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 鍵を渡して勝手に来ればいいとは言ったが、毎日来てもいいとは言ってない。まあ、毎日は来るなと言わなかったのは俺のミスだが、普通そんなこと言わなくても分かるだろう?


 しかも勝手に飯まで作り始める始末。悔しいことにそれが結構美味いからタチが悪い。牧子は飯炊き奴隷決定だ。


 とはいえ──


「毎日俺んちに来て……その、大丈夫なのかよ?」

「もちろん。私が来たくてきてるんだから」

「あ、いや……俺が訊きたいのはそういうことじゃなくて」


 俺が言いたいのはそういう付き合い始めのカップルのじゃれ合いみたいなもんじゃない。こいつの家は資産家で、その一人娘が毎日帰りが遅くて問題ないのかということだ。


「ほら、家族とか……怒られねーの?」

「うん。ちゃんと言ってあるし」

「ええっ!? 男の家に行って飯作ってるとか、そんなこと言って大丈夫なのかよ!?」

「お母さんにだけ、ね。お母さんがお父さんには上手いこと言ってくれてるみたいだし。どうせお父さんは忙しいから家に帰ってくるの遅いし、いないことも多いから」


 意外と肝が据わっているのか、もしくは馬鹿なのか、牧子は平然とそう言ってのける。


「そんな簡単なものなのかよ? ……まあ、問題ないなら、いいけど」


 臆病な俺はそれ以上深く詮索するのはやめた。あまりツッコんで話しても、どのみち俺にはいいことがない気がしたからだ。

 このままうやむやに、ずっとなだらかに幸せが続いてくれたらいい。なんの策もなくそう願っていた。


「大学の方は、順調か?」

「うん。私はね、国際コミュニケーションセンターってところで留学生と色々交流してるの」

「へぇ……留学生ねぇ……どんな国から来てるの?」


 訊いたところでその国がどこにあるのかも分からないけど、一応そう返した。まあ、社交辞令ってやつだ。


「インドネシアとか、中国とか、ベトナムとか、色々だよ」

「やっぱ英語で会話するわけ?」

「英語も使うけど日本語が多いかな」

「そうなんだ? すげぇな、留学生」


 日本に来て勉強するためには日本語が分からなければ話にならない。当たり前なんだろうけどすごいことだ。言うなれば俺が英語で化学とかの授業をするようなもんだ。そんなの絶対、俺には不可能だろう。


「うん。すごいよー、みんな。私なんて駄目駄目だなぁって思うもん」

「いや、牧子だってすごいよ。俺に言わせれば」

「そんなことないよ。私からしたら透馬君の方がずっとすごいもん。難しい機械使って仕事して、お金も稼いじゃうし!」


 嫌味なんてなく、本気で感心したように言ってくれる。牧子のそういうところが、本当に好きだ。


「あんなもん……慣れたら別に誰だって出来るし……」

「慣れられるまでやる根気と、それを続けていられるところが凄いんだよ!」


 褒めて伸ばすタイプだな、牧子は。でも褒められ慣れてない俺は擽ったくて話題を変えてしまう。


「そんなことより、牧子。その留学生ってのは……男もいるのかよ?」

「え? そりゃいるけど……あ、もしかしてやきもち?」

「馬鹿。んなことするかよ! 別に興味ねーからどうでもいいし!」


 ニマニマした目で見るな!


「いるよ、男の人も。でも全然興味ないし。私の彼氏、超かっこいいから!」

「なんだよ、それ?」


 柄にもなくからかうな。てか俺を照れさせるつもりだったんだろうけど、牧子の方が顔が真っ赤だ。恥ずかしいこと言って確実に自爆やがる。


「牧子ってそんなに馬鹿っぽかったっけ?」


 ほっぺたにキスをしてやると満足そうに笑った。 



────

──


 牧子の料理は美味いんだけど、やけにヘルシーでデトックスでボタニカルなものが多い。簡単に言うと「肉食わせろ、こら! こっちは肉体労働者だ」っていうことだ。


 だから買い出しはなるべく俺の監視の下で行うことにした。勝手にこいつの金で食材費払われるのも癪だしな。


 買い物に付き合っていくうちに「お、今日は玉ねぎが安いな」とか「ここのスーパーは豚肉が安いな」とか、そんなことまで分かるようになってしまう始末。こういうのを『所帯じみる』と言うのだろうか? 

