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「まあ、牧子ちゃんそっくりっ!」


 ようやくやって来た母ちゃんは透子を見るなりそう言って黄色い声を上げた。


「本当にお母さんそっくりですね」


 透子を病室まで連れて来てくれた看護師さんもそう言って笑った。


「お父さんに似なくてよかったでちゅねー、透子ちゃん」

「ちょ、母ちゃん。透子に変なこと言うなよっ」


 母ちゃんの悪ノリに俺がツッコむと、みんな微笑ましく笑った。別に笑うところじゃねーからな?


「よく見ろよ、ほら!」


 俺は透子のちっちゃくて可愛い足を取りながら訴えた。


「足の爪の指、俺にそっくりだろ! この巻き爪具合!」


 動かしがたい事実を突き付けてパパ似であることを教えてやると、こいつらはより一層笑った。笑うところじゃねーって言ってるだろ?


「牧子ちゃん、間に合わなくてごめんね。本当、よく頑張ったね」

「いえ、お母さん……わざわざ来て下さってありがとうございます」

「透馬なんてオロオロするだけでなんの役にも立たなかったでしょう?」

「そんなことないです。ずっと一晩中背中擦ってくれたり、励ましてくれたり……透馬さんがいなかったら、きっと堪えられませんでした」


 牧子は俺の方を見てにっこりと笑う。


「んなこと、別に普通だろ……」

「まあ、オロオロはしていたんですけどね」


 牧子がそう付け加えるとまたしても女三人は笑う。てか看護師さんは笑うな。

 だけど産まれたばかりの透子だけはパパを笑わない。さすが俺の娘。いい子だ。


 しかし悔しいけど透子はママ似だと俺も認めざるを得なかった。

 きっと牧子に似て、賢くて優しくて芯の強い子に育つだろう。

 透子が大きくなったら牧子をほったらかしにしてデートをしてやる。そして必ず『将来はパパと結婚する』と言わせてやるんだ。

 牧子は嫉妬で涙目だろう。やっぱ俺って鬼畜だわ。そんな未来を想像するだけでにやけてきてしまう。



 牧子と透子が病院から家に帰ってきたのはそれから数日後だ。

 家にはベビーベッド、沐浴槽、おむつ、ガラガラ、よだれかけ、ロンパースと透子のものが増えていく。


 赤ちゃんのいる家というのは、独特の明るさに満ちてくる。

 俺もしばらくは早めに家に帰り、透子にデレデレとなってしまった。

 牧子は「今日はね、」などとその日あったことを沢山話をしてくれる。他愛のない話だけど、俺にとってはどんなニュースよりも価値のある重要な話ばかりだった。


 透子が産まれてから二週間後、衛藤さん夫妻がはるばる透子に会いに来てくれた。

 俺も衛藤さんと会うのは町を出た日以来である。


「ご無沙汰してます」

「おう。元気そうだな」


 玄関口で衛藤さんは言葉短くそう言って俺の肩を叩いた。


「透馬君、牧子ちゃん、おめでとう! これ、出産祝い」

「そんな気を遣って頂いてっ……ありがとうございます」


 奥さんは少し早いけど、と言って透子のランチプレートなどの一式を贈ってくれた。


「よかったねー、透子」


 何も分かっていない透子はプレゼントには見向きもせず、代わりにやって来た衛藤さん夫妻をジッと見詰めていた。


「まあ、可愛いっ! 牧子ちゃんにそっくりじゃない!」


 奥さんはすすすっと駆けより、透子を覗き込む。


「賢そうな顔してる。親父に似なくてよかったな」

「衛藤さんまでそんなこと言うんすかー?」


 会う人全てにママ似だと言われる透子は、人に気を遣うところまでママ似なのか、奥さんの顔を見てにっこりと笑った。


「きゃー、かわいい! 私を見て笑ってくれた!」


 奥さんは黄色い声を上げて喜ぶ。孫を見るような温かい眼差しをもらい、祝福してもらえるのは本当に嬉しかった。


「あ、でもね、衛藤さん。透子って実は足の指の爪が俺にそっくりでして」


 牧子にばかり似てると言われるのが少し癪に障り、俺は透子の脚を掴んで足の爪を見せようとした。しかしいきなり掴まれて驚いたのか、透子は激しく泣き出してしまう。


「もう、パパ。透子びっくりして泣いちゃったでしょ?」


 牧子は困った顔をして透子を抱き上げる。数回胸の中で揺らしてやると透子はぴたりと泣き止んだ。


「さすがお母さんだねー」

「いえ、まだ全然……おっぱいでもおむつでもなくて、なんで泣いてるのか分からない時なんてオロオロしちゃいます」

「そんなもんよ。お母さんも赤ちゃんに成長させてもらうものなんだから」


 奥さんはそう言って静かに微笑んだ。その瞳は遠い日を懐かしんでいるようでもあり、幼くして亡くした息子を悼んでいるようでもあった。


