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ホームルームでは誰をクラスの委員にするかという、どうでもいい議題が続けられていた。
(俺は無関係なんだから早く解放しろよ……)
退屈しのぎに窓の外をぼんやりと眺めて時間を潰す。昨日の雨で桜の花はほとんど散ってしまっていた。
(毎年なぜか桜が咲くと雨が降るよなぁ……)
花見なんかする前に毎年大抵散ってしまっている。
でもこの三階の教室から見ると地面がピンク色に染まっていて、それはそれでまあまあ綺麗だった。
「私、立候補しますっ!」
手を上げたのは安曇牧子という眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな女だった。ボブというよりおかっぱと呼ぶべきであろう髪型もよく似合っている。
緊張してるのか挙手が少し震えていた。
(マジかよっ!? あんな面倒なこと自ら立候補するか、フツー……)
安曇のもの好きさには驚いたが、これでさっさと終わってくれる。俺は眼鏡チビに心の中で感謝した。
当然他に立候補するような奴はいないから安曇一択となり、満場一致で決定する。
クラスの委員長になった安曇は緊張してるのか、まるで子供のピアノ発表会のような歩みで教室の前に立つ。みんなの拍手には面倒なことを押し付けられなかったという安堵と感謝の音色が滲んでいた。
俺は頬杖をついたまま安曇を見ていた。
化粧の一つもしていない顔、全く染めていない黒い髪、校則に忠実なソックスやスカートの丈という制服の着こなし。まぁ目許は割とぱっちりしてるし、肌も白いからそれなりに可愛いが、地味な恰好をしてるからか、それらが全然目立たない。
お前は真面目っ娘の標本か? それともモブキャラか?
でも二年生になる前、どこかで見たことがあるような気もした。しかし思い出そうと試みたが、思い出せない。まあ、それだけ安曇はどこにでもいそうな感じということだろう。
昨日も寝るのが遅かった俺は、このどうでもいい時間の中で異常な眠気に襲われる。
高校は普通行くものだから何となく受験して入学したけど、二年生になった今でもこの学校に馴染めていなかった。
自分で言うのも何だが、俺は集中力はある方なんで勉強すればそれなりの成績にはなった。そして下手に選択肢が増えてしまったから母ちゃんも教師も気をよくし、このそこそこのレベルの高校に押し込まれてしまった。
真面目な奴らが多いこの学校で俺は明らかに浮いていたし、気の合う奴も少ない。
(下手に勉強なんてするんじゃなかったな……そうすればツレと同じ高校に行けたのに)
ぼんやりと昔のことを思い出しているといよいよ睡魔に襲われ、意識も朦朧となってくる。
「副委員……々木透……」
安曇の細くて頼りない声は眠り掛けている俺の子守唄のように心地よかった。
遂に深い沼のような眠気に引っ張り込まれ、俺はガクンッと頬杖から頭を滑らせてしまった。
その瞬間、大きな歓声が教室を包んだ。
「えっ!? 何!? なんだ!?」
一気に眠気が覚めて顔を上げると、黒板には『副委員長 佐々木透馬』とデカデカと俺の名前が記されていた。
「は? なにこれ?」
「よろしくね、佐々木君!」
担任の桝本寛美はニヤニヤと笑いながら拍手をしていた。
「頑張って、佐々木君!」
「透馬が副委員長とかマジウケる!」
「期待してるぞ!」
全員悪ノリの勢いで笑いながら拍手して、その勢いで既成事実化してしまおうとしていた。
「ふざけんな! 俺やるなんて言ってねぇーし!」
「今佐々木君やるのって聞いたら大きく頷いたでしょ?」
担任はにやけ顔を更ににやけさせていた。
「はあっ!?」
どうやら寝落ちしかけて頭が頬杖から落ちたのを『大きく頷いた』と見なされたようだった。
「あれはっ……とにかくやらねぇし!」
「嫌だったら仕方ないわ。今から投票に変更するけど? みんな、用紙を配るから『副委員長にふさわしいと思う人』の名前を書いて」
もうネタのレベルだった。クラス全員が俺の顔を見てニヤニヤ笑っている。この状況で投票をしたところで結果は見えていた。投票なんてするだけ時間の無駄だ。
「まあ、やってみたら? 安曇さん直々のご指名なんだし」
「安曇の指名ぃ!?」
なに、この展開って安曇の発言から始まったのかよっ!