 だとすると悪い言葉でもない気がした。


 試食コーナーがあると食べに行ってしまうのは俺の悲しい性だ。

 今日の試食はハーブ入りウインナーだ。ホットプレートの上で三分割されたウインナーがジジジッと音を立てていた。脂の焼ける香ばしさの中に爽やかな香りが漂い、食欲をそそる。


「おひとついかがですか?」


 人の良さそうなおばさんが爪楊枝に刺したそれを勧めてくる。


「うわっ!? 美味いっ!」


 でもこういうのって試食の時は驚くほど美味く感じるのに、買って帰るといまいちなときが多い。もしかするとこのごく普通な感じのおばさんは凄腕の調理人なのかもしれないな。


「奥さんもいかがですか?」


 そういって試食コーナーのおばちゃんは牧子にも勧めてくる。『奥さん』って……


「えっ……あ、はいっ!!」


 こんな中卒丸出しの底辺労働者の嫁と勘違いされてやがんの。

 本当は高学歴でいいとこのご令嬢なのにな。ざまあみろ。

 せいぜい羞恥と屈辱で顔を赤らめておけ。


「美味いか、『奥さん』?」

「うんっ! すごく美味しい!」

「ご夫婦で買い物なんていいですねー。優しいご主人で羨ましいわぁ」

「だって、『ご主人』!」

「うるせーよ」


 俺たちのやり取りを見てふふふと微笑む試食のおばさん。


「とってもお似合いのお二人ですね」

「そんな……買います! ウインナー下さい!」


 牧子はこんなうだつの上がらなさそうな男の嫁呼ばわりされた復讐のつもりか、おばさんからハーブ入りウインナーを三袋も購入した。そんなに買って賞味期限大丈夫かよ。


 その日の夕食にさっそくハーブ入りウインナーは登場した。意外なことに、それは家で食べても結構美味かった。

 

 こんなおままごとみたいな生活がいつまで続けられるのか分からない。中卒の町工場の作業員と資産家の令嬢の恋なんて、バレてしまったら引き裂かれるものと相場は決まっている。

 世間から見たら赦されざる恋だ。

 でもこれだけは言える。俺は誰かに赦されたくて牧子を愛しているわけじゃない。

 



 牧子は次第に俺の家に泊まる日が増えてきた。帰りが遅いくらいなら何とかなるだろうけど、泊まりとなれば話も違ってくる。さすがに俺も不安になってきたが、一緒にいる時間が増える喜びが勝ってしまい、そのままずるずると流されてしまっていた。


