【第二夜】 4
さて。このクイーン・ベアトリクス号であるが、何と貸衣装も行っている。コンサートや晩餐会など、ドレスコードがある催しが多いが、全ての人がドレスを催しの数だけ用意できるわけではない。この客船には平民も多いし、特に女性の正装であるドレスはかさばるので、あまり数を持ち込めない、と言うのもある。
アメリアもドレスを一着しか持ち込んでいなかった。これほど必要になるとは思わなかったし、アメリアもバーレントも貴族ではないので、使用人を連れていない。つまり、荷物は自分で運ぶしかなく、あまり多い荷物を運ぶのが嫌だったのだ。つまり、アメリアのドレスの数が少ないのは彼女の怠惰が原因でもある。
だが、そのあたりはこの客船を運用している会社もわかっている。そのために、貸衣装があるのだ。アメリアは、今晩のコンサートに参加するためのドレスを見つくろいに来ていた。ちなみに、貸衣裳部屋では簡単に化粧や髪結いもしてくれる。
「うーん。アメリア様はもう少し明るい色がいいですかね。眼の色に合わせて、淡い水色とか」
貸衣裳部屋のスタッフであるミアがぶつぶつとつぶやきながら衣装を選んでいる。一応、アメリアもいくつか選んでみたのだが、ミアにすべて却下された。
ミア・メイツは二十五歳。クイーン・ベアトリクス号が就航した二年前からこの仕事をしているらしい。他人を着飾らせるのが好きらしいので、この仕事はまさに天職と言えるだろう。
「よし、これで行きましょう。アメリア様はまだお若いし、淡い色がよく似合いますよね」
と差し出されたのは淡い空色のドレスだった。とりあえず着替える。あともつかえているし。
ミアに選んでもらったドレスは、驚くほどアメリアにぴったりだった。彼女はやや背が高めなので、通常のドレスだと足首が見えてしまうことも多いのだが、そんなこともなかった。
「ありがとう、ミアさん」
「いえいえ。仕事ですから。髪も結って化粧も少ししましょうか」
と、さすがに手慣れた様子でアメリアの髪を結い、ちゃちゃっと化粧までしてくれた。ミアが会心の笑みを浮かべる。
「これでばっちりです。旦那様を魅了してきてください」
「そうできればいいんだけどね」
アメリアはのりよくそう答え、もう一度ミアに礼を言って貸衣裳部屋を出た。部屋には、ドレスを借りようとたくさんの女性が押し寄せていた。その人ごみを避け、何とかバーレントが待っているラウンジに出た。
ソファに腰かけたバーレントは、元上官であるローデヴェイクと話をしていた。アメリアが声をかけていいか迷っていると、こちら向きに座っていたローデヴェイクがアメリアに気づいたらしく、バーレントに何かを言った。バーレントが振り返る。
「アメリア」
「あ、お邪魔してしまいました?」
「いや。ただの世間話だったからな」
アメリアとバーレントがローデヴェイクの方を見ると、彼は軽く手をあげて微笑み、こちらに背を向けた。
「レーンデルス伯爵もコンサートに?」
「そうらしいな。まあ、船の中ではそれほど娯楽も多くあるまい」
「そうですね」
アメリアは微笑み、うなずいた。先ほどの貸衣裳部屋の混み具合から見ても、今夜のコンサートに参加するものは多いだろう。
「それはそうとして。アメリア、似合っているな」
「あ、ありがとうございます」
唐突に褒められ、アメリアははにかみながらも笑みを返す。バーレントを見上げて、アメリアも言った。
「バーレントも、正装がよく似合いますよね」
「窮屈だが、軍服よりはましだな」
バーレントの言葉にアメリアはくすくすと笑う。新婚旅行に来てまだ二日目だが、確実にこの船に乗る前より打ち解けられていると思った。
バーレントと腕を組み、アメリアはコンサートホールへ向かった。すでに満員に近い人がいたが、一等客室の乗客であるアメリアたちは、優先的に席を用意してもらえる。部屋の鍵を見せたら、前の方に案内された。
そこには、すでに何人かが座っていた。先ほど分かれてローデヴェイクは、今日も男性の正装であるディアンナと話している。その隣にはエレン。おそらく、フィリベルトは子供なので参加していないのだろう。さらにその隣には初めて見る女性。たぶん、アメリアと変わらないくらいの年だろう。つまり、二十歳前後。彼女の隣にハウトスミット侯爵が座っているところから見て、彼女はハウトスミット侯爵夫人なのだろう。
アメリアとバーレントの席は、ハウトスミット侯爵の隣だった。何となく、彼の隣に座るのは嫌だな、と思っていると、バーレントがハウトスミット侯爵の隣に座った。アメリアはほっとしてバーレントの隣に腰かける。
「よろしくお願いします」
「ん、ああ。よろしく」
バーレントの言葉に、ハウトスミット侯爵は笑みを浮かべてうなずいた。その笑みが胡散臭い、と思ってしまうのは、彼がディアンナに言い寄っているらしい、と聞いているからだろうか。
