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 うちの学校は春に合唱コンクールがある。高校なのに合唱とか、マジかよって話だ。

 秋にしないのは受験生のことを思ってのことらしく、春にする理由はまだみんな馴染んでいないクラスの団結力を高めるためらしい。


 当然ホームルームではうちのクラスの課題曲を決める議題になっていた。『合唱コンクール課題曲』と書いた黒板の前に立つ安曇は重大な決議を取る議長のような面持ちだが、クラスメイト達は雑談に花を咲かせている。どうみてもなにの歌にしようかと相談している様子はない。

 温度差がありすぎだ。


「それでは課題曲は何がいいか意見をお願いします」


 安曇の問い掛けにさっきまでざわついていた教室内は一瞬静まった。

 俺は渋々教室の前に立っているが、安曇の横なんかには並ばずドア付近で壁により掛かっていた。


 誰一人として合唱コンクールなんてやりたがっていない。

 それなのに教員はクラスの団結を上げるものだと信じて疑っていないようだ。


 静けさもほんのひとときで、次第にぽつぽつと降り出した雨のように雑談が始まり、やがて本降りになった雨のように教室内がざわめきで溢れていた。

 まるで話し合いになっていない状況だが、担任の桝本は口出しせずに成り行きを見守っている。恐らくまずは安曇にやらせてみようという考えなんだろう。気持ちは分からないでもないが、どうみても無理だろ、この状況じゃ。


 安曇は相変わらず緊張した顔で、未だに誰かが挙手するのを期待するような視線をクラス中に巡らせていた。


(はぁ……こいつ、絶望的に人を纏める能力とかなさそうだよなぁ……)


