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 そして、俺と透子の二人だけが始まった。

 これからは俺一人で透子を育てていかなければならないが、そのためにはもちろん仕事もしていかなくてはならない。

 だから昼間は透子を保育園に預けることにした。

 母親がいなくなって寂しいところに追い討ちをかけるようなことはしたくなかったが、現実的な問題としてそれしか手はなかった。


 母ちゃんや牧子のお母さんがしょっちゅう来て世話もしてくれるが、甘えてばかりもいられない。

 牧子がいないのはもう現実として受け止めなければなく、そして子育てというのは一秒たりとも待ってはくれない。



 でも俺は心のどこかで逃げていたのかも知れない。

 牧子と瓜二つの透子を見ていると、可愛くて愛おしくて仕方ないの反面、苦しさも感じていた。

 どうしても透子を見ていると牧子の面影を追ってしまうから。



 夏も近付いてきた日曜日。お義父さんとお義母さんが揃ってわざわざ会いに来てくれた。


「すいません。本当は俺の方から行かなきゃいけないのに……」

「いやこちらこそ休みの日にすまないね。孫に会いたくて、いても立ってもいられなくて」 


 お義父さんは優しい嘘をつき、俺を気遣ってくれた。本当は俺や透子が心配で見に来てくれたのだろう。

 葬儀の後、男手一つで育てるのは大変だから一緒に住もうと言って頂いた。しかし俺は牧子との想い出が詰まったこの場所を、牧子と暮らしていくと決めたこの場所を、離れられなかった。

 この町に辿り着いたとき、ここを透子のふるさとにすると二人で決めたこともここを離れられない理由の一つだ。


「遠いからなかなか来られなくてご免ね。いっそ近くに引っ越してくれたら嬉しいのに!」

「おい……」


 お義母さんはまだ諦められないらしくそんなことを言うが、すぐにお義父さんに窘められる。


 結局お義父さんとお義母さんは透子を連れて遊びに出掛けてくれた。「たまには一人でゆっくり休みなさい」と気遣ってくれてのことだ。


 透子もいなくなった部屋は、閉店後のスーパーのように物寂しい静けさに包まれていた。この世に俺独りだけなのではないかという類いの静けさだ。


 俺は忙しくて手つかずになっていた牧子のものを片付けはじめる。

 そんなことをしたら牧子の生きていた残り香がよけいに薄れてしまいそうで、わざと手を付けずにいたが、現実的に狭いこの家では片付けなくては透子の衣類をしまうスペースすらない。


 でもそれ以上に自分の心の整理という意味もあった。

 牧子のものを見る度に俺は心が悼んだ。透子がいてくれるから何とかやっていけたが、そうでなければこの牧子の残した欠片に囲まれて、俺もすぐに後を追っていたのかも知れない。


 資産家の娘のくせに質素で倹約家だった牧子は荷物も少ない。

 洋服を片付けていると収納ケースの奥に不自然な箱があるのを見つけた。


「なんだ、これ?」


 どうやらお菓子が入っていた箱らしいが、やけに軽いから、恐らく何かを入れるのに使っていたのだろう。

 所々凹んでいたが、西洋風なアンティークをイメージしたデザインは可愛らしく、牧子の好きそうなものだった。

 俺は何の気なしにその箱を開けた。


「あっ……!?」


 その中には俺が昔買ってやったガラス玉のついたネックレスが大切そうに収められていた。

 牧子が急逝した時は頭が真っ白でその存在すら失念してしまっていたが、今に思えば最期に首にかけてやればよかったと後悔する。

 そしてネックレスの下には封筒があった。そこには大きく綺麗な牧子の字で、


『透馬へ』


 と書かれていた。


(これは……っ!?)


 俺は慌てて封筒を手に取り、中に入っていた手紙を抜き出した。

 そこには牧子の文字がびっしりと埋め尽くされている。


「牧子……」


 俺は貪るようにその手紙を読んだ。




『透馬へ──


 これを読んでいる頃には、きっと私はこの世にはいないね。

 って死ぬ前に読まれていたら物凄く恥ずかしいけど。


 ごめんね、透馬。私だけ先に死んじゃって。ごめんじゃ済まないけど。

 透子のことをよろしくお願いします。

 みんなは透子のことを私に似てるって言うけど、私は透馬にもよく似てると思います。もちろん足の指の爪以外のところでも(笑)


 あの子は透馬に似て凄く明るくて活発です。そして透馬みたいに凄く優しい子だと思う。きっと周りのみんなを元気に明るくする子に育つと思います。

 私も透子が成長していくところを見たかったな……


 私は透馬に出逢えて、愛して貰えて、本当に幸せだったよ。でも透馬は私と出逢って不幸にさせちゃったね。ごめんなさい。

 私は本当にひどい女だと思います。だってずっと病気のことを隠していたんだから。


 透馬を好きになればなるほど、病気のことで同情されたくないって思いが強くなって言い出せなかった。なかなか告白してくれないから、透馬は私のこと好きじゃないのかも、とか思ったりもしたけど。