俺はチビ真面目女を睨みつける。
自慢じゃないが、というのは大抵自慢だが、目付きの悪い俺に睨みつけられた奴はほぼ全員ビビる。
「頑張ろうね、佐々木君」
しかし安曇の奴はビビるはおろか笑いやがった。さっきまで緊張で震えていたくせに。
教室中は笑いと拍手に包まれる。
こうして俺はなし崩し的に副委員長にさせられてしまった。
ホームルーム終了後、俺は当然のように残らされ、これからのクラス委員としての仕事の説明を受けさせられる。無駄な時間の延長戦突入だ。
俺は話なんか聞かず、肘をついてそっぽを向いていた。
「ちゃんと聞いてるの、佐々木君」
桝本は困った顔をして俺に注意する。
「言っとくけど、俺はやんねーからな……」
「決まったことは責任を持ってやりなさい」
「勝手に決めたんだろ……だいたい先生も俺がそんなことに向かないことくらい分かってるだろ?」
この真面目な学校に入った異物のような俺は、ことあるごとに問題を起こしてきた。
昼休みに放送室を占拠して昼休みに好きな音楽をかけさせたり、早朝に学校にやってきて創設者の初代学長の銅像をクリスマス仕様にデコレーションするとかの幼稚ないたずらもした。
上級生と喧嘩をしたことも一度や二度ではない。まあ、喧嘩の方は公になってないからそれで停学とかは免れてるけど。
桝本はジッと俺の目を見て言った。
「変われるチャンスだと思わない?」
「変われるチャンス? 俺は別に変わりたいとか思ったことないけど?」
なぜ教師というものはこうも問題児が『変わりたいと願ってる』と思い込んでいるのだろう? 俺はやりたいことをやりたいようにやっているだけだ。このままでいい。
「だいたい安曇のせいだろう、こんなことになったのは」
隣の地味眼鏡を睨みつける。
クラスの委員なんて然したる仕事はない雑用係だが、それでもそんな存在になること自体が俺には納得がいかなかった。
俺に睨まれた安曇は怯えたわけではなく、照れくさそうに顔を赤らめて笑った。
「私一人じゃ出来ないと思う。だから佐々木君の力を貸して欲しいの」
「は? 何言ってんの。なんで俺が、お前に、力を貸さなきゃなんねーわけ?」
図々しいとか、ムカつくとかより、訳が分からなかった。『力を貸して欲しい』なんて、肉体労働以外でお願いされるのははじめてだった。
「私がね……私が、変わりたいの……いつもみんなの影でひっそり隠れるように生きてきたけど……少しでも変わりたくて」
「あっそ……好きに変われば? 俺には関係ないから。てかこれ以上俺に関わってきたらお前の人生滅茶苦茶にしてやるからな?」
さすがにこの一言は言い過ぎだったかもしれない。品よさげな女二人は驚いた顔をし、気まずい空気が流れた。しかし俺は謝る気なんてさらさらない。
気まずさを隠すため、ムカついたように鞄を手に教室から出て行く。
「ちょっと待ちなさい、佐々木君っ!」
「いいんです、先生……」
背後で何やらやり取りがあったが俺は振り返らずに立ち去った。
ほんと、俺には関係ないことだ。
────
──
一度家に帰って鞄を置き私服に着替えてから衛藤さんの町工場に向かった。うちの学校は事情がどうあれ、バイトは禁止されている。しかし母子家庭のうちでは俺も働かないと稼ぎが足りない。無駄に高校行って学費とかもかかっちまってるし。
人目につかず、家から遠くもなく、高校生の俺でもバイトとして雇ってくれる衛藤さんのところはありがたい存在である。
「おう、透馬。今日は遅かったな」
「あ、いや……学校で、ちょっと……」
言葉を濁すと衛藤さんはあれこれ詮索せず、「また問題でも起こしたのか?」と笑い流してくれる。まるでやんちゃな息子を誇らしげにする父親みたいに。
衛藤さんの夫婦は息子をまだ幼い頃に事故で亡くしてしまったらしい。そのせいなのか、生きていれば同い年くらいの俺を可愛がってくれた。
この町工場で働いてるのは衛藤さんの他三人しかおらず、うち二人は外国人だ。言葉もあやふやだが黙々と部品を作っていくのに、さほど言語コミュニケーションは必要ないので問題はない。
旋盤やプレス機などは俺にはまだ使えないので、出来上がった部品を箱詰めして梱包して運ぶのが主な仕事だ。
現場は騒音が激しく、危険も伴うから衛藤さんは怒声のように叫ぶが、別に怒っているわけではない。そんなところもなんだか俺には合っていた。
出来ることなら学校を辞めてすぐにでも働きたいと本気で思っている。学校で勉強していても金にはならない。もちろん勉強をしていい大学に入れば、よりいい仕事に就けるのかもしれない。
でもそんな悠長なことを言えるのは恵まれた環境の奴らだ。
それに俺にはその理由は問題の先送りの免罪符にしか聞こえなかった。もちろん中には何かになりたい目標を持って勉強頑張ってる奴も沢山いるんだろうけど。
頭を無にして身体を動かして汗をかいていると、そんな色々な悩みも消えてくれる。って、いつもならそうだが、今日はなぜかモヤモヤが消えなかった。
『私が、変わりたいの……』
安曇の言葉が何度も脳裏で繰り返し再生されてしまう。
優等生で、結構な資産家の娘という噂の安曇は何の悩みもないように見えた。
しかしあいつもあいつなりに何か悩んでいる。変わりたいと思っている。
それがほんの少しだけど、なぜだか嬉しかった。少なくともあいつは今敷かれているレールや与えられている役割に疑問を持ったのかもしれない。
(いやいや……なに流されかけてんだ、俺)
だからといって俺が安曇に協力する筋合いはない。副委員長の仕事なんて論外だ。
それなのに緊張して立候補の挙手をした時や、変わりたいと言った時の安曇の顔が脳裏にちらつく。
まあ、一応引き受けるだけ引き受けてやろう。それで何にも手伝わず安曇の仕事を増やしてやる。俺ってマジ鬼畜だな。
翌日登校すると──
「よう、副委員長様」
「安曇と二人で頑張れよ!」
「佐々木君が副委員長引き受けるなんて意外すぎ!」
クラスメイトは好き勝手言ってからかってくる。
なにこの辱めを受けてる感……
(これもみんな安曇のせいだ。ふざけやがって)
苛ついているとチビ眼鏡がプリントを重そうに運んで教室に入ってくる。
「佐々木君、おはよう。朝のホームルームにこれ配るから。で、あとで集めて先生に持って行くんだけど、あ、佐々木君!?」
安曇の説明の途中でさっさと教室を出て行く。そんなこと俺がするかよ!
