幕間:落ちこぼれの悪魔
悪魔のニグの視点です。
私は、悪魔の中でも落ちこぼれだった。
悪魔は、人と契約を結び、対価と引き換えに願いを叶えるのが役割である。
役割と言っても、大抵の悪魔は、それをゲームのように楽しんでおり、ほとんどは趣味の領域に入っているが、私は違った。
なにせ、願いを叶える力が乏しかったのだから。
悪魔が願いを叶えるメカニズムは、具体的には明らかになっていない。
ただ、悪魔として生まれた者は、生まれた時からそういう力を身に着けており、貰った対価に見合った願いを叶える力があるのだという。
だから、どのようにして叶えるのかの違いはあれど、願いを叶えること自体は、どの悪魔もできて当たり前のことだった。
しかし、私にはその力がなかった。いや、まったくなかったわけではないけれど、到底対価に見合った願いを叶えられたとは言い切れなかった。
おかげで、人からは役立たずと罵られ、悪魔からは落ちこぼれと後ろ指をさされる、とても苦しい日々を送っていた。
そんなある日、私は悪魔召喚によって召喚された。
悪魔召喚の方法は、人族の間では禁忌となっているようだが、誰も知らないわけではない。だから、喚ばれることは珍しくはなかった。
今回の契約者は、どうやら病気を患っているらしい。財産などいらないから、健康な体にして欲しいと願ってきた。
対価としては、十分すぎるほどである。
もちろん、悪魔はひねくれ者が多いから、それをそのまま叶えることは稀ではあるけど、これだけの対価があるなら、最終的には完治させてもいいものだった。
しかし、私にはそれを叶える術がない。これだけの対価を貰ってもなお、せいぜい痛みを和らげる程度しかできない。
一応、それでもやれる限りのことはやったし、契約者もそれだけで喜んでくれた。けれど、やはりこんなのは違うと、自分の中で思っていた。
迷った私は、一時契約を放置して、その場を離脱した。
もしかしたら、他の悪魔ならば解決策を知っているかもしれない。そうでなくても、万病に効く薬か何かがあるかもしれない。
そう思って、探す時間が欲しかったのだ。
まあ、他の悪魔が手を貸してくれるなどありえないことだったけど。
そりゃそうだ。契約したのは私なのだから、他の悪魔が手を貸す理由はこれっぽっちもない。
契約したからには、その契約を守り通す。それが悪魔のやり方だ。
結局、私は策を見つけられないまま、辺りをさまようことしかできなかった。
そんな時、頭の中に声が響いてきたのだ。
『谷に向かいなさい。そこに答えはあるでしょう』
頭の中に直接響く声。私は、これが神の啓示かと思った。
もちろん、悪魔に神の啓示が降りてくることなどありえない。いくら神が人々に平等とはいえ、悪魔はその対象に入っていない。
だから、これは私の完全なる思い込みである。けれど、神の啓示でもなければ、なんだというのか。
私は、その言葉に縋るように進んだ。そして、例の泉を見つけたのである。
『この泉の水を飲ませれば、願いは叶うでしょう』
黒く濁った泉の水。とてもじゃないけど、病気が治るようには思えない。けれど、私は、これに賭ける以外の選択肢がなかった。
泉の水を瓶で掬い、契約者の下へと持ち帰る。
契約者は、若干訝しげな顔をしていたが、それでも私のことを信じ、その水を飲んだ。
すると、たちまちのうちに元気になり、病気は影も形もなくなっていた。
信じられないことだが、本当に万病に効く薬だったらしい。神の啓示は間違っていなかったのだ。
「ありがとうございます、ニグ様。おかげで、私の願いは叶いました」
そう言って、恭しく頭を下げる契約者。
こんなこと言われたの、何百年ぶりだろう。契約を叶えて、感謝される、ただそれだけのことが、私にはできていなかった。
他の悪魔なら、デメリットがあることも知らずに馬鹿な奴だ、みたいに裏でほくそ笑んでいるんだろうが、私は純粋に感謝されるのが嬉しかった。
