第二百六十三話:強力な結界
しばらく考えてみて、なんとなく原因がわかった。
この山には、奇妙な魔力が充満している。この魔力に触れ続けると、だんだんと恐怖に侵されていき、やがて発狂するという、厄介な性質を持っている。
そして、エルは私と合流するまでの間、ずっと一人だった可能性が高い。
私の時は、わかりやすくシンシアさんが発狂してくれたから、異変に気付くことができたけど、一人だったなら、異変にも気づけずに、そのまま正気を削られていてもおかしくはない。
発狂と一口に言っても、色々なものがあるだろう。
わかりやすく、悲鳴を上げて暴れまわるものもあれば、氷竜のように自傷行為に走るものもある。
そう考えると、エルの場合は、恐らく幼児退行、あるいは、執着心ってところじゃないだろうか。
言動はそこまで変じゃないし、執着心かな。私のことを大切にするあまり、私がいないと何もできないって感じなんだと思う。
まさか、エルがこんな風になってしまうとは意外だが、アリアでさえ、この狂気に侵されていたのだ。無理はないだろう。
「……そうだ! アリア、いる!?」
「いるよ。とっさに服に入り込んでよかったわ」
そう言って、胸元から顔を出すアリア。
よかった、雪崩に巻き込まれて、そのままどこか行ってしまったとかなったら、自分を許せなくなるところだった。
「それより、発狂解いてあげたら?」
「あ、うん、そうだね」
こうして甘えてくれるエルもそれはそれで面白いが、流石に今は緊急事態なので、さっさと正気に戻ってもらおう。
エルに鎮静魔法をかけると、エルがピクリと動きを止める。
そして、そっと私の体を放し、小さな声で頭を下げてきた。
〈も、申し訳ありません。感情の制御が効かず……〉
「まあ、うん、仕方ないよ。助けてくれたんだし、気にしないで」
竜の顔だからよくわからないけど、若干赤くなっているような気がする。
正気に戻ってくれて何よりだけど、私も人のことは言えなかったんだよね。
なにせ、あの男を見た時、何もできなかったんだから。
あの感情は、恐怖以外の何者でもない。理解したくないものを理解してしまった時のような、そんな感覚。
恐らく、氷竜が言っていた、恐ろしいものというのは、あいつのことだろう。
雷を操っていたようにも思えたし、あいつが元凶で間違いない。
しかし、一体何者なんだろうか。
確かに、私はホラーは苦手な方ではあるけど、あいつの見た目が特別怖かったとか、そういうわけじゃない。
どちらかというと、内面。本性と言った方がいいかな? それを垣間見てしまって、動揺してしまったんだと思う。
少なくとも、ただの獣人ではないだろう。角は変わっているけど、悪魔とか?
いや、悪魔はもう手を出さないと言ってきた。私のことは知っているはずだし、問答無用で攻撃してくることはないはず。
まあ、所詮は悪魔の言うことだから、絶対ではないし、もしかしたらありえるかもしれないけども。
でも、個人的には、悪魔ではないと思う。悪魔にしては、やり方がおかしいからね。
契約を結ぶのではなく、人を攫って仲間にしようとしているみたいだし。
でも、だとしたら正体がわからない。
まさか、本当に神様とか? だったら太刀打ちできないんだけど。
「とにかく、みんなを助けに行かないと」
仮に、雪崩をどうにかできたとしても、あの場にみんなを残してきてしまった以上、あの男の手に落ちたのは確実だろう。
目的を考えると、殺されることはなさそうだけど、それでも、また眷属化させられたり、服従状態にさせられたりする可能性は十分にある。
一緒に来てくれた、シンシアさんまで巻き込んでしまったとあっては、神代さんにも顔向けできないし、何としてでも助けなければならない。
「エル、体の方は大丈夫?」
〈体力的には問題ありません。いつでも飛べます〉
「ならよかった。とりあえず、さっきの場所まで戻ろう」
あの男が出てきた時の対処を考えていないけど、恐らく二度目は大丈夫だと思う。
もう、あいつが恐怖の象徴であることは理解したし、多少身体がこわばるかもしれないけど、動けなくなるってことはないはず。
心配なのは、エルの方かな。
エルがあの男を見ていたかどうかはわからないけど、もし見ていないなら、見た瞬間に恐怖に囚われてしまうかもしれない。
私の鎮静魔法でどうにかできるならいいんだけど、そうじゃなかったら、結構まずいよね。
できるだけ、戦わない方向で行った方がいいだろうか。となると、飛ぶのはまずい?
あの男が、雪崩で私達が死んだと思っているなら、わざわざ姿を現すのは悪手だろう。
いずれは対峙しなくてはならないのだとしても、あえて真正面から行く必要はない気がする。
でも、飛ばないとなると、歩きではめちゃくちゃ時間がかかる。
殺されることはないだろうとは言ったけど、絶対にそうとは言い切れないし、もしかしたら、逃げ出した罰として見せしめにされる可能性も十分にある。
だったら、できる限り急いだほうがいい。
どっちを取るべきか……。
「ん? 何か来る?」
「え?」
と、そんなことを考えていると、不意に空から何かが降ってきた。
雪に埋もれてしまうかと思いきや、その人物は地面すれすれで落下を止め、空中で静止する。
その顔をよく見てみると、見覚えのある顔だった。
「よかった、ご無事でしたか!」
「ルーシーさん? どうしてここに……」
それは、創造神様の配下である天使のルーシーさんである。
ルーシーさんは、いつもは私のことを見守ってくれているはずなのだけど、こうして現れたということは、緊急の用件があるってことだろう。
若干息が荒いルーシーさんに、まずは落ち着くように促す。
「……こほん。まずは無事で何よりです。突如、結界に阻まれ、消息不明となっていたので、心配しておりました」
「消息不明って……確かに、結界で阻まれてたらそうなるのか」
天使は、ある程度の結界なら、透視できるはずだけど、この結界の内側は見破れなかったらしい。
そう考えると、相当強力な結界だな。ますますあいつの正体がわからない。
いつも私のことを監視している手前、私の消息が分からなくなるのは相当な事件なようで、他の天使達の力も借りて、大規模な捜索活動が行われていたようである。
そんなことになっていたとは……ちょっと申し訳ないね。
「この結界ですが、どうやら神の力が加わっているようです。それで、見通せなかったのかと」
「神様の、ですか? ということは、この件は神様が関わっているってことですか?」
「そうです。ただし、この世界の神ではありません。異世界の神です」
そう言って、真剣な表情を見せるルーシーさん。
異世界の神、確か、ニグさんの件で、黒き聖水を生み出す泉を調査した時に、そんな奴が現れていたよね。
確か、クイーンと名乗っていた気がする。
あいつが関わっているのか……それなら確かに、あの禍々しさも頷ける。
私は、思ったよりも大物が相手ということに、静かに息を飲んだ。
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