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 牧子の体調は突然悪くなったり、安定したりを繰り返した。

 具合が悪くなる度に俺は身が引き裂かれそうな気持ちに陥った。


 医療機器のピッピッという断続的な電子音も、壁にまで染みついたような薬品の臭いも、マズそうな病院食も、全て患者や家族に死を受け入れさせるための小道具のような気さえしてしまう。


 こんな思いをするくらいなら俺もいっそ一緒に死んでしまいたい。そんな気持ちにも陥ってしまう。


(なに弱気になってんだよっ……)


 俺には透子を守るという大切な役割があるじゃねえかよ。俺が死んでどうするんだ。


 ベッドに横たわり点滴をしながら眠る牧子の隣で透子を抱きながら、折れそうな心をなんとか奮い立たせた。

 牧子は生きている。死んだことばかり考えてなんになる。

 俺は、歯を食い縛って笑うって決めたじゃねえかよっ。


 ただ、確実なのは、体調が悪くなる時と安定している時のインターバルが、どんどん短くなっていることだった。


 ────

 ──



 ある晴れた晩秋の日。

 最近にしては珍しく牧子の体調がよかった。


「ねえ、今日写真取りに行こうよ!」


 牧子は目を細めながら俺の服の裾を引っ張る。


「大丈夫なのかよ」

「元気いっぱいだよ、私は!」


 確かに今日はいつになく顔色がいい。確かに写真を撮りに行くくらいは問題ないだろう。

 しかしどうしても今日は気乗りしなかった。

 なぜならば今日は最初に医者に余命を宣告されてからちょうど六カ月目の日だからだ。

 あの日の医者の宣告が本当ならば、今日、牧子は死ぬこととなる。


 もちろんその後も検査などをし、経過なども確認しているから今日死ぬということはないだろう。しかし不吉なものを感じずにはいられなかった。


 俺は牧子に余命宣告を受けたことを未だに話していない。それどころが脳腫瘍の話ですら一度もしていなかった。あくまで疲労による体調不良ということで貫いていた。

 でも透子はもちろん自分の持病は知っているだろうし、死期が近付いていることも自分の身体だから肌で感じているだろう。


 もちろん母ちゃんやら衛藤さん達には牧子の病状を伝えていた。母ちゃんはこっちに来て牧子や透子の世話をすると言っていたが、勘弁してもらっていた。

 俺たち三人で、一日でも長く暮らしたかったから。


「ねえ、いいでしょ、透馬。写真、撮りたいの」


 今日の牧子はやけにしつこくて強引だった。


「うん、まあ……いいけどよ。具合がいいからって調子に乗ってはしゃぎすぎるなよ?」

「やった! やっと三人で撮れるね!」

「写真くらいデジカメとかスマホでいっぱい撮ったろう?」

「あの写真屋さんで撮るのは特別なのっ!」


 今どき写真でそんなに騒ぐなんて。昭和を通り越して大正か。

 出掛ける前に牧子はガラス玉のついた例のネックレスを持ってきた。


「ねえ、透馬がつけて、はじめて買ってもらった時みたいに」

「なんだよ、それ」


 照れ臭かったけど、ネックレスを受け取って牧子の首に回す。トレードマークだったおかっぱ頭からニット帽に変わっているから髪に邪魔されず着けやすい。はずだったが、手が震えて上手く出来ない。


「あれ、おかしいな」


 あの時より痩せた牧子の身体が痛々しくて、涙が溢れてくる。

 牧子も目を赤くしていたが、笑っていた。


「不器用なんだから、透馬」

「うるせー。もうこんな古いのじゃなくて新しいの買ってやるから。だいたいこれ、すげぇ安もんだし」

「やった! じゃあ買ってもらおう! でも一番大切なときはこれを着けていくけどね」

「意味ねぇじゃん、それじゃ」


 俺たちはもう、涙でぐちゃぐちゃだった。これから写真撮りに行くのになんつー顔してんだよ、俺たち。


「ほら、出来た」


 ようやく着け終わると牧子は嬉しそうに鏡の前に立つ。


「やっぱりこれ、綺麗だなぁ」


 出会った頃に戻ったように、牧子の目は輝いていた。


「牧子……」

「きゃ!?」


 背中から牧子に抱き付く。


 馬鹿な俺はかける言葉も思い浮かばず、ただ抱き締めた。


「透馬……ありがとう……」


 この頃牧子は「ごめん」から口癖が「ありがとう」に変わっていた。すぐに「ごめん」という口癖を俺が直させた結果だが、「ありがとう」もそれはそれで結構きつい響きに感じる。なにもしてやれてないのに「ありがとう」と言われると、自分の非力さが見せつけられた気持ちになってしまう。



 写真屋のウインドウにはまだ俺たちの写真が飾られていた。

 古い木製のドアを開けるとカランッと心地いいカウベルが鳴る。


「こんにちはぁ」


 声を掛けると写真屋の店主が奥からやって来る。


「ああ、あんた達か。おお。子供が生まれたんだね、おめでとう」


 人の良さそうな主人は目を細めて俺の胸元にいる透子に「はじめまして」と挨拶をしてくれた。


「今年も写真をお願いしたくて来ました」

「俺たち毎年一枚づつ写真を残していこうと思うんです」


 そう言いながら視線は牧子に向けた。牧子も俺を見てにっこり笑って頷く。


 「毎年写真を残していこう」と俺が以前提案したとき、牧子は「う……うん」と戸惑った返事をした。あれは金銭的な心配をしたんではなくて、自分の命がもう長くないことを悟って思わず出た言葉だったのだろう。