「ニグ様、実は知り合いにも病気で苦しんでいる人がいるのです。もし、まだ私の願いが叶うのなら、そいつらも助けてやってはくれませんか?」
契約者からの懇願。本来、契約は、悪魔と契約者だけの下で完結するものであるのが好ましいが、その時の私は、浮かれすぎていてそんなこと全く気が付きもしなかった。
幸い、泉の水はたくさんある。何人か助けるくらいどうってことはないだろう。
そうして、他の人々にも泉の水を分け与え、病を癒していった。
その度に感謝され、私はとても満たされた気持ちになった。
私が望んでいたのは、こういうことである。このままずっと、感謝されていたい、尊敬されていたい、そんな気持ちが強く出てしまっていた。
「この素晴らしい力をもっと世に広めましょう。きっと、これを望んでいる人がまだまだいるはずです」
後から考えれば、契約者は私を騙していたのかもしれない。
私に願いを叶える力がなく、ただ泉の水の力に頼っていることも、見通していたのかもしれない。
最初は無償で配っていた泉の水も、気が付くと有料になり、さらにあり得ないくらい高く設定され、金儲けのために利用されていった。
まあ、みんな従順で、私に優しくしてくれたし、相手も自分の病気が治るならと納得して買っているのだから、詐欺商品を売りつけるよりよっぽど健全である。
私は、すっかりお山の大将となっていた。
しかし、うまい話の裏には悪い話があるものだ。私の理想郷は、しばらくして崩れ去る。
「まさか、ハク様に出くわすとは……」
そこそこ大きくなった組織は、『黒き聖水』と名前を変え、活動拠点を増やしていった。
契約者には、友誼の証として杖を送ったりして、かなり親密な間柄になっていたが、組織が大きくなれば、必然的に禁忌に触れる可能性も高くなる。
ハク様。ここ最近、悪魔であるベルが接触した、神の一角である。
その力はとても強大であり、下手に刺激しようものなら、そのあたり一帯が焦土と化す可能性もある危険人物。
悪魔には、絶対に近づかないようにと言い聞かせられ、私もその話は知っていた。
しかし、会うことはないだろうと思っていた。
確かに、ハク様が出現したのは隣の大陸であり、近いと言えば近いが、別にハク様の目に触れるようなことはしていないと思っていたし、そもそも神が地上のことに干渉するのはかなり稀である。
ベルが接触したのも、恐らくは運が悪かったというだけの話だろうと思っていた。
しかしまさか、ピンポイントで私の下に現れるとは……。
すっかり組織のボス気取りとなっていた私は、あろうことか、ハク様に対して尊大な態度を取ってしまった。
下手をしたら、このあたり一帯がなくなるかもしれないと言われた相手にである。
終わったと思った。私の命だけで済めばどれほどいいことかと願いもした。
「思いの外、理性的な方で助かったけど……」
結果的には、怒らせることもなく、平穏に済んだのだけど、あの時ほど命の危機を感じたことはなかった。
まあ、帰ったらどやされるのは確定だろうけど、あれに比べれば、それくらいはどうってことはない。
むしろ、ハク様はかなり優しい方で、このままお側にいられたらいいのではないかとも思ったりした。
心配だったのは、契約者のことである。
結局、契約者との願いは果たされなかった。まあ、ハク様が関わっているのだから、悪魔としては退く以外の選択肢がない。
しかし、あれほどまでに親密な関係にあった契約者のことを、あっけなく手放してしまうことに、罪悪感がないわけではなかった。
もちろん、病気はすでに治っているし、死ぬことは多分ないだろうけど、私のことを恨んだりしていないだろうか。
「今度、謝りに行こうかな」
しばらくの間は、ハク様と距離を置かなくてはならないし、会いに行くことはできなさそうだけど、いずれきっちり修行して、願いを叶える力を身に着けたなら、その時はまた願いを叶えて上げに行きたい。
それまで無事でいて欲しいなと思いつつ、修行を頑張るのだった。
感想、誤字報告ありがとうございます。