 だから高校卒業の日に告白されたとき、凄く嬉しかった。だけど同じくらいに凄く申し訳なかった。


 私はもうあと何年も生きられないんだって思うと、中途半端に透馬の人生に関わっちゃいけないといつも思ってました。

 でも透馬と一緒にいると本当に愉しくて、毎日がこんなに素晴らしいなんて生きていて初めて感じたの。もっともっと、それこそ死ぬまでこの人と一緒にいたいって、欲が出ちゃったの。

 なんて、そんなの隠していた言い訳にならないよね。私の勝手な言い分。


 私がいなくなって、透馬が苦しんでいないか心配です。

 私の人生を滅茶苦茶にしてやるって透馬に言われたけど、逆だね。私が透馬の人生を滅茶苦茶にしちゃった。

 結婚して、子供産んですぐに死んじゃうなんて、ひどい女だよね。ごめんなさい。


 透馬に会うまでの私は普通に生きようとしながらも、やっぱり悲観して生きていたの。

 なんで私だけ死んじゃうんだろうって。

 でも透馬と出逢えて、私は変われました。精一杯生きようって、悔いなく生きようって、そう思えたの。

 じゃあ今死んで悔いがないかと言えば、山積みに悔いはあるけど。

 でも考えてみたらどう生きたって悔いは残るよね。だからよかったと思う。好きなように生きられて。透馬に愛して貰えて、透馬と一緒に生きられて。

 全て透馬のお陰です。ありがとう。


 透馬が私にプロポーズしてくれたときのことは、今でもはっきりと覚えてるよ。あの瞬間、私は世界で一番幸せ者だと感じました。

 ううん、あの瞬間からずっと私は世界で一番幸せ者になりました。今でもずっと。

 でもあの時撮った記念写真を見て、ようやく私はパーティーグッズのヒゲ眼鏡を付けたままプロポーズされたことに気付きました。

 言ってよね。そして取ってよね。

 あれが一番透馬に対して怒っていることです。(笑)



 うちのお父さんに結婚を申し込んでくれた時、凄く嬉しかったよ。

 頼もしくて、優しくて、何より人を幸せに出来る人なんだって改めて感じました。


 透馬が出ていった後、私はお父さんから土下座をして謝られました。

「済まない。赦してくれ」と。

 お父さんから土下座をされたのなんて後にも先にもあれ一度きり。

「牧子と結婚したら透馬君は必ず不幸になる。一生消えない心の傷を抱えてしまう」って。

 そう諭されて、ようやく私は透馬にどれだけ酷いことをしてきたのかを気付けました。


 だからあの時のお父さんを恨まないで下さい。

 悪いのは、私なの。死ぬと分かっていて、それを言い出せずに隠し続けて、結婚なんて虫がよすぎる。

 お父さんは透馬のために、そして私のために、どんなに嫌われてもいいからと、身を挺してくれたのです。


 私も諦めるつもりでした。二度と透馬に逢わないと、心に誓いました。でもお腹の中に透馬の子供を宿していると知ったとき、どうしても透馬に報せたかった。

 本当に私っていつも自分のことばかりで最低の女たと思う。


 子供は産めない。そう覚悟して、透馬に会いに行きました。でも本当は産みたかった。たとえ自分の命が(つい)えたとしても。


 赤ちゃんを授かったことを伝えた時、透馬が喜んでくれて本当に嬉しかった。この人を好きになってよかったって、心の底から感じたの。


 どうせ放射線治療なんて続けても命が一、二年伸びるだけ。でもこの子を産めば、何十年も命は続いていく。

 この時が私の病気を透馬に告白する最後のチャンスだったのかもしれない。

 でも優しい透馬は治療を優先させるかもしれない。いや、産むことを選んでくれても、そのことが必ず透馬を苦しめることになる。

 だから私は私だけの判断で、病気のことは伝えないという覚悟をしました。


 この町に来て、透子が産まれて、本当に幸せでした。

 透馬のお陰で、私の人生は最高のものになりました。本当にありがとう。


 でも透馬は辛いよね。苦しいよね。

 本当にごめんなさい。


 透馬、透子、私はあなた達を愛してます。

 本当に短い時間だったけど、ママにしてくれてありがとう、透子。

 こんな私を奥さんにしてくれてありがとう、透馬。

 私は世界で一番、幸せでした。


 そして最後に、私からの透馬への人生最後のお願いです。

 どうか私が死んでしばらくしたら、再婚して下さい。

 こんなこと先に死ぬ私が言うのもおこがましいですが、お願いします。


 透子にも新しいママが必要だし、透馬の人生もまだまだこれからです。

 だって結婚するって本当に素晴らしいことだもの。


 だからお願いします。必ず再婚をして下さい。

 透馬は格好いいし、優しいからきっとお嫁さんになりたい人は沢山いると思います。


 私が死んでまで独り占めしちゃうには、透馬はもったいない人だから。


 それじゃあね。

 透馬、透子、元気で暮らして下さい。

 私は空の上から二人をいつまでも見守ってます。


 佐々木牧子』




 涙で濡らさないように気を付けながら、俺は何度も何度もその手紙を読み返した。


「馬鹿かよ、あいつ。こんな時限爆弾仕掛けんなよな……」


 窓を開けて空を見上げる。

 牧子は確かに、俺たちを見守ってくれている。

 そんな気がした。



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