「それは光栄なことだね。じゃあうちも頑張って店を続けていかなくてはね」

「お願いします」


 脱ぎ着も大変なので、今回は始めから着てきたもので写真を撮る。

 俺は衛藤さんにもらった金で買ったスーツ、牧子は大学の入学式のために買ったスーツを着ていた。やっぱスーツって要るな。衛藤さんに感謝だ。


 牧子が椅子に座り透子を抱き、俺がその傍らに立つ。


「ご主人、もうちょっと右。そうです。奥さん、赤ちゃんをもう少し顔が見えるように、はい、そうです。撮りますよ。笑って!」


 出来上がった我が家二枚目の写真は三人に増えていた。


「よかった。また今年も撮れて」


 牧子は写真を見て微笑む。


「来年は四人で、再来年は──」

「その話はもういいから」


 牧子は笑いながら俺の腕を叩く。


「来年も、お待ちしております」


 優しい店主は小さく頭を下げて頬笑んだ。

 そうだ。必ず俺は来年もこの写真館に来る。牧子を連れてな。


 写真館から出ると外は小春日和で暖かかった。


「少し歩いて帰ろうよ」

「そうだな……」


 俺たちは川辺の土手の上を散歩する。婚姻届を出した日も、妊婦の時も歩いた、俺たちのお気に入りの散歩コースだ。


 都会と違い、田舎では一年経ってもなにも変わっていない。

 急にアミューズメント施設が出来たり、知らない間に更地にビルが建ったりとか、そういう変化は何もない。

 恐らく透子が大人になった時も、この川原から見る景色はあまり変わっていないんだろう。


 きっと山の中腹に見える神社の鳥居が見えなくなるようなビルも建たない。

 田んぼは毎年稲穂を実らせ、寂れた商店街は寂れたなりに持ちこたえているだろう。

 この川はその頃でも夏になれば泳げるくらいに綺麗で、透子も子供を連れて川遊びに来るに違いない。


 そりゃそのうちコンビニくらい出来るかもしれないけど、そんなに代わり映えはしないはずだ。

 特急列車は相変わらず停まらないし、でっかいタワーマンションなんて建つはずもない。


 何十年経ってもここはそうは変わらないはずだ。


「なあ、牧子……」


 細くて冷たい指を握ると、色んな思いが溢れてくる。


「なぁに?」

「色々あったよな……お前と出逢ってから」

「なに言ってるの? そういう思い出話は四十歳過ぎてからするもんだって、透馬昔言ってたでしょ」


 写真のアルバムを見ながらそんなのとを言ったのを想い出す。

 あの時はこんなに早く牧子とお別れするときが来るなんて思ってもみなかったな。

 ……いや、牧子の方は分かっていたのか。


「四十歳かぁ……俺、そんなに長く生きられるかなぁ……」

「はあ? なに言ってるのよ。四十歳なんてまだまだこれからじゃない」


 牧子は可笑しそうに笑った。

 もちろん牧子がいなくなってからそんなに長く生きられないという意味だった。きっとこいつも分かってるくせに分からない振りをしている。


「なんか……ありがとうな、俺なんかと結婚してくれて」

「どうしたの、透馬? 変なの」

「なんか……そういうの、ちゃんと言ってなかったなって思って……」


 牧子はギュッと俺の手を握り返してきた。


「私の方こそ……本当にありがとう……ごめんね……」

「ほらまた謝った。油断するとすぐでるよな、『ごめんね』が」

「本当だ……」


 牧子は目を潤ませ、笑った。俺も似たようなもんだった。


「透馬がうちのお父さんに言ってくれたでしょ『誰よりも牧子さんを幸せに出来ます』って……」

「ああ、言っちゃったよな……お父さん、怒っただろうなぁ、あれには」

「私はすごく嬉しかった。この人と巡り会えてよかったって……本当にそう思ったから」

「そう思ってくれたなら……言って良かったかな」

「そして本当に、透馬は私を幸せにしてくれている。世界中見ても、歴史的に見ても、こんなに幸せな人は他にいないってほどに」

「言い過ぎだから、それ……」


 俺は痩せ細った牧子の身体を抱いた。


「でもやっぱりごめん……私が…………遠くへ行っちゃったら……透馬も、透子も……寂しいよね」


 嗚咽する声は上手く聞き取れない程だった。


「馬鹿か。そんなこと言うなよ……」

「だって……」

「牧子はきっと長生きするよ。俺より長生きするんじゃねぇの? 絶対そんな気がする……」


 そうだ。こいつはこんなに精一杯生きている。死ぬわけがない。


 もし俺が時を巻き戻せるなら、牧子と出会うずっと前まで巻き戻したい。

 そして必死に勉強をして医者になる。それから大急ぎで研究をして牧子の病気を治せる薬を作るんだ。


 そんな馬鹿なことを考えながら、俺は牧子を抱き締めていた。


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