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 流木のようにこの町に辿り着いて三ヶ月が経った。

 俺は小さな町工場で働き、牧子は近くのスーパーで働いている。

 「身重なのに働くなよ」って言っても笑って無視される。

 なんか一緒に暮らすようになって結構図太くなってきやがったな。結婚詐欺だ。


 一緒に暮らすようになってもう一つ分かったのは、牧子は意外と物忘れが激しいということだ。自分で片付けたものの場所もたまに忘れるし、出掛ける約束とかも忘れてやがる。

 勉強のし過ぎで容量がパンパンなんだろう。勉強してないからメモリーに空きが山ほどある俺は勝ち組。


 この町に来て最初にしたのは婚姻届を提出することだった。

 生まれた町を出る日に書いたものを提出するだけだったがやけに緊張した。でも受理は呆気なくて、こんなものなのかと驚いたけど。


 その瞬間から、俺と牧子は家族になったんだと実感した。何かこう、一番強い繋がりが出来たような、そんな気分だった。



「結婚式はどうする?」

「えー? 私はいいよ、そういうの」


 役所の帰り道、川原の土手を歩きながら訊くと、牧子は笑いながら手を振り『ないない』という顔をした。

 首からは俺が昔買ってやったガラス玉のついた安物のネックレスをぶら下げている。


「でもウエディングドレスとか、着たいだろ?」

「そんなの着たいわけないし!」

「嘘つけ。女はみんな着たがるもんだろ?」

「そんなわけないでしょ。あ、でもそれならっ!」


 牧子は相変わらず鳴らない指を鳴らそうと弾いて、満面の笑みを浮かべた。


「ここ!」


 牧子に連れられてやって来たのは小さな商店街にある昔ながらの写真屋さんだった。ウインドウにはこの写真館で撮影したであろう写真が飾られている。


「ここで記念に写真を撮ろう! 結婚の記念にっ!」

「え? そんなんでいいのかよ?」

「うんっ!」


 写真館の主は人の良さそうな初老のおじさんだった。


「結婚を記念して写真を撮りたいんですけど」

「それはそれは。おめでとうございます」


 店主は朗らかに笑う。古いけど趣のある、店そのものがアンティークのような写真館に、そのおじさんもぴったりと嵌まっていた。


「衣装はどれにしますか?」

「え、そんなのもあるんですか?」

「まあ古い店だからそんなに今風なお洒落なものはないですけど」

 確かにそこには昭和臭漂うような、無駄に豪奢なものが多かった。でももちろん牧子にはそれがよく似合う。なにせ『昭和から来た女』だからな。


 俺はその中でもやや控え目な焦げ茶色のスーツを着て、牧子は少し華やかな水色のドレスを選んだ。


「へぇ、似合うじゃん、牧子」

「ありがと。透馬もすごくかっこいいよ」

「んなこと知ってるし」

「なにその返し? なんか言って損した感じがする」


 ぷくっと頬を膨らまして笑う顔が可愛い。店主のおじさんも目を細めて頬笑んだ。

 衣装のゴージャスさに引けを取らない仰々しい椅子に、俺が腰掛け脚を組む。

 牧子は椅子の隣に少し斜めに構えて立った。


「ご主人はもう少し首をこう、そうそう。奥さんは肩をもう少しこうして、そうです。はい、撮りますよ。笑って!」



 そうして撮った一枚の写真が玄関に飾られている。

 俺のイケメンさと牧子の人の良さが功を奏したのか、写真屋さんは俺たちのその写真を拡大してウインドウに飾ってくれた。

 ま、ほぼ俺のイケメンが理由だろうが。


 出勤前の慌ただしい時間もその写真を見ると、一日頑張ろうと力が湧いてくる。


「また来年も撮ろうな。毎年、一枚づつ写真を増やしていこう」


 玄関先で弁当を受け取りながら牧子に提案した。俺にしてはなかなか気の利いたセリフだと自画自賛。


「う…………うん」

