幕間:宮廷魔術師の敗北
宮廷魔術師ルシエルの視点です。
目を覚ますと医務室のベッドの上だった。周囲には医療班の人間がおり、私の目覚めを待っていたようだった。
「ルシエル様、お目覚めになられましたか!」
「ぬぅ、私は一体……」
頭が痛い。私は今まで何をしていたのだろうか。
靄がかった記憶を手繰り寄せていく。確か、私は……。
「そうだ、思い出したぞ……!」
私は生意気にも城にやってきた小娘の相手をしていた。
先日起きたオーガ騒動を鎮めた立役者であり、幼い見た目に反して類稀なる魔法の才を持った魔術師であるという触れ込みで陛下に呼び出されたのだ。
謁見の間で奴と出会った時、確かに光るものは感じた。見た目はガキではあったが、確かに魔法の才に優れていると。
しかしそれでも私には到底及ばないはずだった。
私はとある貴族の出であったが、今まで魔法の研鑽を重ね、ついに宮廷魔術師にまで上り詰めた。私の右に出る者はいなかったし、私以上に魔法を扱える人物など伝説の賢者様くらいだろうと思っていた。
しかし、今回その自信は打ち砕かれた。あろうことか、年端も行かぬ小娘の手によって。
奴が最後に放った水の魔法は私の魔法を容易く消し去り、私を飲み込んで意識を刈り取った。
魔法耐性を上げる装備や魔道具のおかげで目立った怪我こそないが、あちこちが痛む。
今思い出してもはらわたが煮えくり返るほど忌々しいが、客観的に見れば確かにあの魔法は素晴らしかったと思う。
魔法は本来詠唱を必要とするにも拘らず、奴は全くの無詠唱でそれを発動させていた。
確かに、簡単な魔法であれば無詠唱でも使えないことはない。全くの無詠唱とまではいかなくても、詠唱短縮くらいは私にもできる。しかし、あのような上級魔法を無詠唱というのはいくら私でも不可能だった。
まだ幼い小娘がそれを平然とやってのけた事実は奴の才能が桁外れていることを如実に表している。
それだけではない。初級魔法のボール系魔法を刃のように変質させていたり、ウェポン系魔法を長時間具現化していたりととにかく規格外のことばかり。そして、そのすべてが無詠唱。
さらに、私が付けている指輪は魔道具職人に特注で作らせたものであり、初級魔法程度ならかき消してしまうほどの耐性を持っている。にも拘らず、その防御を抜けてダメージを与えてきた。
無詠唱で魔法が放てるというだけでも相当な魔法の研鑽を重ねてきた証であるが、その上であのように魔法をアレンジし、且つ威力も精度も相当高いというのはあの年ではありえないことだ。
一体どのような魔法の修行をしてきたのだろう。負けた事実は悔しいが、奴の魔法には非常に興味が沸いた。
「目覚めたか、ルシエル」
「へ、陛下、わ、私は……」
気づけば敬愛する陛下が隣に立っていた。
すぐさま礼を取ろうとするが、体が痛んでうまくいかない。
そんな私を陛下は手で制すると、穏やかな口調で問いかけてきた。
「彼女はどうだった」
「……ええ、悔しいことですが、私と同じかそれ以上の才能を持っていることでしょう」
私にも宮廷魔術師としての意地がある。
常に魔法の研鑽を続けてきたし、今だってそれは変わらない。しかしそれでも、それを超える者が現れた。それは認めなければならない事実であるし、変に虚勢を張っても自らの惨めさが大きくなるだけだと感じた。
だから私はぐっと怒りを堪え、本当のことを陛下に報告する。
「そうか。そなたをもってしても上だと思ったか」
「陛下。奴は何者なのです? あの年であの魔法の才、普通ではありません。良家のご息女か、それとも元宮廷魔術師の弟子か、いずれにしても生まれてすぐに修行を繰り返していなければ不可能です。魔族返りという線もありえます」
少なくとも、あれほどの大規模魔法が放てる以上、魔力の量は相当なものだ。噂が本当だとしたら、実際はあれよりも凄い魔法を放てるということだろう。
人の魔力は生まれた時に決定され、その量が増えることはあまりない。訓練によって多少なりとも上昇することはあるが、基本的には生まれた時点の魔力の量で頭打ちとなる。
