第九十二話:元の姿に
『……ところで、ミーシャさんは何してるんですか?』
ずっと気にはなっていたが、先程から悶えているこの人は一体何なんだろう。
怪我をして呻いている、というわけではないだろう。そんな人はこんな風に熱っぽい声を上げはしない。
ならば何が原因かと言われれば、答えは抱いているぬいぐるみにあるのだろう。
空色の髪に大きな胸、腰に佩いている二本の剣。ぬいぐるみらしくデフォルメされているとはいえ、その正体が誰なのかはすぐにわかった。
「サフィさん、でしたっけ? ハクのお姉さんを抱いて悶えてます」
『お姉ちゃん……』
うん、まあ、何となく想像はできる。
ミーシャさんは私のお姉ちゃんに対して崇拝にも近い尊敬の念を抱いている。憧れというか、目標というか、だからこそミーシャさんの戦い方はお姉ちゃんに似ているのだろう。
だが、ミーシャさんの場合、尊敬を通り過ぎてまるで恋人であるかのような熱っぽい感情を孕んでいた。
最初こそ、過剰にお姉ちゃんを尊敬しているだけの人かと思った。だけど、何回か会っているうちにその視線の意味をなんとなくだけど理解してきた。
あれは尊敬というよりは恋心。相手を自分のものにしたいという欲求だ。
そんな相手が物言わぬぬいぐるみとなって目の前にいる。普段は恐れ多く触れもしない相手ではあるが、ぬいぐるみであれば話は別。それがたとえ本人であろうとも、見た目にはただのぬいぐるみなのだから。
結果、今目の前で転がっている惨状が出来上がったわけだ。
なんというか、うん。お姉ちゃんドンマイ……。
「え、ハク様が起きたの!?」
あ、やばい、こっちに来た。
がばっと起き上がったミーシャさんはお姉ちゃんのぬいぐるみを抱いたままこちらに近づき、そして抱き上げた。
「ハク様、こんな可愛らしい姿になられて……可愛すぎて私はどうにかなってしまいそうです!」
『う、うん、落ち着いて?』
そのまま恍惚の表情を見せながら頬ずりしてくるものだから堪ったものではない。
確かに今はぬいぐるみだけど、私はれっきとした人間だ。おもちゃにされるいわれはない。
これじゃサリアさんの方がまだましだよ……。
というかお姉ちゃん生きてるよね? さっきから返事がないけど。
「サフィさんは多分気絶しているかと思います。ずっと振り回されてましたから」
『お姉ちゃん……』
なんかもう、お姉ちゃんが不憫に思えてきた。
ぬいぐるみにされ、ミーシャさんに会ってしまった時点でこの結末は決まっていたのだろう。
覚えてないけど、私が気絶してる間私にも同じようなことやってたんだろうな。
ほんとに最初につんつんした態度はどこに行ったのやら。お姉ちゃん効果だってわかってても変わりすぎだと思う。
『ところで、サリアさんはどこに?』
「ああ、それなら……」
「お待たせ、準備出来たぞ」
先程から姿が見えないサリアさんについて尋ねていたら、タイミングよくサリアさんが現れた。
腕には包帯が巻かれ、顔のところどころにも治療の跡が見える。
そうか、一応治癒魔法は掛けたけど、完全に回復できたわけじゃないんだよね。
ボロボロだった服は流石に着替えていたようだったが、痛々しい姿に思わず胸が痛んだ。
「そうですか。では、行きましょう、ハクさん」
『行くって、どこへ?』
「屋敷の地下へ。そこで元に戻る儀式を行うそうです」
『ということは……』
「事情は大体聞きました。元の姿に戻る時が来ましたよ」
元々ダンジョンに行ったのは元に戻るために必要な魔物の血を取りに行くためだった。
量が足りないのではと思っていたけど、一人分くらいなら既に集まっている。それなら、早速戻していっても問題はないか。
『それならお姉ちゃんを先に……』
「いや、最初はハクって決めてる。僕の傍にいてくれるって約束してくれたのはハクだけだから」
一人しか戻れないのであれば私よりもお姉ちゃんやアンリエッタ夫人などもっと重要な人を先にすればいいと思う。しかし、それはサリアさんによって否定された。
