第二百四十一話:トラブル発生
翌日。いつもより遅めの時間に、お母さんに起こされる。
やはりというか、実家では何となく気が緩んでしまう。
心地よい居場所というか、絶対的な安全圏というか、普段は常に探知魔法を発動していたり、そうでなくても気を張って敵が来ないかを警戒していたり、そういうことをしているわけだけども、ここではそれが無意識になくなってしまう。
もちろん、この世界で探知魔法を使ったところで反応する者なんてほとんどいないし、よほどのことがない限り、命の危険があるようなことは起こらないだろうけど、あんまり気を緩めすぎるのは問題かもしれないね。
《ハクお嬢様、おはようございます》
《エル、おはよう》
いつの間にか、隣にはエルが立っている。
エルは客間で寝たはずなんだけど、すでに起きていたようだ。
まあ、私が起きるのが遅かったからね。当然っちゃ当然か。
《ユーリから連絡が来ていましたよ》
《ユーリから? どうしたんだろう》
ユーリの方から連絡してくるのは珍しい。
こちらの世界に来ている時は、私と一夜の団らんを邪魔してはいけないと思っているのか、いつも以上に連絡してこないんだけど、それでも連絡してきたということは、何か問題が起きたということだ。
私は急いで通信魔道具を取り出すと、ユーリにかける。すると、すぐに応答があった。
『もしもし、ハク? 今は大丈夫?』
「うん。すぐに反応できなくてごめん。何かあったの?」
『それがね……』
そうして、ユーリは何があったのかを話し始めた。
今日も、ユーリは、お兄ちゃん達と共に、観光に出かけることにしたらしい。
観光と言っても、近場は大体案内したので、今回はちょっと遠出しようということで、電車に乗り、少し離れた場所までやってきていたようだ。
それ自体は、特に問題にはならなかったんだけど、その道中の電車で、ちょっとした事件があったらしい。
発端は、優先席に座っていたおじさんに、高校生っぽい男子が注意をしたことだったという。
ちょうど通勤時間に重なっていたこともあって、電車内はそこそこ人が多かった。故に、席も満席で、立っていた人も多かったのだという。
そんな中で、優先席に座るおじさんに、席を譲って欲しいというおばあさんがいた。
元々、優先席は、お年寄りや怪我人などが優先して座れる場所であり、すいている時ならまだしも、混んでいる時に健常者が座るのはあまり褒められたことではない。
しかも、今回はわざわざ席を譲るように求められていた。だから、普通は譲るものだろう。
しかし、そのおじさんは退かず、それどころか暴言を吐いたのだという。
その様子を見かねた高校生が割って入り、おじさんと高校生で揉め事が起きた。
最初は小さな言い合いだったが、おじさんも徐々に腹が立ってきたのか、だんだんと声が大きくなり、やがて高校生に掴みかかって、その顔を殴り飛ばしたのだという。
その様子を見ていた他の客は悲鳴を上げ、その場は騒然としたようだ。
『私達は、ちょうどその人がいる車両に乗っていてね。一部始終を目撃したんだけど……』
通常であれば、駅員が呼ばれ、おじさんを説得したりなんなりをするはずだったのだけど、おじさんは相当興奮しているのか、駅員の静止も聞かず、暴れ散らしていたのだという。
お客さんは他の車両に避難しようとしたが、一両分を開けられるほどすいていたわけではないので、逃げるに逃げられず、パニックが広がっていった。
そんな時、見るに見かねたのか、お兄ちゃんが動いたんだという。
『ラルドさんは、そのおじさんを捻り上げて、気絶させたの。サフィさんも、殴られて怪我をした高校生の介抱をしたりしてたわ』
誰もがパニックになる中、元凶を止めたお兄ちゃんは、お客さんからも、駅員からも、感謝された。
おじさんは次の駅で降ろされ、事件は解決したかに見えた。
しかし……。
『そのおじさんを警察に引き渡す最中に、目を覚ましてね。この男に殴られたって、ラルドさんを指さして喚き散らしたの』
「うわ……」
ある程度の事情を聞いていたであろう警察も、その言葉に不信感を抱いたのか、お兄ちゃん達に事情を聞くために、電車から降ろした。
しかし、お兄ちゃん達は日本語を話すのはまだ慣れていない。その結果として、お兄ちゃん達が外国人であるということはすぐにばれたのだという。
おじさんを鎮圧したこと自体は、特に責めることはない。おじさんの言い分も、苦し紛れの言い訳だと判断されたようで、そのことについてとやかく言われることはなかった。
しかし、外国人である以上、日本に滞在するにはパスポートや滞在証がいる。だが、もちろんお兄ちゃん達はそんなもの持っていない。
その結果として、お兄ちゃん達は、不法滞在者と判断され、警察に連れていかれてしまったのだとか。
「だ、大丈夫なの?」
『今は、取り調べを終えて、休憩しているところなんだけどね。唯一日本語が通じる私から色々聞きだしたかったみたいだけど、流石に本当のことを話すわけにはいかないから、困っちゃって。このままだと、逮捕されちゃうかもしれないんだけど、どうしたらいい?』
「それは、まずいね……」
確かに、そういう危険性があったことは承知していた。
私を含めて、私達には今、この国に滞在できる許可が下りていない。
パスポートどころか、身分証明をするものを一切持っていないし、警察にお世話になるようなことがあれば、まずいことになるのは目に見えていた。
だからこそ、なるべく目立たないように行動していたつもりだったのだけど、そこでそんな事件が起きてしまった。
もちろん、無視していれば防げた事故かもしれないけど、流石に、目の前で暴れている奴がいるのに、それを無視するなんてことはお兄ちゃんにはできなかっただろう。
いいことをしたはずなのに、それで自分がピンチになるのはちょっと納得いかないけど、やってしまったものは仕方がない。
こうなってくると、どうにかして身分を証明する必要がある。けど、そんなものは何もない。
一体どうしたらいいんだろうか。
「逃げる……?」
『まあ、逃げようと思えば逃げられるけど、その場合、警察の捜査が始まるだろうし、やばいんじゃない?』
「だよね……。どうにか穏便に済ませるには……」
考えてみるが、ぱっと思いつくことはない。
すでに多くの人に見られてしまっている以上、今更逃げるのは難しいし、かといって身分を証明するものをでっちあげることもできない。
いくら私が多くの魔法を覚えているとはいっても、そんなピンポイントな魔法はない。
どうにか脱出した後、変身魔法などで姿を変えて過ごすというのも手だけど、流石に無理がある。
八方塞がりっぽいけど、何か打開の手はないだろうか……。
焦燥感が募る中、どうにかならないかと必死に思案した。