 パジャマに着替えた牧子は布団の中で本を読んでいた。なにが面白いのか知らないが、こいつはよく本を読んでいる。

 俺が布団を捲り隣に潜り込むと本を閉じて頬笑む。


「じゃあ寝るぞ」

「待って」


 電気を消そうとすると、牧子は突然話し掛けてきた。


「ねぇ、覚えてる?」

「なにが?」

「初めて私と透馬君が出会ったときのこと」

「初めて出逢ったとき? 俺が副委員長やらされた時のことか? 覚えてるに決まってるだろ。あの時はこのチビ眼鏡最悪って心の底から恨んだからな」


 今に思えばあれが全てのはじまりだったな。あの時俺が居眠りをしてなければ副委員長なんてせず、牧子とも何ごともなくすれ違っていたかもしれない


「……あーあ、やっぱ覚えてないかぁ」

「え? 二年生になる前に会ったことあったっけ?」

「あるよ、もうっ!」


 一丁前に拗ねてくる。牧子が拗ねるなんていうのは珍しいことだ。俺のどんな鬼畜な所行にでも笑って赦すのが牧子のスキルだと思い込んでいた。


「一年生の秋頃、私がガラの悪い人たちに絡まれていたら通りかかった透馬君が助けてくれたんだよ」


 俺は記憶になかったが「あーお前はあの時助けた美少女か!」とふざけてみたら白い目で睨まれた。

 あまり冗談を言う気分ではなかったんだね、ごめん。

 でも確かに二年になって牧子を見たとき、『どこかで見たことある』と感じたのを思い出す。あの時はよくある顔だと思い、特に気にもしなかったけど。


「あーあ。言うんじゃなかった! やっぱり私だけの思い出にしておけばよかったなぁ」

「拗ねるなよ! 牧子だってしょっちゅう俺との思いで忘れてるだろ!」

「それは些細なことでしょ。私のは一番大切な想い出なんだから!」


 いつもは怒ってもすぐに機嫌を直してくれるのに、今日はそう簡単には赦してくれないようだ。


「怒るなよ、牧子」

「嫌。触らないで。あーあ、あの時の透馬君は格好良かったなぁ」

「それ、俺なんスよ。ふひひ」

「キモい。あの日の透馬君はそんなんじゃないんだから!」

「キモいって……」


 牧子の口からそんな言葉が出ること自体ショックだった。


「そんなのっ……これからもっといっぱいいい想い出作っていけばいいだろ!」

「何、『俺いいこと言った』顔してるの?」


 あくまで牧子は冷たかった。


「ごめんな、牧子」


 キスをするとようやく少しだけ笑ってくれる。


「で、眼鏡チビって思ってたんだ?」

「もう赦してくれよ。今日の牧子はやけに攻撃的だな」

「怒ってるんだからね、私」


 怒ってると聞かされ、思い起こされるのは俺が退学処分になったあの日の教頭に詰め寄る牧子の姿だった。

 思わずゾッと身の毛がよだつ。


「なんか……大丈夫なのかな、私たち……」


 寂しげにボソッと呟く。やはり牧子は色々と不安で、問題を先送りにしながらうやむやに過ごしているのが心配なのかもしれない。

 逃げてるつもりはないと思っていたが、牧子が不安に感じるということは、やはり俺は逃げていたんだ。


「俺さ、牧子のお母さんだけでも挨拶したいって思ってるんだけど」

「えっ!?」

「こうやって牧子が泊まりに来てくれるのは凄く嬉しいんだけど……お母さんも心配してるんじゃない? だからせめて一応挨拶だけでもしておきたいなって……」

「透馬君っ……!」


 牧子は急に歓喜の声を上げて俺に抱き付いてくる。怒ってたんじゃねーのかよ。チョロい奴。

 ところで牧子のお母さんってどんな人なんだろう?

 きっと牧子みたいに物静かで、だけど芯が強くて優しい。そんな人なんだろうな。



 ────

 ──


 衛藤さんの言うことはいつだって正しい。

 本当に必要あるのかって不思議に思いながらも買っておいたスーツが役に立つが来るんだから。やっぱり、衛藤さんは正しい。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」