サリアさんが人をぬいぐるみにしていた理由はそうでもしないと自分の力を恐れ、誰も傍にいてくれないから。その行動がまた恐怖を生み、人々を遠ざけていたという事情があり、サリアさんは一人になるのを極端に嫌う。
だから、傍にいてくれる人材が必要だった。その筆頭が私というわけだ。
確かに、あの時の言葉に嘘はない。サリアさんの境遇を考えれば、一人がつらいことはわかりきっているし、そんなサリアさんを助けたいと思ったのは本当だ。でも、だからと言って私が最初じゃなくてもいいのではないかとは思う。
こう言っては何だけど、私が約束を反故にして逃げたらどうするんだろう。しないけどさ。
それだけ信頼されているということだろうか。それは嬉しいけど、私なんかが最初でいいのかな……。
うだうだ考えているうちにサリアさんはミーシャさんから私を取り上げ、胸に抱く。ミーシャさんが情けない声を上げていたが気にせず、そのまま部屋を後にした。
階段を降り、石造りの部屋へと辿り着く。倉庫として使っているのか、部屋にはタルや木箱が山積みに置かれている。
照明はランプの明かりのみで結構薄暗いが、片付けられたスペースの床には模様のようなものが描かれており、薄っすらと光っていた。
『これは……』
「収束の魔法陣。これで魔力を集めて、元の身体を再構成するんだ」
わざわざ魔法陣を描いて使用するのは極めて稀だ。なにせ、魔法を使おうとすれば魔法陣は勝手に構成されてくれるから。
でも、だからと言って無意味というわけではない。魔法陣がしっかり描かれていれば後は魔力を注ぐだけで完成するし、魔法陣を描くものが魔力に適した触媒ならその負担を軽減できる。
儀式魔法とも呼ばれ、主に召喚や転移などに用いられるものではあるが、応用すればどのような魔法にも使える。
今回使用しているのはまさにそれだろう。魔法陣を書くのに使われているのは魔物の血のようだ。
サリアさんは魔法陣の中心に私を置き、そっと手を翳す。
「今から戻すぞ。じっとしててな」
『はい。まあ、魔力が足りなくて動こうにも動けませんけどね』
「ねぇ、もう戻しちゃうの? もう少しそのままでも……」
「ミーシャさん、諦めてください」
名残惜しそうにこちらを見ているミーシャさん。なんか口元から涎が垂れてるんだけど。
お姉ちゃんの例を思い出し、早く戻して欲しいと懇願すると、サリアさんはすぐに頷いてくれた。
「じゃあ、行くぞ」
サリアさんの手から魔力が放たれる。それは周りの魔法陣を反応させ、淡い光が強い光へと変わった。
私に集中する魔力。それと同時に感じる体が大きくなっていくような違和感。
居心地の悪さを感じながら耐えていると、視界が急に高くなった。
それと共に強く感じる重力。慌てて足を動かし、手でバランスを取って倒れるのを回避する。
自然とできた動作は久しくできなかったことだった。
「あ、う……? あ、喋れる」
閉じていた目を開けると、そこにはサイズダウンした三人の姿が映っていた。いや、この場合は私が大きくなったというべきだろう。それでも身長は私が一番低いけれど。
手を握ったり開いたりしながら感覚を確かめる。しばらく動かせていなかったけど、問題なく動かせるようだ。
軽く歩いたり跳ねたりして体の感覚を思い出すと、サリアさんに向き直る。そして、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。おかげで元に戻れました」
「お、おう、よかったな……」
サリアさんはどことなく不安げな顔をしながら私の方をちらちらとみている。
私は何も言わずにサリアさんに近づくと、そっと抱きしめた。
「大丈夫、これからもずっと傍にいますよ」
「ほ、ほんとに?」
「はい。もう友達ですしね」
「……うぅ」
感極まったようにサリアさんは泣き始めた。震えるサリアさんの背中を優しく撫でながら抱きしめる。
もう苦しむ必要はない。もう十分に苦しんだから、後はもう這い上がるだけだ。
薄暗い地下室に響く泣き声はしばらくの間続いた。