第七話 俺の顔分かるよな?
「平助なにモタモタしてんだよ!? 体育の授業遅れるぞ」
「お、おう」
蒼汰の焦りなど露知れず俺は気のない返事を返した。
「今日は女子と合同の体育なんだから遅れる訳にはいかねえんだよ」
「何でだ?」
「汗ばむ体育着により女神を包む双璧の羽衣が神秘な透明感を纏うかもしれないだろ? 早くしろよぉおお」
「お前は最低なクソ野郎だよ」
汚物でも見るような目で蒼汰に言いはせてやった。
「はぁ!? なにか言ったか?」
「何でもねえよ。先に行っててくれ」
蒼汰は「悪いな」と言いながら、でも少しも悪そうな様子はみせずに行ってしまった。その速さたるは、部活でも見たことのないレベルだ。
教室には俺を置いて誰も居なくなった。ふとポケットから一枚の紙切れを取り出す。
『俺の野球人生を返せ。俺の青春を返せ。木偶の棒の分際で俺から野球を奪ったお前を俺は許さない』
そこには乱雑な字が殴り書かれていた。今日俺の家のポストに入っていた手紙だ。
宛名などないが、誰が書いたものかすぐに分かった。二瀬だろう。今は手術のため病院に入院しているらしい。字の途中には何度も芯が折れた形跡があり、紙もぐしゃぐしゃだった。相当な筆圧だ。なんか怨念めいたものを感じずにはいられない。
俺のせいとか。あいつがキャッチボールもちゃんとできないのが原因じゃねえか。全く、なにが野球人生だ。語ってんじゃねえって感じ。利き手が残ってるだけ感謝しろっての。
どいつもこいつもアホばっかしだ。
その紙をくしゃくしゃにすると教室端にある、アルミ製のポリバケツに思いっきり投げつけてやった。
ベコッ!!
投げたのは紙 ……だったはず。なんかおかしい。
紙屑は中には入らなかった。ゴミ箱の側面に当たった。
しかし、紙が命中した場所だが ――ゴミ箱は真横にひしゃげていた。
それはまるで金属バットで思いっきりぶん殴ったような有様。誰がどう見たって紙屑を投げ付けて起こった光景だとは思えないだろう。
《俺の肩……。まだ異常なままかよ!?》
何か胃のあたりがキリキリしてきた。嫌な夢の続きを見ているような、気持ち悪く、背筋がぞっとするような奇妙な感覚に襲われた。あの変なドアを開けた先の世界がまた現実味を帯びたような気がした。
あれは夢じゃなかったのか? 最悪だ。
まず落ち着け。落ち着くんだ平助。 ……誰にも見られてないだろうな!? またことを起こしたら停学にでもなってしまうぞ。
幸い廊下と両隣のクラスをみる分には誰もいなかった。
俺らのクラスは二階にある。今度は蒼汰が向かった体育をしているであろうグラウンドを見降ろす。どうやらトロトロしている間に授業は始まってしまっていたようだ。
「――っくっそ」
額から冷たい汗が一滴伝った。やばい事態だ。
その体育の輪から明らかな距離を取り、体育座りで日陰に座っていた少女がいた。体操着を着ていたので、体育の授業を受ける生徒のひとりだろう。なんらかの理由で今回は見学でもしているのだと思われる。
その少女がまっすぐこっちを見ていたのだ。距離にして百メートルほどであろうか。ゴミ箱がひしゃげる音でも聞いて勘付かれたのかもしれない。いや、でもこの距離だぞ? あり得るのか?