 牧子はお気楽に笑うが、こっちはそれどころじゃなかった。

 ただでさえ牧子のお母さんと会うのに緊張してるのに、こんな一流ホテルの最上階のイタリアンレストランに連れて来られたんだから緊張するなという方が難しい。


 なんかせっかく着てきたスーツも安物すぎて恥ずかしくなるほどだ。


「透馬君ってスーツもよく似合うよね」


 牧子は俺の襟首をくいくいっと直しながら笑っている。

 まるで俺が緊張するのを愉しんでいるようだ。


「そりゃお前は自分の母親に会うだけだから緊張しねーだろうけど、こっちの身にもなってくれ」

「私は透馬君のお母さんに会うの、全然緊張しないよ?」

「そりゃ、うちの母ちゃんだからだろ! あんな狸の置物みたいなモンに会うのに緊張はしねーだろうけど、牧子のお母さんなんだから相当淑やかで品のいい人なんだろ?」

「そんなわけないでしょ。うちのお母さんなんてそんなかしこまるような人じゃないよ! って狸の置物の件はお母さんに告げ口しちゃおう」


 ああ、勝手にしろ。俺は今それどころじゃない。フロアーを巡回するウエイター達はビシッとしており、常に客の動きを確認しながら微笑みを浮かべている。

 やって来る客もみんな上品で、親に手を引かれている子供ですら俺よりもマナーについて詳しいようにさえ思えてしまう。


「あ、来た」


 牧子が手を振る先には予想通りに気品のある女性の姿があった。想像と違っていたのはその若々しさだ。うちの母ちゃんと歳はそう変わらないと聞いていたが、十歳は若く見えた。


 俺は直立不動で立ち上がり、恭しく頭を下げた。


「さ、佐々々々木透馬ですっ!」

「まあ!」


 お母さんは目を細め、口許を覆いながら品良く笑った。

 レストランの客たちは何ごとかと俺に好奇の眼差しを向けてくる。見せもんじゃねぇぞっ!


 取り敢えず座りもう一度深く頭を下げた。


「やるわねー、牧子! 透馬君ってスゴいイケメンじゃない!」

「ちょっと、お母さんっ」

「へ? いや、そんなっ……」


 イケメンと言われたことはさておき、想像以上に軽い感じのお母さんに衝撃を受けた。


「ま、牧子さんとお付き合いをさせて頂いておりますっ!」

「ええ。いつも牧子から聞いてますよ。素っ気ない振りして優しいとか、適当な振りして一生懸命とか、常に向上心があってかっこいいとか。もういいってくらい惚気てくるんで」

「も、もうっ! お母さんっ」


 牧子は顔を真っ赤にして母親の腕を引っ張る。そんなこと言ってくれてるんだ。なんだか擽ったい。

 意外に若くて予想外に軽い感じのお母さんは、俺に好感を抱いてくれているようだった。


「そのっ……牧子さんを頻繁に連れ出してしまって本当にすいません」


 とにかく言うことだけ言ってしまおうと頭を下げながら伝えると、お母さんは静かに俺の言葉を聞いてくれる。


「ただ、いい加減な気持ちとか、そういうんじゃなくて……真剣にお付き合いさせてもらってますっ」 


 顔を上げてお母さんの顔を見詰めると、静かに頷いてくれた。


「ありがとう。透馬君。牧子を本気で愛してくれて。それが言葉だけじゃないのは、見ていて分かるわ」


 俺の気持ちは伝わっており、お礼まで言われたのだけど、お母さんの言葉はどこか引っ掛かりを覚えた。そのすぐ後に「だけど」と付け加えてきそうな、そんな口振りだった。

 けれどお母さんは何も言わなかった。


 でも言われなくとも、俺だって分かっている。

 牧子と俺では基本的に住む世界が違う。いいとか悪いとかじゃなく、根本的に違いすぎる。

 娘に貧しい暮らしをさせたくないと思うのが親心だ。資産家ならばその想いもひとしおだろう。


 俺は笑顔で「ありがとうございます」と言いながら、両手で膝をギュッと強く握り締めた。安物のスーツが破けてしまうほど、強く、握り締めていた。


 お母さんは悪くない。母親として当然のことを考えているだけだ。むしろこんな俺と会って話を聞いてくれるくらいに優しい人だ。

 すぐに別れろだとかそんなことまでは言わないにしろ、普通の親なら娘の彼氏にそれとなく給料額を聞いてきたり、育ちについて聞いてくるものだろう。

 しかし牧子のお母さんはそんなことを一切訊いてこなかった。それくらい優しい人だ。


 こんな素敵なお母さんに育てられたから、牧子も素晴らしい人になったのだろう。そう思うとお母さんに、そしてまだ会ったことのないお父さんにも感謝せずにはいられなかった。



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