第九十八話:お姉ちゃんの師匠
今日も結構な数の魔物を狩ることが出来た。ただ、その多くは【ストレージ】にしまうことなくそのまま残してきている。
なぜかって? それは相手にした魔物が蜘蛛の化け物だったからだ。
あのダンジョンは昆虫型と人型が混在しているようで、昆虫型は主に蜘蛛が主体のようだった。
人型ならまだいいけど、あんなグロい昆虫どもを【ストレージ】に入れるなんて生理的に無理だ。
別に【ストレージ】に何を入れようが何も感じないけど、何というか、入れてると思うだけで怖気が走る。私は虫が苦手なのだ。
結局、その場で解体して血と魔石だけもらって残りは放置。
あの蜘蛛はブラックスパイダーという種で硬い外殻は防具としても武器としても優秀らしいんだけど知ったことではない。
蜘蛛以外なら持ち帰ってこれたので多少のお金は手に入るし、それで十分。
血に関してはサリアが持ち帰り、ぬいぐるみにされた被害者を戻すべく儀式魔法を行っている。全員戻るのも時間の問題だろう。
サリアを屋敷に送ってから別れ、宿へと戻る。
「ハク、おかえりー」
「ただいま」
部屋にはすでにお姉ちゃんが帰ってきていた。
椅子に腰かけて紙を広げている。あれは、手紙かな?
「手紙?」
「うん。ラルド兄からね」
「お兄ちゃんから!?」
ラルドとは私の兄の名前だ。姉であるサフィと同じく私が信頼する家族の一人。確か今は隣の大陸に渡っているとか聞いたような。
「ハクと会ってからすぐに手紙を送ったんだけどね。流石に隣の大陸ともなると結構時間がかかるね」
「そ、それで、お兄ちゃんはなんて?」
「まあ、読んでみたらいいよ」
差し出された手紙を受け取り、文字に目を通してみる。しかし、すぐにそれが無駄な行為だと理解した。
「よ、読めない……」
前々から文字の勉強をしようしようと思っていたのだが、結局今の今まで全然やってない。
依頼を受けるだけだったら受付さんに頼めば適当な依頼を持ってきてくれるし、それ以外の場面でも大体他の人が教えてくれるから苦労したことがなかったから。
このままではいけないと思いつつも魔法の研究やら剣術の稽古やらを優先してしまい、結局今まで全く勉強していない。
もうここまで来たら勉強しなくてもいいんじゃないかなとか思うけど、こうして読めない場面に出くわすとやっぱり文字くらい読めるようになりたいなぁとは思う。
「そっか、ハクは文字読めなかったね」
「お姉ちゃん、読んで?」
「はいはい、わかったよ」
私が手紙を渡すとお姉ちゃんはゆっくりと朗読してくれた。
最初はお姉ちゃんへの挨拶に始まり、形式的な言葉が多かったが、いずれ私の話になるとだいぶ困惑していたようだった。
今まで必死になって死んだと思っていた妹を生き返らせようと躍起になっていたのに実は生きてましただからね。気持ちはわからないでもない。
すぐにでも戻りたいと思っているようだが、今は何か外せない事情があるらしく、すぐには戻れないとのこと。それに関して数えきれないほどの謝罪と後悔の念が書き連ねられているようだ。
私もお兄ちゃんに会えないのは残念だけど、お兄ちゃんは私以上につらいだろうなと思う。
なにせお姉ちゃん以上に私を溺愛してくれていたのだ。不可能に思えることを実行に移そうとしたことを考えてもその愛の深さが窺える。
まあでも、お兄ちゃんは無事だということを知れただけでも良しとしよう。
「これから返事を書くけど、ハクも手伝ってくれる?」
「うん!」
会えなくても手紙でやり取りすることはできる。せめて私が元気だってことを伝えてあげなければ。
お姉ちゃんに代筆して貰い、私の気持ちを伝えてもらう。
会ったわけでもないのにこんなに胸が高鳴っているのはやはり兄の無事を知れたことが大きいだろう。
ここは剣と魔法の世界であり、前世にあった世界よりも死が身近だ。ほんの少し運が悪かっただけで死んでしまうこともある。
隣の大陸がどれほどの危険度なのかはわからないけど、もし危険な場所だったなら本当に生きているかどうかはわからなかった。
でも、こうして手紙が送られてきたのだから生きているのは確かだろう。そう考えると、興奮するのも自然なことに思えてきた。
さらさらと手紙を書くお姉ちゃんの手先を隣で見ているだけで楽しくなってくる。しばらくうきうきとした様子で眺めていたが、ふとある疑問が浮かんできた。
「そういえば、お姉ちゃんはどうして文字が書けるの?」
私が住んでいた村は辺境にある貧しい村だった。その日を生きていくのが精一杯であり、勉強なんてやったこともない。
お姉ちゃんだって同じ村の出身のはずで、当然文字なんて書けなかったと思われる。なら、お姉ちゃんはいつ文字を書けるようになったんだろう?