ちらりと、ディアンナの方を見る。絶世の美人はローデヴェイクと楽しそうに話をしていた。そう言えば、ローデヴェイクも軍人だし、ディアンナも元軍人だ。もしかしたら、話が合うのかもしれない。
「私、コンサートは初めてです」
指揮者が出てきたときに、他の観客と同じように拍手をしながらアメリアは言った。バーレントは「楽しめるといいな」と返してくれた。アメリアはうなずく。
一曲目の演奏が始まった。
△
「アメリア。そろそろ起きろ」
軽く体を揺さぶられ、アメリアは目を開いた。そして、状況を認識すると飛び起きようとする。が、その前にバーレントに体を押さえられた。
「落ち着け。今立ち上がったら、注目を浴びるぞ」
「……」
アメリアは息を吐いて柔らかな椅子の背もたれに体を預けた。
「私、寝てましたよね」
「ああ。ぐっすりとな」
「……はあ」
アメリアはため息をつく。最後の曲なのか、アンコールなのかわからないが、まだコンサートは終わっていない。バーレントはコンサート終了の前にアメリアを起こしてくれたようだ。
「……ありがとうございます。でも、せっかく誘ってもらったのに……」
小さな声で謝る。隣同士なので、バーレントには問題なく聞こえたようだ。
「いや。音楽を聞くと眠くなる気持ちはわかるからな。俺も何度か寝そうになった」
事実なのかもしれないが、このセリフは明らかにアメリアを安心させるための言葉だ。アメリアはバーレントの優しさに感謝した。基本真顔だが、彼は優しい。
最後の方だけ少し演奏を聴き、アメリアはみんなと同じように拍手をした。観客たちが立ち上がり、次々とホールを出て行く中、アメリアも肩を落としながら立ち上がった。
なんでそこで寝ちゃうんだ、私。コンサートなんてめったに行かないのに。いや、だからか? 珍しいところに来たから眠ってしまったのだろうか。うん。ありうる。
「寝不足は様々な病の原因になるから、夜はよく寝たほうがいい」
何を思ったのか、バーレントがそんなアドバイスをしてきた。医者らしいと言えば医者らしい。
「……そうですね。肌にもよくないと言いますし」
「まあ、アメリアはまだ若いからな。それほど気にする必要もないと思うが」
確かにバーレントに比べればアメリアは若いが、もう二十歳だ。そろそろお肌の曲がり角である。
貸衣裳部屋にドレスを返し、部屋に戻る。ちなみに、バーレントはアメリアが迷子になることを警戒してついてきてくれた。でも、自分の客室くらいまでなら戻れます。道がわからなくなっても、その辺の乗務員に聞けばいい。
昨日と同じようにシャワーを浴びて、寝る体勢に入る。二人で一つのベッドであるが、ダブルベッドなので広い。アメリアはできるだけ端によって目を閉じた。
△
のだが、眠れない。
コンサート中に寝てしまったせいだろうか。妙な時間に目が覚めた。まだ世は空けておらす、客室の時計を確認すると、夜中の三時過ぎだった。
ふとバーレントの方を見る。安定した寝息が聞こえてきて、まあ当たり前か、と思う。アメリアはため息をついてベッドから身を起こした。
各客室には窓がある。一等客室にはバルコニーがついているので、そっと窓を開けてバルコニーに出た。夜風が気持ちよく、アメリアはぐっと伸びをした。
潮の香りに、海風。あまり海風は肌によくないのだが、少しの間なら大丈夫だろう。周囲に明かりがないので、星空がきれいに見える。
ふと、物音が聞こえた気がした。廊下の方からだ。アメリアはバーレントがまだ寝ていることを確認し、そっとベッドの隣を通り過ぎた。廊下に続く扉の鍵を開け、そっと開く。
隙間から覗くと、くるぶしまであるコートをひらめかせた細身の人が背を向けて歩いて行くのが見えた。束ねていないが、その見事な銀髪は、おそらく、ディアンナのものだ。どこへ行くのだろうか。
思わずじっと見つめていると、背後から声がかかった。
「アメリア?」
はっとして振り向くと、バーレントがベッドに身を起こしていた。アメリアはあわてて扉を閉め、鍵をかけた。
「何でもありません。ちょっと目が覚めてしまって」
そう微笑むと、寝ぼけているのか、バーレントは疑う様子もなく「そうか」とだけ言った。アメリアは部屋の中に戻り、そっとベッドに乗り上げた。もう一度横になり、目を閉じる。
意外なことに、すぐに眠気が襲ってきて、アメリアは再び眠りについた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ここまでで2日目のくくりなのですが、一応日付超えてるんですよね~。うーん。日付でわけるとこの辺が難しい。
まあ、朝目覚めるまでが前の日ってことで。