【第三夜】 1
三日目の朝、目覚めると、何故か一等客室の周辺が騒然としていた。例によってバーレントの方が先に起きていた。
「おはようございまぁす」
「おはよう」
ささっと着替えて戻ってくると、バーレントは応対中だった。アメリアも入口の近くにいるバーレントに歩み寄る。
「妹さんですか?」
「……妻です」
バーレントが答えると、乗務員らしい男性は「失礼しました」と焦ったように答えた。まあ、見た目だけで二人が夫婦だと判じるのは難しいかもしれない。だが、栗毛と金髪の兄弟はそうそういないだろうとつっこみたい。
「どうかしたんですか?」
アメリアが首をかしげてバーレントを見上げ、ついでに乗務員を見る。乗務員の男性は、アメリアとあまり変わらないくらいの身長だった。
「実は……」
乗務員は口ごもるが、バーレントははっきりと言った。
「コーレイン公爵が短剣で刺されたらしい」
「えっ」
アメリアは目を見開いた。コーレイン公爵ディアンナと言えば、思い出すのは夜中のこと。部屋を出て歩いて行くディアンナらしき人影を見た。
言っていいのかわからなくて黙っていたが。
「刺されたってことは、死んでないんですよね?」
死んだ、とは言っていない。危篤状態とか、そう言うことかもしれないが、生きてはいるはずだ。
「死んではいません。出血量が多くて、意識はないですが……」
乗務員の言葉にアメリアはほっとした。たった二日の付き合いだが、殺されるには惜しい人だと思う。
「……と言うことは、公爵は誰かに殺されそうになった、と言うことですか?」
自分で思ったのだが、刺された、と言うことは少なくとも自殺や事故ではなく、事件のはずだ。
「いえ、そこまでは……一応、一等客室の者には話を聞こうと言うことになりまして」
と、乗務員はしどろもどろに言う。アメリアはバーレントを見上げた。彼もまっすぐアメリアを見つめている。
その目が、余計なことは言うな、詮索するな、と言っているようで、アメリアは軽くうなずいた。
乗務員によると、ディアンナが刺されたのは明け方四時から五時ごろ。発見されたのは午前六時ごろらしい。ちなみに、現在午前七時。つまり、ディアンナは刺されてから少なくとも一時間は発見されなかったのだ。
とすると、どこで刺されたのかが気になる。乗務員によると、現在使用されていない110号室で刺されているのが発見されたらしい。一応、客室係が全客室に清掃に入るのだが、その際に発見されたのだそうだ。
乗務員に、明け方の四時から五時ごろ、何をしていたか聞かれるが、寝ていたとしか言いようがない。アメリアは三時ごろ目が覚めたと正直に言ったが、部屋の外には出ていない。バーレントに呼び止められたからだ。
とはいえ、身内の証言は証言として認められない場合もある。アメリアとバーレントはまだ結婚して一週間も経っていないが、夫婦とみなされるのでこれに当てはまる。
一通り質問した乗務員は「ありがとうございました」と礼を言ってアメリアたちの客室を後にする。扉をして鍵を閉めたバーレントは、「今朝はルームサービスをとるか」と提案した。アメリアもうなずく。さすがに、食堂まで行く気にはなれなかった。
ルームサービスで朝食を頼んだ。すぐに運ばれてきた朝食に、向い合せで手を付けながらアメリアはバーレントに言った。
「実は、夜中に起きた時に、部屋の外を見たんですけど」
「ああ。どうもそんな感じだったな」
バーレントにうなずかれ、アメリアは肩をすくめた。彼女はちぎったパンにジャムをつけながら言った。
「実は、ディアンナ様らしき人を見たんです。後姿だったんで、顔は見てないですけど、シルバーブロンドの人ってそんなにいないでしょう?」
シルバーブロンドは遺伝的に珍しいのだ。プラチナブロンドほどの淡い色彩も珍しいのに、銀髪となるとより珍しい。背も高いし、もしかしたら彼女は北方の血が入っているのかもしれない。
「そうだな。正直、あの銀髪は見事だ。かつらを用意すると言う手もあるが、そもそもかつら(ウィッグ)でもあれほどの銀髪が見つかるかわからん」
バーレントによると、やはり染めたものと天然ものでは少々色合いが違うらしい。
「それが本当にコーレイン公爵だったとしても、アメリア、自分からはそのことは言うなよ」
「わかりました。聞かれた場合に、答えることにします」
「そうしろ」
いい子だ、と言うのと同じような調子で言われたが、不思議と腹は立たなかった。自分の不安を話してしまうと、今度はディアンナが心配になる。
「ディアンナ様、大丈夫でしょうか」
ヨーグルトを食べながら言うと、バーレントはコーヒーカップをソーサーに戻し、テーブルに肘をついて手を組み合わせた。アメリアは目を上げる。
「どうしたんですか?」
「……それに関して、気になることがある」