「なにそのほぼ否定の『うん』は?」


 牧子には『駄目』とか『いや』の他に『う…………うん』という否定の言葉がある。はっきりと否定しないその言い方が俺は好きではない。

 言いたいことはもっとはっきり言えよな。夫婦なんだし。


「なに? 嫌なわけ?」

「そうじゃないけど……無理しなくても、いいよ?」

「写真撮るのくらい無理なわけねーし!」

「……うん。ありがとう」


 牧子のくせに俺の給料とか心配するとは生意気だ。もっと働いて稼いでやるから安心しろ。


 町工場は衛藤さんところよりは大きいものの、それほど大した規模でもない。高校中退してから働いてきた俺は、多少仕事内容の違いはあるにせよ、即戦力として活躍していた。

 牧子をビビらせるくらい稼いでやるからな。


 牧子の腹はどんどん大きくなっていった。

 仕事は忙しいし、牧子は来なくていいと言うから産婦人科には行ってないが、お腹の子は健康に成長しているらしい。

 産まれた時の愉しみにしているから性別は聞いていなかった。


 俺は女がいいと言ったが、牧子は男がいいと言う。

 ふざけんな。娘とデートするのが俺の夢だからな。そこは譲れない。


「てか、もういい加減パート辞めろよな?」 


 食後、俺は牧子に釘を刺す。


「なんで? まだまだ動けるよ?」

「動けるよ、じゃねーし。危ねーだろ?」

「働けるときは働きたいのっ」


 最近はなかなか強情になってきた。母親になるから強くなってきたのか?

 結婚前のしおらしくて可愛い牧子を返してくれっ!


 そんなに仕事たいなら奪ってやるまでだ。

 俺は食器を片付け、洗い物を始める。


「あ、いいよ、透馬っ」

「いいから座っとけ。俺がするから。牧子だけの身体じゃねーんだぞ?」


 仕事がしたいのに仕事を奪う俺の鬼畜の所行に、牧子は「ありがとう」と呟いて瞳を潤ませていた。

 よし、明日の朝は牧子より早起きをして洗濯をしてやろう。ざまあ。


 しかし妊婦というのは適度な運動をしなくてはならないらしい。牧子が妊娠するまでそんなこと知らなかった。てっきり絶対安静であまり動かない方がいいのだとばかり思っていたから驚きだ。

 牧子はたいてい俺が仕事から帰ってくる前に一人で歩いている。

 一緒に歩いてやると言ってるのに仕事で疲れた俺に無理はさせたくないらしい。


「明日は休みだし一緒に歩くか?」

「うんっ。ありがとう」


 ちょっとした俺の提案に嬉しそうに笑うところは昔も今も変わらないな。

 ウォーキングと言ってももちろん山登り的なことなど出来るはずもない。

 俺と牧子はジャージに着替え、午前中の川原を歩いた。晩秋の風は少し冷気を増してきているから、牧子にはウインドブレーカーを着せている。


 この町に来て半年。色々と馴染みも増えてきた。

 畑で何かを燃やす煙たい香り、夕方六時に鳴る子供たちに帰宅を促す放送、川原から見るの景色、美味しい定食屋、小学校から聞こえてくる賑やかな声、夕焼けの赤、古びた写真屋。

 それら一つひとつがとても愛おしく思えた。


「なあ、牧子……」


 ゆっくりと歩く牧子の手を握り、高い秋の空を見上げる。


「なぁに?」


 お前と出逢えてよかった。

 牧子が好きだ。

 これからもずっとこうして一緒に歩いて行こうな。


 そんな言葉が言いたかったけど、喉が擽ったくて口に出せない。


「この町に来て、よかったな……」

「そうだね……」


 牧子は俺の手を握り返してくれる。柔らかくて、細いけど、強い意志を持った、優しい指だ。


 世間知らずのお嬢様で幼い顔立ちだった牧子も、今はいっぱしに母親の顔になってきている。

 俺も段々、父親の顔になれてきてるのかな?

 あんまり自信はなかった。


 牧子のお父さんがここを突き止め、娘を奪い返しにやってこないか?