あの村の子供は10歳になったら魔法の適性を調べ、才能があったなら町に向かい冒険者となる。普通に考えればその後に勉強したってことになるだろうけど、駆け出しの冒険者が勉強しながら生計を立てるのはとても困難なのではないかと思う。
私はアリアと多少練習をしていたからさくさく魔物を狩ることが出来たけど、お姉ちゃんの場合はその身一つでだっただろうし、最初は満足に魔法も使えなかったはずだ。
ならどうやってそれを乗り切り、勉強するまでに至ったのだろうか。
「ああ、文字は師匠に教わったんだよ」
「師匠?」
「そう。私の剣の師匠。シノノメさんって言うんだけどね」
手紙を書きながらお姉ちゃんは語ってくれた。
お姉ちゃんがまだ駆け出しだった頃、魔物を深追いしすぎて大怪我を負ったことがあったという。森の中で倒れ、動けないところに血の匂いに誘われてやってきた魔物が現れて絶体絶命の状況に陥った。
もうだめかと思われた時、その場に颯爽と現れ、魔物を退治し救ってくれたのが後に師匠となったシノノメさんだったらしい。
シノノメさんは流れの冒険者で、各地を放浪しながら旅していた。そんな折、お姉ちゃんが拠点としていたカラバの街に辿り着き、偶然お姉ちゃんを見つけたのだという。
シノノメさんがなぜお姉ちゃんを気に掛けたかはわからないが、命を救われたお姉ちゃんはそれ以来何かと面倒を見てもらったそうだ。
冒険者として生きるための心得はもちろん、魔法の扱い方、剣の使い方、そして文字の書き方もすべてシノノメさんから教わったものだとか。
いつしか二人は親子ともいえるような関係となり、共に旅をし、お姉ちゃんはめきめきと強くなっていった。
「でも、ある日事件が起きてね」
お姉ちゃんが成人した頃、とある港町で依頼を受けた。それは海に出没する魔物の討伐という内容で、難易度が高い代わりに報酬もよかった。
ちょうど金欠気味になっていたお姉ちゃんたちはその依頼を受け、船で海へと繰り出したらしい。そして、魔物と相対した。
しかし、相手が悪かった。その魔物は天候を操り、瞬く間に嵐となった海の波に揉まれ、戦闘どころではなくなってしまったのだ。
当時は情報も少なく、敵のランクを見誤っていたというのもある。その結果、船は成す術なく撃沈し、乗組員はお姉ちゃんたちを含めて全員が海に放り出された。
幸いにも、お姉ちゃんは運よく近くの島に流れ着くことが出来たが、シノノメさんはそのまま行方不明となり、今でも見つかっていないらしい。
「まあ、それが私と師匠の来歴かな」
「そんなことが……」
ただどうやって文字を書けるようになったのかを聞きたかっただけなのに随分と重い話になってしまったな。
確かに、お姉ちゃんの剣技はずば抜けているし、師匠がいたとしても不思議ではなかった。今やAランク冒険者のお姉ちゃんの師匠ならば相当強かったんだろう。
天候を味方につけたとはいえ、それを撃退した魔物の方もすごいけど。
状況からして、シノノメさんの生存は絶望的だろう。お姉ちゃんが助かっただけでも奇跡だ。
でも、世の中には結構奇跡って転がっているものだからまだわからない。私だって死んだって思われてたのにこうして生きてるわけだしね。
もし生きてるなら、いつか会ってみたいな。