「気になること?」
アメリアもヨーグルトをすくう手を止めてスプーンを置いた。首をかしげる。
「なんですか?」
「コーレイン公爵は、退役軍人だという話だったな」
「そうおっしゃってたと思いますけど」
「女性の身であっても、仮にも軍人であったのなら、怪我をしたときの応急処置の方法くらいは知っているはずだ。処置をすれば、意識不明になるほど出血しなかったと思う」
なるほど、と思った。従軍医だったバーレントならではの視点かもしれない。
「どうして、ディアンナ様は応急処置をしなかったんでしょうか」
震える声でアメリアが言うと、バーレントは「さあな」と言う。
「本人に聞いてみなければわからないが、何か処置をできない事情があったのか、それとも」
「……初めから、助かるつもりはなかったか」
「……そうだ」
バーレントがうなずいた。アメリアはきゅっと唇を引き結ぶ。
誰がディアンナを刺したのか、そして、どうしてディアンナは意識不明になるまで怪我をほうっておいたのか。
まだ犯人がうろついているという事実より、よくわからないこの状況がアメリアを不安にさせていた。
△
ディアンナが刺されたということは、彼女の義姉であるエレンと甥のフィリベルトはどうしているのだろうか。そう思わないでもなかったが、むやみに出歩くのは危険と感じ、アメリアは客室の中にいた。……が、非常に暇である。
「バーレント」
「どうした」
ソファに腰かけ雑誌を読んでいる夫殿に声をかけると、反応があった。アメリアは言う。
「図書室に行きたいんです」
本当は船の中を探検したいくらいだが、それは状況をわきまえていないと自分でも思うのでさすがに遠慮しておく。
バーレントは読んでいた雑誌を閉じると、立ち上がった。
「なら行くか。いつまでも部屋にいても面白くないからな」
「やったぁ。すぐに支度します!」
アメリアは急いで支度する。と言っても、ワンピースの上にショールを羽織っただけだ。まあ、図書室に行くだけだし、これくらいでいいだろう。足元は部屋履きからかかとが低めの外行き用の靴に変えた。コンサートや晩餐会の時はヒールの高い靴を履いたが、慣れないのでとても歩きづらかった。普段、アメリアはそんな靴を履かない。もともと背が高いし、実用性が優先だからだ。
まあそれはともかく、バーレントと連れ立ってアメリアは図書室に向かった。廊下を歩けば、二等客室や三等客室の方から騒がしい声や音が聞こえてくる。
「……事件のこと、伏せられてるんでしょうか」
「まあ、死人が出たわけじゃないしな」
そう言う問題なのだろうか? まあ、今更引き返したりもできないし、乗客たちに穏やかに過ごしてもらうには、隠しておくのが一番いいんだろうけど。
図書室にもある程度の人はいた。アメリアは借りていた本を返すと、今度は小説でも読もうと思い、小説が多く置いてある本棚を見る。反対側の本棚ではバーレントが推理小説を物色していた。
ミステリーは、アメリアも好きだ。童話作家とはいえ、作家である彼女は本全般が好きで、ミステリーからファンタジー、伝記までなんでも好む。
「何かおすすめの本はありますか?」
ひょこっとバーレントの脇から顔をだして尋ねると、彼は少し考えるそぶりを見せた。どうやら、選んでくれるらしい。
「……そうだな。これ、とか」
と差し出されたのは、最近巷で人気の推理小説のシリーズものだ。アメリアは少し驚きの表情になる。
「何故そこで驚く」
「いえ……バーレントでも、こういうの読むんだなぁって思って」
「……お前の中で俺の印象は一体どうなっているんだ」
バーレントがため息をつく。とりあえず勧められたその本を借りようと思ったアメリアだが、ふと気が付いた。バーレントの一人称が『俺』になっている。お見合いの時から結婚式まで、ずっと『私』だったのに。
おそらく、こちらの方が素なのだろう。アメリアに心を開いてくれているということだろうか。そう思うと、ちょっとうれしい。
気づかないうちににやけていたらしい。バーレントがいぶかしげな表情になり、「体調でも悪いのか」と聞いてきた。そうではない。
「何でもありません」
アメリアは首を左右に振った。一人称が変わったことを指摘するつもりはななかった。指摘してしまえば、また元に戻ってしまうかもしれない。
だから、アメリアはただうれしげにバーレントと手をつなぐにとどめた。
「読むのが楽しみです。この本」
「気に入るといいけどな」
バーレントと読んだ本の話をするのも楽しそうだ。まあ、彼が付き合ってくれれば、だけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
3日目にして事件発生。そして、なんだかんだで仲の良いアメリアとバーレントです。