 お互い口には出さないが、それをいつも不安に感じていた。


 もし見付かったとしても、もうお腹の子は産むしかない段階まで来ている。しかし仲を引き裂かれる可能性は充分にあるだろう。

 そんな不安に駆られると、牧子の手を握る力も強くなってしまう。


 ────

 ──


「大丈夫か、牧子っ!」

「そんなに慌てなくても大丈夫だから……」


 笑って俺を落ち着かせようとしているが、陣痛に襲われてる牧子の表情はかなり切羽詰まって見える。

 予定日より早く、牧子は産気づいた。

 俺は慌てて牧子を連れて病院へと向かっていた。

 予定日は母ちゃんに報せていたが、早まってしまったのでまだ来ていない。こればっかりは子供の都合だから仕方ないな。


 今の時刻は夜の十時を少し回ったところ。取り敢えず母ちゃんには連絡をしたが、すぐに来たとしても電車では今晩中には間に合わない。


「頑張れよ。もうすぐ病院だからな」

「あっ……」


 突如牧子は唖然とした顔になり、立ち止まった。


「破水、しちゃった……」

「は、破水っ!?」


 それがどういうものなのか、俺には分からない。とにかく大変なことになったんだろう。

 とにかくおろおろしながら病院に行き、すぐに病室に通された。


「大丈夫かよ……」

「う、うぅん……」


 いつもは何があっても大丈夫だよと笑って返す牧子なのに、ろくに返事もせずに唸っていた。


「破水ってしたらすぐに産まれるんじゃねえの? こんなとこにいていいのかよ? 分娩室とか行くんじゃねーの、普通?」


 何が何だか分からなくて問い掛けるが、牧子は答える余力もないみたいだ。

 これはよっぽどのことなんだろう。


 俺は牧子と行ったプレパパママ教室を思い出した。陣痛の時は背中を擦ってやるんだったっけな。


「ほら、頑張れよ、もうすぐだぞ」

「ありがとう……透馬……」

「大丈夫大丈夫っ! 牧子なら大丈夫だからな!」


 陣痛というのは何分か痛くなり、しばらくすると痛みは引くらしく、穏やかなときもある。

 そんな時はすかさず何かを飲ませてやった。

 痛がり出す頻度が多くなり、痛みも激しいのか、唸り声も大きくなっていった。


「看護師さん呼ぼうか?」

「大丈夫……」


 時刻は午前一時を回った。ベッドはもちろん牧子の分しかないから俺は床に寝る。牧子は寝たと思ったら痛みで起き、俺はその都度背中やら腰を擦ってやる。


「ごめんね。ありがとう、透馬」

「こんな時まで俺に気なんか遣わなくていいから」


 時おり看護師さんが来ては子宮口の開きとやらを見て帰って行く。


 よく分からないが、とにかくまだ分娩室に行くほどではないらしい。

 牧子も俺もほとんど眠れないまま、カーテンの向こうの窓の外が白んできた。


「牧子、朝だ」

「うんっ」

「いい天気みたいだ。よかったな」

「ほんとだ……」


 初産は特に大変だからかなり長くなる人もいるらしい。牧子の辛そうな声はどんどん大きくなっていく。

 本当にこんなことを十時間以上も堪えられるもんなのか?

 俺は不安になっていく。


 そこへ看護師がやって来てまた子宮口とやらを調べる。


「もうだいぶ開きましたね。分娩室に移動します」


 いよいよなのかと思うとまた俺はそわそわしはじめてしまう。


 いよいよ痛みはピークらしく、牧子は痛みのあまりに低い声で唸り、ベッドの手摺りらへんをどんどんと叩いていた。プレパパママスクールでも教わらなかった展開だ。


「大丈夫か!? 先生もう来るからな!!」


 もはや俺の声も聞こえていないのか、牧子は反応もせず呻いていた。


 そんな格闘が続き、ようやく分娩室に赤ん坊の泣き声が響いた。

 その泣き声は俺が想像していたよりもはるかに弱々しく、愛らしい声だった。


「佐々木さん、よく頑張りましたね! 元気な女の子ですよ!」


 タオルケットに包まれた赤ん坊は顔と手だけを出し、ぶるぶる震えていた。

 この世の中でこんなに儚い生きものがいるのかと思うほど、弱々しかった。


「お疲れ様、牧子」


 握り合っていた手は汗でぐっしょり濡れている。


「はじめまして……透子……」

「透子もお疲れ様……よく産まれてきてくれたなぁ」


 俺たちは赤ん坊に労いと感謝の言葉を伝えた。

 女の子なら『透子』という名前に決めていた。


 小さな小さな命を抱きながら、牧子は涙で濡れた目を細めて笑った。


「俺も遂に父親かぁ」

「えー? 何言ってるの? この子がお腹の中で命を宿した瞬間から、透馬はもう『父親』だったんだよ。お腹の中にいたときから、透馬は透子を守ってあげていたでしょ?」

「あ、そっか……そうだよな……」


 牧子のくせにいいこと言うな。

 これから始まる三人での暮らしに思いを馳せながら、俺も恐る恐る透子を抱いた。

 壊れてしまいそうな小さな身体をガチガチに緊張しながら抱えると、羽毛のように軽くて驚いた。


 俺は一生、この子の味方だ。何があっても俺が守ってやる。

 可愛いその顔を見詰めながら、心に誓った。


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