第二百五十八話:血まみれの竜
なるべく早く向かおうと思ったが、足元は雪で覆われている。それも、膝上くらいまで積もるような厚い層だ。
私の背が小さいからというのもあるけど、これをいなしながら進むとなると、どうしても時間がかかる。
かといって、空を飛んでしまうと、先ほどから鳴っている謎の雷に攻撃される可能性もあるし、あまり飛びたくはない。
なので、間を取って、超低空飛行で進むことにした。
「ハクちゃん、重くないのです?」
「大丈夫ですよ。これでも力は強い方ですからね」
背中から竜の翼を出し、シンシアさんを抱えて、地面すれすれを飛ぶ。
これなら、下手にヘイトを買うこともないだろうし、そこまで咎められることもないだろう。
まあ、低空を常に維持するのはちょっと難しいんだけど、そこらへんは飛行魔法も併用して何とかしている。
ここに長居することによって発狂するリスクがあるなら、さっさと抜けてしまいたいからね。
「それにしても、いったいここで何があったんでしょうか……」
今は森を抜け、少し急な斜面を登っているところである。
木もまばらに存在しているが、ほとんど遮蔽物がない状態だ。
だからなのか、辺りに散っている血のような跡が凄く気になる。
一度近づいてみて確認したけど、確かにそれは血のようだ。何の血かまではわからなかったけど、割と最近のもののように感じる。
量からして、何かが殺しあったでもない限り、こんな跡にはならないはずなんだけど、先にこの山に辿り着いた人達が、あの化け物に襲われた結果ってことなんだろうか。
一応、あれからあの化け物は出てきていないけど、普通の人が対峙したら、結構な脅威だと思うし。
「ハクちゃん、また鎮静魔法をかけてもらっても構わないのです? ちょっと不安で……」
「了解です」
あれから、シンシアさんとアリアには、定期的に鎮静魔法をかけるようにしている。
恐怖によって支配されるとわかったのだから、少しは対抗できると思ったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。
ここは安全だ、危険はないとどんなに言い聞かせても、無意識のうちに不安が溜まっていき、不意に爆発するようだ。
だから、そうならないために、定期的に鎮静魔法をかけることによって、不安を取り除いているのである。
ちょっと手間ではあるけど、急に発狂される方が怖いので、労力は惜しまない。
特に、私が発狂してしまったら、誰も止められないと思うしね。
竜の力だけならともかく、神様の力まで解放したら本当に手が付けられないだろう。
だから、私にも鎮静魔法は定期的にかけている。
まあ、そこまで恐怖に支配されているかと言われたら、そういうわけではないんだけど、一応ね。
「そろそろ頂上でしょうか」
「となると、この辺りなのです?」
気が付くと、頂上付近までやってきていた。
竜の話によると、この辺りに洞窟があるらしいのだけど、一見してそのようなものは見当たらない。
せめて、エル達が見つかってくれたらよかったんだけど、その姿もない。
うーん、迷子か?
「雪で隠れているのかもしれませんし、この辺りを探ってみましょうか」
「了解なのです」
手分けして探したいところだが、離れている間に発狂されたり、あの化け物に遭遇しても困るので、基本的には一緒に行動する。
竜が住処にするほどの洞窟なのだから、そこまで小さくはないと思うんだけど、どこにあるんだろうか。
「ん? あれは……」
その時、空に何かが見えた。
よく目を凝らしてみると、先導してくれていた竜である。
よかった、どうやら合流できたようだ。
「おーい、こっちですよー」
「ハクちゃん、あの竜、何かおかしくないです?」
「え?」
私は手を振りながら、ここにいることをアピールしたが、シンシアさんが警戒したように私の腕を掴む。
言われて、改めてよく見てみると、確かに、色が少し違うように感じた。
服従状態の時は、鈍色がかった体色だったが、助けた後は白色だったはず。
しかし、あそこにいる竜は、そのどちらでもなく、赤黒いまだら模様だった。
別の竜? でも、あの体格や雰囲気は、あの時の氷竜だと思うのだけど……。
もしかしたら、また厄介な状態異常になっているのかもしれない。
私は、少し警戒の色を強める。
「どうやら、こっちに気が付いたようですけど」
竜は、こちらに気が付いたのか、徐々にこちらに近づいてきている。
ただ、その態勢がおかしい。
近くに着地するつもりなら、もう少し速度を落とすはずだけど、その竜は、速度を落とすことなく、むしろ翼を畳んで速度を出しているように見えた。
しかも、その直線状にいるのは私達である。
ここまでくると、その目に敵意が宿っていることも確認できた。
どうやら、普通の状態ではなさそうである。
「よっと、ほんとに突っ込んできましたね」
私はとっさに、大きく羽ばたいて後ろに移動する。
すると、その少し後に、先ほどまで私達がいた場所に竜が突っ込んできた。
着地のことを全く考慮していない、全力の突進攻撃。
辺りの雪は爆音とともに舞い散り、視界が白く覆われる。
いくら竜とて、あれだけの衝撃を食らったら、めまいくらい起こしそうなものだが、竜はすぐさま雪から脱出し、こちらを探すように辺りを見回していた。
「この気配、魔力に当てられちゃってるんですかね」
「わかるんです?」
「いろんな人を見てきましたからね。何となくはわかります」
探知魔法が使えなくても、目の前にいれば、相手の気配くらいは察することができる。
この竜、明らかに正気を失っている。
遠くから見た時は、ただの模様のように思えた体色だが、どうやらあれは血のようだ。
体中に怪我をしているようで、そこから血が溢れ出てきているようである。
竜にこれだけの傷を負わせるなんて普通ではありえないが、この山には、先ほどから姿の見えない、雷の使い手がいる。
あるいは、発狂していることから考えて、自分で傷つけたって可能性もあるか。
いずれにしても、早く落ち着かせてあげないと、命に関わるかもしれない。
「ちょっと大人しくしてくださいね」
私は、竜の背後を取り、結界で体を拘束する。
拘束されたことに気づいた竜は、なりふり構わず暴れてくるけど、力は元の状態と同じなのか、解けることはなかった。
ただ、本当になりふり構わずなので、傷口からさらに血が溢れ出している。
一回黙らせた方がいいかもしれない。
「はっ」
気絶させてもよかったが、もし発狂しているだけなら、鎮静魔法で落ち着くかもしれない。
そう考えて、試しにやってみると、竜は暴れるのをやめた。
ただ、力を使い果たしたのか、その途端に意識を失い、その場に倒れ伏す。
結局気絶してしまったけど、まあ、結果的にはよしか。
「とりあえず、治療しないと」
私は、すぐさま治癒魔法をかけ、傷口を治していく。
本当に、この空間は厄介だ。ちょっとでも気を抜いたら、発狂するとか怖すぎる。
思ったよりも酷い怪我をしている竜を心配しながら、この空間の厄介さを痛感した。
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