少女は一切目を逸らさず、ずっと俺を直視し続けている。
「見られたか? ……ん?」
一瞬焦ったが、気になることがあった。
「アレってもしかして。ははははは。おーおーおーそうきたか!」
だが、ばれてやばいという思いに勝る、もうひとつの感情が湧いて出た。
さっさと変形したゴミ箱を隣のクラスの物と取り換えるという簡素な偽装工作を済ますと、真っ直ぐにグラウンドに向かった。
俺には、どうしても確かめなければいけないことがあった。
「俺の顔分るよな?」
さっきこっちをずっと見ていた女の子に対してあいさつもなしに質問した。
少女は一切驚いた顔は見せずにまだあの瞳で俺を直視している。
「……たぶん」
ぼそっと生気のない声で返答する少女。
「同じ歳だったんだな? 敬語使って損したわ。ってか、あんたなに者だよ?」
その顔に見覚えがあった。今一番会いたかった人物。
あの時、あの部室で倒れていた少女。Lib#4とかいう世界で一緒に行動を共にした少女。
その子だった。
「わしは空野とのこ。文芸部の部長をやっている。お前も入るか文芸部?」
自己紹介がてらさらっと勧誘してくるとか、この掴めない感じ。間違いないと思われた。
「誰が入るか! ふざけてんのか?」
おふざけに付き合ってる暇はない。このでかい校舎でこいつと出会えたのは奇跡に近い。このチャンスを逃す訳にはいかない。
「ひとつ聞く。あれは――」
「――夢ではない。紛れもなくお前の身に起きたこと。お前はLib♯4の世界に舞い降りた」
俺の言葉を遮って答えをずばり言い放ってみせた。その顔は冗談や嘘を言っているようには見えない。
「嘘だよな? だってあの部室行ったってあのドアはどこにも繋がっていなかったぞ」
「わしがいないとLibには行けない」
「……冗談だろ?」
「冗談じゃない」
本当ににわかには信じられなかった。疑惑が確定に。さあ本当に面倒くさいことに巻き込まれたぞ。そして何でか分からないがワクワクもしている。いや、それは違う。それは違うぞ。なんだか自分でもよく分らない心境になっている。
「意味分かんねえ。全然意味分かんねえ。あれは? あれはなんなんだよ!?」
「だからLib#4と言っている」
「じゃなくて、なんであんなのが存在すんだよ? あり得ねえだろ? 何で俺があんな世界にワープすんだよ!?」
「は!? 知るわけないだろ?」
ここはLib♯4の世界の説明が、こいつの口から語られる流れだったが。 ……知らないらしい。
「知らねえ訳ねえだろ!? あんたの文化祭の出し物かなんかなんだろ?」
「んな訳あるか!」
「俺の肩があの日から明らかにおかしい! そのせいで俺は散々な目にあった。そして今でも俺の肩は異常だ。あきらかに人間のものじゃねえことになってる。こんなんでもあんたは知らないとでも言うのかよ!?」
俺は相当必死の形相だったと思う。空野に詰め寄る。
「そういえば学園新聞の一面に出てたな。野球部監督愛車爆破事件とか。やり過ぎじゃね?」
「うるせええええ」
「……まあ、それがお前のスキルなんだろ?」
「は? スキル?」
「キャラデザしたんだからスキル付くのは当たり前だろ? これ常識よ、じょうーしき!」
ご飯を食べたらお腹がいっぱいになる。一に一を足したら二になる。お気に入りのアニメが最終回になったら喪失感に苛まれて死にたくなる。
空野はさもそれが当たり前の事象であり、それを知らない俺の方がどうかしてるとでもいうかのような『常識感』を出してきた。
「ふざけんな。早く俺を元に戻してくれ。早く普通になって、普通の生活を送んなきゃいけねえんだよ!」
俺にとって死活問題である。この問題はへらへらと流していいような簡単なことじゃあない。あれは夢じゃなかった。俺はまだ異常だ。ことの発端はあの世界だと分かった。(空野の話を信じる分にはだが)
そう整理できた時。なんとしても野球部に戻りたいと思った。
理由はただひとつ。俺のバックホームを褒めてくれた人がいる。その人と繋がっているのはただひとつ野球のような気がしたから。
だから、もう一回野球部に戻って、もう一回凄いバックホームをして、カッコいいところを見せたい。あんな殺人レーザービームではなく人間の常識範囲内の。
俺にとってアピールできるのは野球しかない。肩さえ治ったらあのクソ監督に土下座だってして戻りたいって言う。もう一度ちゃんと野球がしたいと言う。
「いやわしには無理だろ? 神でもあるまいし。お前あほだろ?」
「はー!?」
と、ここで。
「こらぁだしゃーー!! なにサボってナンパしとんじゃおまえはーー」
なんだか懐かしい怒号が俺の耳を急襲した。
体育教師は野球部監督である鬼畜だ。俺は強制的に連行された。