第十二話:母校
既に西方諸国はこの手の中。
だが、東方から襲来する異民族が不気味だ。
寄生糸の浸透は思うように捗っていない。こちらの贈呈用ワインを飲む習慣がなく、また、苛烈な情報統制で怪しきは罰するという方針から、敵の輪郭が伝わってこない。不利ではないが、戦前の準備を十分に行えていない感じがする。良くないな。
自身の力の不足を感じていた俺は、勤勉にも自己向上のためにとある建物を訪れていた。
「魔法学校……久しぶりだなあ。大学部の敷地は初めてだ」
卒業してからしばらく経つ。つい懐かしさでつぶやきが漏れた。
ここは俺の出身の魔法学校。
他国にも魔法学校は存在するが、このジルラインの学校規模は世界でも最大級だ。才能が認められれば三歳の頃から入学、飛び級、研究者として生涯在学することも許される。一方、かなりの実力主義のため、俺のような凡才では二十歳になる前の教育課程がせいぜいだった。
だからこの、天才秀才たちが集まる大学部の敷地は初めて。慣れない景色を、予めある程度放っておいた糸の情報を頼りに進む。
そしてたどり着いたのは、最も権威がある研究室の扉。
「さて、あいつは居るかな……」
こんこんこん
と扉を叩くと、
「開いているよ」
と返事があった。
聞き覚えのある声。当たりだ。獲物はこの先に居るらしい。
扉を開けた先には一人の少女が居た。
マルベリー・ウィスダム。
日陰の黒松幹のように深い茶色の長髪は、ゆるく丸みを帯びて肩に掛かる。タレ目がちだが鋭くこちらを観察する目元は、彼女の人類史上最高と言われる知性の片鱗を覗かせる。俺が学生の頃身につけていたものとは気品が違う、わずかに紺色がかった魔法使いのローブの背丈は、彼女の思考の頭脳のスペースを合わせても百四十センチ未満。
本人曰く、身長は発展途上。学生の頃見かけたのからまっっったく伸びていない。
「や、やあ、ウィスダム。久しぶり」
「……? 誰だったかな?」
何でも知っていそうな灰色の瞳が、「こいつは知らん」と言わんばかりにきょとんとした様子でこちらを見る。
マルベリーは俺のことを一切覚えていなかった。
それも当然か。この大学部でも最高に権威と権力がある、全ての研究の基礎となる学問、『根本魔術』。
万物万象の成り立ちを究明する至高の魔法体系の研究室、その頂点であるマルベリー・ウィスダム教授。彼女がたった一年しかクラスが一緒じゃなかった俺のことを、覚えているわけがない。
マルベリーは心底不思議そうに、そしてやや煩わしそうに俺の方へと向き直った。
「……? 学生か? 悪いが今忙しい。レポートの提出ならカロン准教授の方に出しておいてくれたまえ」
「いや、学生ではないよ」
「ん、ああ、備品の業者か。魔法使いの風貌だから勘違いしたよ。それも准教授に任せているから――」
「やっぱり忘れているよな……これを見たら思い出すか?」
「?」
かつての級友は研究者としてだけではなく、魔法使いとしても一流だ。
『盾の乙女』アイリスほどの堅牢な防御力を持っているとは考えにくいが……。寄生呪文の要はその秘匿性にある。ばれないように極力気をそらす必要がある。既に彼女の紺のローブの肩には糸が取り付きつつある。あと少し、慎重にことを進めよう。
「何だこれは。……? 爬虫類の干物? 何の呪物か」
「その湧き出る知恵は凡才のことなど気にしないってか。よく見ろ。見覚えがあるはずだ」
「確かに。私の術式によく似ている痕がある。だが随分と雑だな。これではまるで高等部のときの……ん? お、お前――」
「ようやく思い出したか。そう、お前が呪いをかけて干物に変えてしまった、俺の母の形見だ。マルベリー・ウィスダム」
俺がまだこの学校に通っていた頃、母が亡くなった。
大して世話になった覚えもなく、他の家のような若くて優しい母親の方が良かった。
という墓まで持っていくつもりの恥ずべき思い違いは、正す暇を与えられず、泣きじゃくる俺の手元には母がいつも付けていたネックレスだけが残った。祖母から貰った品らしく、身の丈に合わない美しい細工。今思い返すと母によく似合っていた。
そんなネックレスを干物に変えられた理由は、よく覚えていない。何か衝突があったのか、それともマルベリーが俺のことを気に入らなかったのか。下に見ていたのか。そうすれば気分が良かったのか。
「お前、ククルト・パラシーノ……か」
「ああ。久しぶりだな」
「ぷっ、はははっはっ、何だ何だ。どうした今更」
「……」