 安曇の今の状況は、喩えるなら牧羊犬を追い立てようとする羊のようだ。まともに言うことを聞くはずがない。

 まあ、そんなことは俺の知ったことではないが、決まらなければこのままずっとここに突っ立っていないといけない。

 俺は一際騒がしい奴に目を付けた。


「おい、川渕、お前はなんか希望ないのか、課題曲」


 少し苛立ちながら訊くとクラスのざわめきが再びすーっと消えていく。川渕を選んだのは、こいつが俺の次にこのクラスで騒がしくて馬鹿な生徒だからだ。


「俺は、特に……」


 川渕は予想通り面倒くさそうに逃げようとした。ここでこいつに意見を言わさなければ他の奴も同じように逃げるだろう。


「何かあるだろ? 歌いたいものじゃなくてもいいけど。合唱コンクールならこんな感じかなってもんがよ」


 壁に寄り掛かったまま、腕組みをして静かに川渕を見据える。

 脅すまではいかないが威圧している感じだ。


「さぁ……知らねーけど『翼をください』とかじゃねーの?」


 ふて腐れたように適当に川渕が答えると、安曇は嬉しそうに黒板に『翼をください』と綺麗な字で書く。


「他は? 誰かなんかあるか?」


 俺が視線を向けるとみんな俯いて目を逸らした。


「……ねぇな。じゃあ『翼をください』でいいんじゃねーの?」


 話が纏まったので俺は席に戻った。まあ纏まったって言うよりは無理矢理終わらせたという感じだけど。

 桝本はニヤニヤ笑いながら俺を見ていた。まさか安住に任せていたのではなく、俺が動くのを待っていたのか? なんか『してやられた』感が気に入らなかった。


「では課題曲は『翼をください』に決定致します」


 俺がキレ気味だったからか、クラスの空気はどんよりと悪くなっていた。これでクラスの団結力を高めようと考えてるんだから、やっぱ学校側はどうかしてるとしか思えない。


 安曇は席に戻る時に俺の方を見て本当に嬉しそうな、はにかんだ笑顔を向けてきた。


 『やったね! ありがとう!』的な顔をして。

 俺思わずドキッとして、急いで頬杖をつき窓の方に視線を移す。

 誰がお前なんかと仲間意識を分かち合うか。



 ホームルーム終了後に安曇は案の定、嬉しそうに俺の元へとやって来る。


「さっきはありがとう」

「は? 俺はいつまでも決まらねーのが面倒だったから無理矢理決めさせただけだ」


 俺は顔も向けずに帰る支度を続けていた。


「それでも。ありがとうっ」

「あのなぁ……お前、向いてねーよ、人を纏めるのとか」

「知ってる。だから変えようとしてやってるの」

「あっそ」


 こいつと話してるとなんだか調子が狂う。相手にしないのが一番だな。

 さっさと帰る支度をして立ち上がる。


「あ、今から練習のスケジュールとか決めるから待って」

「俺はそんなに暇じゃねーんだよ」


 立って向かい合うと首が痛くなるほど見下ろさなきゃいけないちびな安曇。


 教室には既に俺とこいつしかいない。クラスメイト達はホームルーム終了がスタート合図だったかのように、みんな競うように出て行ったあとだった。


「俺はな、バイトが忙しいんだよ」

「バ、バイ──」


 デカい声出しかけた安曇の口を慌てて塞ぐ。咄嗟のことで思わず触れてしまった安曇の唇はドキッとするほど柔らかかった。


「こ、声、でけーから」

「ごめん」


 俺は母子家庭で学費とかも大変だからバイトをしていることを説明する。何でこんな奴にそんなことまで言わなきゃなんねーんだよ、と思いながら。

 そもそも資産家の娘との噂のこいつには理解できない世界だろう。


「そうなんだ!? 偉いね!」

「偉い!? 別に偉くはねーけど……」


 物分かりが良すぎて驚いた。てっきり『バイトは禁止されているから辞めた方がいい』とか説教じみたことを言ってくるのかと思っていた。


「ま、だから合唱コンクールだとか学級委員だとか、そういうことしてる暇、ねーから」

「うん。わかった。放課後の仕事は私だけでなんとかする」

「悪いな……って放課後以外のクラス委員の仕事もしねーからなっ! 危うく騙されるとこだったっ!」

「あーあ、作戦失敗」


 そう言って指を鳴らして悔しがる振りをした。弾いた指が鳴らないのは安曇らしいけど。

 つーかこいつ、こんな冗談とかも言えるんだ?

 なんか意外だった。



 ────

 ──


 合唱コンクールの練習だとか、バイトだとか、たまには学級委員の仕事とかで、それなりに忙しい毎日を過ごしていた俺に突如事件が起きた。

 母ちゃんが職場で倒れ、病院に搬送されたのだ。


 日曜だったから俺はすぐに病院に駆けつけた。医者の話だと、どうやらただの過労でしばらく安静にすれば問題ないらしい。


「ったく。倒れるまで働くなよな」


 笑い飛ばすように言ったものの、ベッドで寝ている母ちゃんを見て、「痩せたな」と感じた。


「大袈裟なんだよ、病院が。こんなものまでつけちゃってさ」


 母ちゃんも笑いながら点滴をくいくいと引っ張る。乱暴に扱うなよ、母ちゃん。


「まあしばらく休んでおけよ。たぶん神様が言ってんだぜ。働き過ぎだってな」

「へぇー……あんたの口からそんな親孝行な言葉が出るとは思わなかったよ。クラスの副委員長になると変わるものなのかねー? それとも牧子ちゃんが変えてくれたのかしら?」

「はあ!? あんな眼鏡チビ女の影響のわけねーしっ!」


 俺が声を荒げると母ちゃんは勝手に納得したように、にまにまと生温かく笑う。てか母ちゃん、いつの間にチビ眼鏡のことを『牧子ちゃん』なんてファーストネームで呼ぶようになってんだ?


「牧子ちゃんは感謝してたよ-。透馬のお陰で合唱コンクールの課題曲も決まって練習も順調だって」

「はあ!? なんでそんなこと知ってんだよ!?」


 俺の個人情報流出しすぎじゃねぇか?


「だってお母さん、牧子ちゃんとメル友だもん、ほら」


 そういってスマホを見せてくる。いつの間にかメール交換してたのかよっ!?