彼女はとても魔力の量が多かったのだろう。それは間違いない。しかし、だからと言って子供のうちから強力な魔法が使えるかと言われたらそうではない。
魔力は時間をかけて馴染むものであり、生まれた直後は魔力を多く持っていたとしても魔法は使えない。少しずつ魔力が体に順応していくことによってはじめて魔力を自分のものにすることが出来る。
彼女くらいの年ならばまだ魔力が馴染んでいる途中であり、使えたとしても中級魔法が限度だと思われる。にも拘らず、すでに上級魔法を使いこなしている。これは明らかに異常だった。
「詳しいことはまだ調査中だがな、あの神速のサフィの妹だと聞く」
「なんと、あのAランク冒険者ですか?」
サフィの名は王都でも有名だった。
貧しい村の出身でありながら十歳にして冒険者となり、そこからめきめきと頭角を現して今や神速のサフィという異名までつけられている。
彼女の妹というのなら、血筋の問題なのだろうか。しかし、それだと矛盾が生じる。
いくら優秀な冒険者であるサフィの妹だとしても、両親は貧しい村の出身。少なくとも王都よりはいい環境ではなかっただろう。魔法が使えたかどうかも怪しい。
実際サフィも魔法は使えるが、そこまで強力なものではない。特殊属性ではあるが、冒険者ならちょっと優秀程度のものだ。
それに比べて奴の魔力は抜きんですぎている。そう考えると、やはり魔族返りという線が濃厚だろうか。
魔族返りは先祖の中に魔族がいた場合、その特徴を引き継ぐと言われている。角が生えていたり、尻尾が生えていたり、肌の色が黒かったりと様々だが、そのすべてにおける特徴として魔力が多いことが上げられる。
一見して奴にはそのような特徴は見受けられなかったが、どこかにそのような特徴があったのかもしれない。
「陛下、奴は危険です。早々に処分した方がよろしいですぞ」
「しかし、彼女のおかげで王都が救われたのも事実。その恩を仇で返す様な真似は出来ぬ」
「しかし……」
「大丈夫だ。一目見ただけでわかる。彼女は私に仇なすような者ではない」
陛下がそう断言するならばもはや言い返すことはできない。
陛下の観察眼はとても素晴らしい。その目は見ただけでその人物の人となりを把握することが出来ると言われている。
その陛下が言うのだ。奴は悪い人物ではないのだろう。
「それに彼女の戦力はぜひとも欲しい。そのために宮廷魔術師の地位を渡したかったのだがな」
「……出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
「よい。それでも結局彼女は靡かなかった。年に似合わず、とても謙虚な子だ」
ともすれば私よりも高い戦闘力を持つ。それだけで国が欲するには十分な理由だった。
私はその機会を邪魔してしまったのだと気づくと頭が上がらない。
結局、私は敗北し、その上で陛下が交渉しても靡かなかったのだからあまり意味はないのかもしれないが、陛下の意志に背いてしまったことは反省すべき点だった。
確かに、奴の戦闘力は欲しい。外壁を破壊され、隣国との対応の緊張感が高まっている中、これほどの戦力を野放しにしておくのはもったいない。
陛下は杖を渡すことによりなんとか自国の所属だということをアピールしたかったようだったが、それもほとんど意味がないだろう。
奴の気一つですぐにでも王都を離れてしまうかもしれないのだから。
「何かいい案があればいいのだがな」
「それでしたら、妙案がございます」
「ほう、申してみよ」
陛下は奴を繋ぎ止めたい。私も奴の鼻を明かしてやりたいと思う。どちらにせよ、奴が王都を離れるような事態は避けなければならない。
魔法では撃ち負けたが、それ以外のことでならいくらでもやりようはある。
その一つを陛下に提案すると、確かにと肯定してくださった。
これで奴はしばらくは王都にいることになるだろう。それまでに、私も腕を磨かなければならない。
今まで以上に魔法の研鑽に精を出し、必ずや奴の魔法を超える。
そう考えたらいても立ってもいられなくなった。
王に一礼し、ベッドから飛び起きる。
まずは奴の魔法の論理を解明することからだ。
それからしばらくの間。研究棟から一歩も出ない日が続くことになった。