第二百六十二話:雷の音と共に
「数が多すぎる!」
その後、何度か範囲魔法で蹴散らしつつ、ひたすら前に進んでいった。
万が一にも、はぐれが出たら堪ったものではないので、歩みはかなり遅かったけれど、それでも着実に進んでいる。
だが、あまりにも数が多すぎる。
目視したわけではないから、詳しいことはわからないけど、すでに数百体近くは葬ったはず。それなのに、全く数が減る様子がない。
明らかに、最初に見た数よりも多いのだけど、この短時間の間に、どこからか援軍が来たと言うんだろうか。
こんな数、普通に考えたら雪山一つで賄えるわけないと思うんだけど、一体どうなっているんだ。
「シンシアさん、撃ち漏らしをお願いします!」
「了解なのです!」
洞窟から離れるにつれて、奴らの殺意は高まっていった。
視界が悪い上、足場も悪いので、撃ち漏らしが結構な数おり、中には転生者に怪我を負わせる奴もいた。
今のところは、シンシアさんを始め、一応戦える転生者が中心となって迎撃しているが、このままだと、洞窟に着く前に全滅しそうである。
安易にあそこの洞窟を離れたのは間違いだっただろうか。多少のリスクを負ってでも、みんなと一緒に元凶を待ち構えるべきだった?
悔やんでもしょうがないけど、ついそんな考えが頭をよぎってしまう。
それと同時に、広がっていく不安。
この状況で不安を感じないのは確かにおかしいけど、この感覚、明らかに変だ。
まるで壊れた水道のように、とめどなく不安が広がっていく感覚がする。
この空間の魔力のせい? 確かに、この調子で不安が増幅されていったら、発狂するのも無理ないかもしれない。
私は、自分に鎮静魔法をかけて、心を落ち着かせる。
今は、いち早く洞窟まで辿り着かないと。
〈見えましたよ!〉
と、そうこうしているうちに、竜が洞窟の発見を報告してくれる。
未だに追撃は激しいけど、どうにか辿り着くことはできそうだ。
「早く中へ……っと」
その時、雷の音が鳴り響いた。
かなりの轟音で、思わず心臓が跳ねる。
とっさに空を見上げてみると、風が渦を巻いて、一か所に集まっていくのが見えた。
「み、皆さん、早く中へ!」
何かはわからないけど、あれが良くないものだということは何となく理解できた。
私は、多少強引に、風魔法でみんなを吹き飛ばす。
ちょっと怪我しちゃうかもしれないけど、あれが完全に出現してしまったら、大変なことになる気がする。
幸いにも、洞窟はすぐ近くだ。後は、竜に任せれば案内くらいはしてくれるはず。
「あれは……」
みんなをどうにか洞窟に押し込め、風が渦巻いていた場所を振り返る。
そこには、一人の人物が浮かんでいた。
鹿のような角を生やし、赤い髪をした、長身の男性。
セシルさんが言っていた特徴に当てはまるそれは、ゆっくりと目を開き、こちらを見下ろしてきた。
その瞬間、心臓が爆発したかのように大きく跳ねる。
見た目は、ちょっと変わっているけど、獣人のように見える。けれど、その本質は、獣人なんかと比べていいものではない。
風の中を歩む、恐怖の象徴。自然と獣が融合したかのような未知の恐怖。
気が付けば、私は目を離せなくなっていた。
心が黒く染め上げられていく。
不安、絶望、恐怖。ありとあらゆる負の感情が、心を支配していく。
『……堕ちよ』
男が腕を振るう。それと同時に、雷の音が鳴り響いた。
それと同時に、感じる振動。
見なくてもわかる。これは、雪崩だ。
しかし、私はその場を動けなかった。その男を、見ていることしかできなかった。
雪崩の音が近づいてくる。
私は、何の抵抗もなく、それに飲まれ……。
〈ハクお嬢様ー!〉
唐突に、聞こえてきた声に、はっと意識が戻る。
空から突撃してきた紺碧の翼は、私に抱き着き、そのまま地面に激突する。
それと同時に、雪崩に飲まれた。視界が雪に覆われ、何も見えなくなる。
けれど、その暖かなぬくもりに、正気を取り戻すことができた。
恐怖の権化に気圧されて、何もできなくなるところだった。
激しい衝撃が体を駆け巡る。
しばらく轟音が鳴り続けていたが、やがて音は鳴りやんだ。
雪に埋もれてしまってはいるが、一応生きているようである。
「エル……?」
〈ハクお嬢様、ご無事ですか?〉
「うん。ありがとう、助かったよ」
どうやら、エルが翼で包んで雪崩から守ってくれたようだ。
少し寒いが、それもエルの体温によってそこまで気にならない。
身動きが取れないのがあれだけど、これくらいなら、どうとでもなる。
「ひとまず、ここから出よう」
〈もう少しこのままでも……〉
「え?」
〈い、いえ、なんでもありません〉
なんか変な言葉が聞こえたような気がしたけど、気のせいかな?
ひとまず、火魔法であたりの雪を溶かしてしまうことにする。
雪崩に遭ったから、もう一回雪崩は起きないだろう、多分。
ちょっとした火種でも、雪はよく溶ける。私達は、あっという間に地上に出ることができた。
「エル、無事でよかった」
〈ハクお嬢様も、ご無事で何よりです。心配でどうにかなってしまうところでした〉
そう言って、抱きしめてくる。
エルは氷竜だから、寒さによって死ぬことはないだろうとは思っていたけど、それでもこの山は危険がいっぱいだったのは確かだし、無事で本当によかったと思う。
ちょっとスキンシップが過激な気がするけど、それだけ心配をかけていたと考えれば、指摘するのも憚られた。
ひとまず、現状の確認をせねばならない。
私は、まず辺りを見回してみることにした。
「ここは、まだ結界の中なのかな」
空を見上げてみても、未だに不気味な赤い月が上っている。
雪崩のせいで、辺り一面雪まみれだが、恐らくここは麓の辺りじゃないだろうか。
頂上付近にいたというのに、随分と流されてしまったものである。
みんなは無事だろうか。一応、洞窟内に押し込んだから、雪崩の被害には遭ってないと思うけど、もしかしたら、入り口が塞がれて、閉じ込められてしまっているかもしれない。
そう考えると、早く助けに行かないと。
〈ああ、ハクお嬢様……〉
「……エル、そろそろ離れない?」
〈いやです〉
「ええ……?」
先程から、エルが全然放してくれない。
ちょっと辺りの様子を確認したかったんだけど、エルが放してくれないから、動くに動けなかった。
確かに、結構な時間離れていたし、危険もたくさんあったから、心配になる気持ちはわかるんだけど、ちょっと心配しすぎじゃないだろうか?
愛されている自覚はあるけど、エルってもっと、冷静沈着な性格だったような気がするんだけど……。
まるで甘えるようにギュッと抱き着いてくるエルに、困惑が広がっていく。
一体どういうことなんだろうか。
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