「懐かしいな、ええ? まさかその程度の低級な呪術すら解けずに、頭を下げて直してもらいに来たってわけか! 相変わらずだなマザコンのパラシ――んぎひっいい! お”! お”っ?!」
寄生糸がマルベリーの至高の頭脳を貫いた。笑い転げる彼女には、魔術防壁を張る兆しすらなかった。
もしこの瞬間、マルベリーが自分の昔の行いを恥じ、誠意を持って謝罪していたら未来は違ったかもしれない。だがそうはならなかった。
マルベリーの至高の脳みそが、なすすべなく俺の支配下に置かれていく。
「あひっ! や、やめろ、何だこれ知らなひ!」
「流石の天才サマもこの秘術は知らなかったか。さてと、早速読み取らせてもらって……へぇ、お前やっぱり凄いな」
彼女の頭脳は、やはり天才的だった。
少し読むだけでありとあらゆる魔術の根本原理が理解できる。魔法ってこんなに簡単だったのか。既に俺の手元の干物は、敬愛する母上の形見へと元通り。これで堂々と墓参りが出来る。
他にも、今まで理解が困難だった初級魔法やその上の中・上級魔法もあっという間に理解できた。これが天才大魔法使いマルベリーが見ている景色か。これだけ視点が高ければ、それはもう他人を見下すことも仕方ないだろう。
「ゆ、許してくれ! うら、やましかったんだ! 私も、はは、おやが、それに私は形見スラ、すら、スラ、すら、あ”あ”っあ”っ! あ”っ! あ”っ!」
「いいこと思い付いた。君の頭脳を永遠に俺の物にすればいいのか」
「!? へ?! 変なことしないで?!」
彼女の頭脳にアクセスするだけでこんなに頭脳明晰になる。
これならば、俺の寄生呪文もあっという間に大発展を遂げることができる。今までは一々地面を這わせて寄生していたが、それをもっと効率的にしたり、他の側面で使ってみたり。そうだ、まずは以前アイデアだけあった透明化寄生糸も取り組んでみるか。この頭脳なら簡単に開発できそうだ。
「では、脳みそ支配権をこちらに移して、っと」
「ひゃ! な、なにこれ、なにも考えられない! ば、ばかになる! ただのばかな女になっちゃう!」
「ふむ、やはり支配権をこちらに移すとそっちは処理能力が落ちるか。つまり、今から君は俺の頭脳を加速させる外付け処理装置になるってわけだな、マルベリー」
「ひ、きひひひひひっ! ひっ! 許して、許して……」
例えば難しい計算をマルベリーの脳みそに委託する。
そうすれば勝手に計算結果を優秀な脳みそ様は吐き出してくれる。ただの計算処理装置として扱っているので、こちらの脳が上位。彼女の思想が俺を汚染することは無い。本当に便利な女だ。
欠点を強いて言えば、マルベリー自慢の大学入学用の知能指数、いわゆるIQ三百八十点(平均百)がこの状態だと精々三十点くらいに目減りしてしまうことだ。だがそれもいいだろう。その間は俺がしっかりと賢くなれるし、それに――
「バカに成り下がっても、身体の方は使えるしな。なぁ元天才様」
「あ”……あ”~~……ひ、ひぃ……お”!」
その後マルベリー教授の姿を見た者はいない。
――
ククルト・パラシーノ(魔法使い)レベル6310
・所有スキル
寄生魔法:100 初等魔法:100 経済:100 交渉(商取引):100 交易:100 騎馬術:100 槍術:100 剣術:100 帝王学:100 戦略:100 戦場指揮:100 甲冑組手:80 弓術:80 内政:100 採掘:100 鋳造:100 オーガ語:100 採掘(ドワーフ流):100 鋳造(ドワーフ流):100 交易(船):100 信仰魔法:100 高等魔法:100 魔術研究:100
・特技
重装騎馬槍突撃(前提:騎馬術、槍術)
オーガ指揮(前提:戦場指揮、オーガ語)
最先端冶金術(前提:鋳造、鋳造(ドワーフ流))
陸海交易最適化(前提:交易、交易(船))
寄生魔法発展(前提:寄生魔法、初頭魔法、高等魔法、魔術研究)
・主な寄生先
ガーベラ・クーランジュ(商人)
アイリス・ジルライン(第二王女)
ワルキューレ三千人(重装騎兵)
マリー・ジルライン(第一王女)
ラケナリア・ジルライン(王妃)
ベロニカ・フィンルド(辺境伯)
アネモネ・イーミール(ドワーフ令嬢)
リリィ・プジョン(プジョン公爵)
サルヴィア・グレンヴィル(新月教大教皇)
マルベリー・ウィスダム(魔法学校教授)
・獲得ユニット
アルベルト・カウフマン(魔法剣士)
オーガ五万頭(重鎧兵)
新月教殉教兵三万人(僧兵)
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