからと言って、それだけで怒られるとは思わない。
元々、竜脈の整備は、ある程度力があり、また技術に長けた者でなければ難しい。
竜にもそれぞれ得意不得意があるし、私はその中でも不得意に分類される。
ハーフニル様とて、それはわかっているだろうし、それは多分問題じゃない。
問題なのは、ハク様の手を煩わせたってことだ。
ハーフニル様の子であるハク様に対して、無礼を働いた。いくら操られていたとは言っても、普通ならこれだけでも半殺しにされてもおかしくない。
ハク様自身は許してくれたけど、それが親のハーフニル様にも通用するかどうか……。
〈でも、行かないと始まらないし、行くしかないか……〉
すでに、私がハーフニル様に会いに行くことは、エル様を通して伝えられてしまっている。
ここで出向かなかったら、それこそ殺されるし、憂鬱だからと行かないわけにはいかない。
私は、意を決してハーフニル様のいる洞窟へと赴く。
奥へ進むと、そこには雄々しい銀竜の姿があった。
〈来たか〉
〈は、はっ! ただいま戻りました!〉
圧倒的な威圧感に、自然と頭が下がる。
緊張がやばいけど、報告を忘れてはならない。
私は、起きたことをそのまま伝える。
本当なら、ハク様を攻撃したなんて言いたくはないけれど、どちらにしろエル様を通してすでに伝わっているだろうし、下手に嘘をついてしまったら、それこそ殺される。
怒られるのは確実だろうが、それでも殺されるよりはましだ。
私は、プルプル震えながら返答を待つ。
しかし、意外にもハーフニル様は、特に激昂した様子もなく、冷静に返してきた。
〈そうか。ひとまず、無事で何よりだ〉
〈あ、ありがとうございます……〉
〈しかし、神か。あの自己中共でも手に余るというのに、竜を強制的に従属させるだと? ふざけおって〉
少し苛ついているのか、ハーフニル様の周りの魔力がオーラのように色を帯びている。
私に対する怒りではなそうだけど、それでも十分怖かった。
〈今は、なんともないのだな?〉
〈は、はい。ハク様が解除してくださったのか、今は何ともありません〉
〈それならいい〉
ハーフニル様は、そう言って立ち上がる。
滅多に外には出ないらしいけど、どこかへ行くのだろうか。
高くなった視線が降り注ぐ。
それだけで、体がプルプルと震えてしまった。
〈今後は竜の谷で過ごすがいい。住処は用意する〉
〈あ、ありがたき幸せ……!〉
〈再び従属させられることがないようにな〉
そう言って、ハーフニル様はどこかへ去って行ってしまった。
ハーフニル様がいなくなり、体の力が一気に抜ける。
し、死ぬかと思った……。
確かに、思ったよりは怒られなかったけれど、苛立っていたのは確かだし、その矛先がいつこちらに向くかもわからなかったから、かなり緊張した。
結果的には、なんのお咎めもなしで、普通に過ごしていいことになったみたいだけど、待遇が良すぎて裏があるんじゃないかと少し疑ってしまう。
〈仕事、見つけないとな……〉
竜の谷に住む以上、何かしらの仕事はした方がいいだろう。
竜脈の整備はちょっとハードルが高いが、例えば竜人の世話とか、子竜の訓練とか、それくらいだったら私にもできるはず。
別に、何も仕事しなくても大丈夫だとは思うけど、やっぱり周りの目が気になるし、自分が役立たずでないことを証明しなければ。
「あ、こんなところにいたんですね」
誰もいなくなったので、私も外に出ると、なんとそこにはハク様がいた。
隣には、エル様の姿もある。まさか、こんなところで会うとは思わなかった。
「お父さんと話していたみたいですけど、大丈夫でしたか?」
〈は、はい。特にお咎めもなく……〉
「ならよかった。ちょうど、住処に案内してほしいと頼まれたので、一緒に行きましょうか」
〈え、あ、はい〉
そう言って、ハク様はエル様の背中に乗って、飛び立つ。
もしかして、あらかじめハク様が何か言ってくれていたのだろうか?
報告とは言ったけど、すでにハク様の方から詳しい話は聞かされていて、それで怒らなかったって可能性はあるかもしれない。
そうでなければ、いくら操られていたとはいえ、ハク様を攻撃したなんて言って許されるわけがないし。
本当に、ハク様はどこまでも優しい。会ったばかりの私を、ここまで気にかけてくれる竜なんていないだろう。
〈早く来ないと置いていきますよ〉
〈い、今行きます!〉
エル様から催促があり、慌てて飛び立つ。
案外、竜の谷でもやって行けるかもしれない。そんな気がした。