ホームルームが終わった頃に教室へ戻ると安曇の奴が一人でプリントを回収していた。俺の方を見たおかっぱ眼鏡はどういう意味だか分からないが微笑んでいやがった。
もちろん鬼畜な俺は手伝いもせずに安曇も無視してやった。
俺のガン切れ具合を見て副委員長様とかからかう奴はいなくなった代わりに今度は『手伝ってやれよ』的な空気になっていく。
だったらお前らが手伝え!
推薦した安曇も安曇だが、ノリで押し付けてきたこいつらもムカつく。
やっぱり俺はこの学校の空気に合っていない。
────
──
「透馬、学級副委員になったんだって?」
バイト終わりの夜、中学時代のダチと何となく集まってコンビニの前でフランクフルトやらパンを食っていると、いきなり光汰の奴が訊いてきた。
「なんでお前がそんなこと知ってんだよ!」
「えー!? まじ!? 進学校に行き、今度はクラス委員かよ。どんどん透馬が俺たちの遠い存在になっていく!」
竣も悪ノリしてきやがった。
「ノリで無理矢理やらされたんだよっ!」
仕方ないから事情を説明してやると二人とも生温い眼差しでニヤニヤ笑い出す。
「なんだよ?」
「いや、それって透馬、その眼鏡チビの女に惚れられてんじゃね?」
「はあ!?」
「俺もそう思った」
「んなわけねーだろ。その安曇って奴、相当いいとこのお嬢って話だし」
「だからこそ透馬みたいなチンピラに惚れちゃったのかもよ!」
「誰がチンピラだよっこら!」
バシッと光汰のケツを蹴り上げる。
馬鹿な俺たちはすぐになんでもこうやって色恋沙汰にしたがる風潮がある。どうせ最後は「ヤッちゃえよ!」で終わる、他愛のない馬鹿話だ。
でも高校のクラスメイトとはこんな話は出来ない。
やっぱり俺にとって、こいつらは大切な仲間だ。
「やっぱ青春だなー、俺も高校辞めるんじゃなかったかなー」
光汰は笑いながら、アイドルのコントのように全く感情の籠もってない台詞を吐いた。
こいつは高校を一年の一学期で辞めて今は車の整備関係で働いている。
車が好きだから向いてるらしい。正直俺は少し羨ましかった。
実りのない話をして家に帰ったのは午後十時を少し回った時間だ。
既に母ちゃんは帰っており、洗い物をしていた。
「こんな時間までどこ行ってたの?」
「別に。光汰と竣とダベってただけ」
「そうそう。透馬に電話あったよ、女の子から」
後半部分をやけに強調しながら母ちゃんがにやける。
「女? 誰だ?」
「安曇さんっていう子。感じのいい子だね」
「はあ!? 安曇ぃ!?」
なんであいつが電話なんかしてくんだよ?
「透馬、お前クラスの副委員長になったんだって? そういうことはちゃんと言いなさい」
「言うかよ。てかなってねーし」
「お祝いしなくちゃね。透馬が副委員長だなんて」
「だからなってねーってば」
「それで安曇さん、明日ホームルーム前に打合せがあるから朝三十分くらい早く来て欲しいんだってさ」
母ちゃんは宝くじでまあまあな金額が当たったような喜び具合だ。誰もやりたがらないような雑用係になったことがそんなに誇らしいもんか?
まあ、喜んでくれるなら悪い気はしないけど。
でも明日は三十分早く登校したりはしない。勝手に安曇一人で打ち合わせしておけ。