「奥さんも、衛藤さんも抱っこしてあげて下さい」


 俺は牧子から娘を受け取ると、奥さんに渡した。


「わっ……なんだか久し振りで怖いわ。軽くて、小さくて、凄く儚くて……可愛いわ……」


 ブランクがあるとはいえ、さすがに奥さんは抱くのが上手だ。透子も安心して身を預けているようだった。


「はい、あなた」

「お、俺はいいってっ」


 奥さんからバトンタッチを要求され、衛藤さんは明らかに怯えていた。


「大丈夫ですよ。首の後ろに腕を回して固定してやれば」

「ちょっ……ええっ!?」


 戸惑いながらも衛藤さんが透子を抱いてくれる。

 しかし衛藤さんの不安が透子に伝播してしまったのか、すぐに泣き出してしまう。


「お、おいっ!! もういいってっ!! 誰かっ……ま、牧子ちゃんっ!」


 衛藤さんのビビり具合は、一億円する壺を抱えているかのようだった。

 牧子は笑いながら透子を引き受ける。


「抱いてくれてありがとうございます」

「俺の方こそ、ありがとう。ほんと、可愛いな……透馬、これからも頑張れよ。父親なんだから」

「はいっ……ありがとうございます」


 そうだ。俺は牧子と透子を守っていかなくてはならない責任がある。透子が産まれた日にも、自分に誓ったことだ。

 衛藤さんに言われると、改めて身が引き締まる思いがした。


 父親として家族を守っていかなくてはならない。

 俺はそれまで以上に仕事に精を出した。


 町工場勤務ではどれだけ頑張っても牧子に贅沢を指せてやることは出来ない。いつか買って驚かせてやろうと思っていたダイアの入った指輪もまだ買えていなかった。

 けれど家族三人、不自由なく暮らしていける給料は取ってこなければいけない。

 それがせめてもの、俺が牧子や透子にしてやれること。そして牧子のお父さんに顔向けできることだと信じて。


 透子が産まれて三カ月。この町に流れ着いて一年以上経過したが、牧子のお父さんが俺たちの前に現れることはなかった。

 その静けさがありがたかったが、常に不安は付き纏っていた。


(もし牧子のお父さんが連れ戻しに来たら……)


 最近はそんな夢を見て、うなされて起きることもあった。娘を奪われ、血眼で探しているお父さんの顔がやけに鮮明に脳裏を過ぎる。俺が娘の父親になったからかもしれない。

 俺がもし将来透子をどこの誰とも分からないような奴に奪われたら、そう思うとお父さんの怒りや悲しみは容易に想像できた。


 せめて俺は牧子と透子を幸せにしなくてはいけない。それは俺に課せられた絶対条件であった。

 もちろんそんなことは俺の独り善がりで、お父さんにとってみれば俺は誘拐犯にも近しい存在なんだろうけど。



「ねぇ、透馬。無理してない?」


 ある夜、牧子が心配そうに訊ねてきた。


「無理? してねーけど?」

「最近朝早いし、夜も凄く遅いじゃない。身体壊さないか心配で」

「はあ? 俺が身体なんて壊すかよ! 牧子みたいなガリ勉と違って身体のつくりが違うんだよ、中卒様は」

「またそういうこと言って」


 牧子は困ったように笑う。こいつを困らせることだけは天下一品に上手い俺。


「透馬が倒れたら透子どうするのよ?」

「なんだか生命保険のCMみたいな口調だな」


 真面目に取り合わず笑い飛ばす。


「てか普通『透子どうするのよ』じゃなくて『私たちどうするのよ』だろ」

「そうだけど……もし透馬が倒れたら透子が可哀想だとか考えて欲しくて」

「相変わらず牧子は他人のことばっか心配するな。少しはお前もわがまま言えよ……夫婦なんだから」

「だって……そりゃ、私だって辛いよ。透馬が倒れちゃったら」


 なんか歯切れが悪い。


「俺にもしものことがあったら牧子ぎゃん泣きしそうだよな。『逝かないで、透馬っ! 私を独りにしないで』とか言って俺の亡骸に抱き付いてきそう」

「縁起でもないこと言って……馬鹿。そう思うなら私を泣かさないように健康に気を付けてよね?」


 俺の死をリアルに想像したのか、牧子は少ししょんぼりしてしまった。

 からかいすぎたか?


「分かってるって。心配すんな」


 笑いながら牧子の頭をガシガシと撫でる。

 ちなみに本当は少し疲労で時おりふらっとするけど、それは内緒だ。

 言ったらそれこそ医者行けだとか大変なことになるからな。



 馬鹿な俺はこの時なんの保障もないのに、なんの疑いもなく、こんな幸せがいつまでも続くと思い込んでいた。



 けれどその日は、突然やって来た。



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