 てかメル友って。今どき他のツールとかアプリとか使うだろ? まあ、安曇らしいと言えば安曇らしいけど。


 あのチビ、勝手に人の母ちゃんとアドレス交換とかすんなよと思っていた時、


「おばさんっ! 大丈夫ですかっ!?」


 そこにタイミングよく、いや悪く、安曇が病室に飛び込んできた。


「なんで、ってか……おいっ、安曇っ!」


 人の母ちゃんのお見舞いとか、メルアド交換とか、言いたいことが山ほどあって頭が混乱してしまったが、とりあえず病院内は走るな、安曇。


「あらぁ、牧子ちゃん。来てくれたんだ?」

「入院したって聞いたんで、びっくりしちゃってっ」

「何でもないのよ。ただの過労だって。大袈裟でやんなっちゃうわよねー」

「そうだったんですね。とりあえずよかったぁ」

「……ちょっと待て」


 勝手に盛り上がる女二人を制する。ようやく頭が落ち着いた俺は冷静に会話を打ち切らせる。


「なんで勝手に人の母ちゃんとアドレス交換してるわけ?」

「別にいいじゃない」


 安曇が答える前に母ちゃんが口を挟んだ。


「なんなら透馬もお母さんの職場仲間のおばちゃんとメル友になってもいいんだよ?」

「何のカオスだよ、それ」


 なにがおかしいのか、安曇はクスクス笑っている。

 笑い事じゃねーし。


「ごめんね、佐々木君。一度お電話してからなんだか意気投合しちゃってメルアド交換したの」

「いいのよ、牧子ちゃん、謝らなくたって」


 冷静に考えれば確かに同級生の母親とメールアドレスの交換をしたって何の問題もない。それは分かっているけど、なんだか釈然としなかった。


 安曇は買ってきた花を生け、リンゴの皮を剥く。なんだか昭和だ。昭和のお見舞いだ。

 そう、安曇を見ていて何か違和感を感じていたんだが、今分かった。こいつはなんだか昭和の香りがする。いいとか悪いとかじゃなくて、なんだか古臭い感じがしてならない。


 病室を出て行くタイミングを逸した俺は、なぜか安曇の剥いたリンゴをしゃくしゃくと食べてしまっていた。


「入院はどれくらいなんですか?」

「二、三日みたいよ。もう退院できるのに」

「寝てろ」

「そうですよ。無理しちゃ駄目です」


 俺たちはしゃくしゃくしゃくしゃく言わせながら話していた。


「でもねぇ……ほら、この子を一人にしたら無茶苦茶なことになりそうでしょ? 家とかも散らかし放題だし」

「あ、それはそうかも」

「そこは否定しろ」


 安曇の持ってきたリンゴは、なんだかいつも食べてる一山三百円のとは違う種類の果物のように甘くて歯触りもよかった。


「あ、そうだ! 私の入院中、牧子ちゃんが掃除とかご飯とかしてくれない?」

「えっ……」


 さすがの安曇も目を丸くして、絶句した。


「母ちゃんっ! いくらなんでも調子に乗りすぎだ。病人だからってなんでも言っていい訳じゃないんだぞ?」

「お、お弁当……なら……」

「はあっ!?」


 安曇もなに顔を赤らめて答えてんだよっ!?


「助かるわぁ! ありがとう!」

「いえ……今も自分のを作ってますし」

「おい、勝手に話を進めるなよなっ!?」


 母ちゃんの厚かましさには驚いた。こんな図々しい人だったっけ?


 俺がいくら却下しても話は勝手に進んでいってしまい、俺の好物や嫌いなものの説明まではじめる始末。


「ふざけんなよ……作ってきても食わねぇからな」


 勝手に盛り上がる母ちゃんと安曇を置いて俺は病室を出て行った。

 全く気にした様子もない二人の笑い声は廊下まで響いていた。

 病院では静かにな、お前たち。



 翌日の昼休み、安曇は当然のように俺のもとへやって来てお弁当を渡してきた。


「おばさんのお弁当みたいに美味しくはないと思うけど……」


 周りの奴らは時間が止まったように動かなくなり、俺たちの動向を静かに見詰めていた。

 死ぬほど恥ずかしいからやめてくれ、安曇……


 いるいらないの押し問答をするのは更に恥さらしになる気がして、俺は安曇の方を向きもせずそれを受け取り無造作に鞄に入れた。

 そして礼も言わず、何ごともなかったように教室を出て行った。


 俺が教室を出た瞬間、クラスの中は小さな爆発が起きたかのように男の笑い声と女の黄色い声が飛び交った。

 お前たち、出来ることならあと十秒くらい我慢してから笑ってくれよ。丸聞こえだからな?


 誰もいない校舎の裏で俺は鞄を開ける。中には安曇の弁当と、今朝買ってきた総菜パン二個が入っていた。


「マジで作ってくんなよなぁ……」


 クラスの奴らにからかわれるのは、まあ別にどうでもいいけど、それよりなんか『ご奉仕』的な感じが癪に障った。

 金持ちのお嬢様の気まぐれなボランティア活動とまでは言わないけど、こんなに気を遣われる筋合いもない。


(まあ、食わずに捨てるけどね、俺、鬼畜だから)


 ひねくれた俺は薄笑いを浮かべて弁当箱を開ける。

 卵焼き、唐揚げ、アスパラのベーコン巻き、プチトマトが行儀よく並べられ、開けると共に唐揚げの芳ばしい香りがふわっと広がってきた。


(畜生……弱いところを衝いてきやがるっ……)


 俺は箸をとり、から揚げからかぶりつく。ショウガとニンニクがほどよく利いており、うっすらと醤油やごま油の味が舌に絡みつき鼻から抜けていく。


 昨日の夜からまともなものは食べていないことも手伝い、俺は夢中で弁当を頬張っていた。

 しかしプチトマトは残してやった。栄養バランスを考えた安曇の気遣いを無視する俺はマジで鬼畜だ。



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